暑さを凌ぐため訪れた室内の温度は外界とそう変わらず、舌を打つ。
廊下と呼べぬほど狭く短い板張りを抜け、見渡すまでもない小部屋に目をやれば寝台の上で雑種がのびていた。
死んでいるのだか生きているのだかわからないその物体は見るからに見窄らしく、眉を寄せる。身につける意味があるのか知れない面積の衣服を申し訳程度に纏い、生白い手脚を力なく投げ出す姿は、水辺に打ち上げられた深海生物の死骸を思わせた。寝入ったときには風があったのか、開け放たれた窓からもはや流れ込む空気はなく、室内は湿り気と虫の音に満ちている。夏が来る度に大量に群れるせわしい虫だ。初めのうちは辟易としたものだが十年も経てば慣れる。どうやらこの雑音がこの国における夏の趣とやらであるらしい。
「おい」
主人の来訪にも気づかず寝こけたままの小間使いに声をかけるも、返事はない。空調の操作ボタンに指を当ててみるがこちらも反応はなく、なんなのだとうんざりする。とりいそぎ何か冷たい飲料はないものかと保冷庫を開けるが、やはり期待していた麦酒は入っておらず、代わりとばかりに麦を漉した茶があった。
酒用の氷と茶をそこらのグラスにそそぎ込み一息をつく。汗にまみれた見苦しい生き物を視界の端に置き続けることは不本意だったが、居間と食堂と調理場、そして寝室すら兼ねているこの呆れるほどに圧縮された小部屋においては致し方なきことだ。
我が椅子に座り一杯の茶を飲み干すあいだすら、その体は着々と水気を増していく。目覚ましに冷茶でもかけてやろうかと容器に手をかけるが、寝苦しげに姿勢を変えたその動きが滑稽で、もう暫し見ていてやろうという気になる。
我は二杯目の茶をグラスに注ぎながら、椅子から脚を伸ばし雑種の脇腹を小突いた。何やら浮かされたような声を漏らし、名前はさらに寝返りをうつ。背を向けたことで裾の短い衣服から尻の形が覗いたため、二度、三度とその尻を足蹴にした。死にかけの羊のような呻きを途切れ途切れに吐きながら、名前は背を丸めている。うなじから一筋汗が垂れ、寝台に染みていくのを見て、くすぶりかけていた嗜虐心に小さく火が着いたことを自覚した。
そうとなればやることは一つしかなく、このような庶民たらしい女に欲情したことをこの国の暑さのせいとし、名前の体に両足で股がる。起きていても明らかではあるが、眠っていれば体格の差はさらに顕著に思え、うっかりと潰し殺さないように最低限の力加減を手のひらに課す。
この女は己がぞんざいな扱いを受けていると不平不満を垂れることがあるが、日頃から我がどれだけ力を抑えてやっているか、その調整にいかほどの技量が求められるかを理解していない。羽虫を潰さずに掴むことが難しいように、この柔く小さな生き物を壊さずに愉しむことは容易でないのだ。
まるで行為中であるかのように既に濡れている首筋に手をやり、薄っぺらな衣服の肩紐を下げる。露わになった乳もまたしっとりと汗ばんでおり、我自身の体も先ほどより大分熱をもち初めていた。こんな貧相な雑種であっても、汗はしっかりと女の匂いを放っている。顔を寄せ、乳房から脇腹を舐め、目覚める前に手っ取り早くほぐしてやろうと下着の隙間から指を入れる。汗だか液だかはわからないがそこは早くもべたついており、中は呼吸に合わせゆっくりとうねっている。寝苦しげなわりに深く眠っているのか、指と掌で弄ぶあいだ名前は息を浅くしながら裸の胸を上下させていた。
鬱陶しく張り付いている自らの服を脱ぎ去り、名前の膝を割る。どの頃合いで起こせば愉しいかと途中までは考えていたが、そんなものはせいぜい自分で決めろと手早く脚を開かせる。それにしても呆れるほど暑い日だ。体を寄せたのは自分であるが、理不尽な苛立ちを覚えたため白い首を強く吸う。我の汗が名前の顔に一滴落ち、名前はようやく薄っすらと目を開けた。
「お……うさま? きてたんですか……」
「遅いわ阿呆が」
状況を確認しようと視線をさまよわせた名前の腕を掴み、押し当てていた腰を一息に進める。
驚きと刺激に息を飲んだ名前の口から、一呼吸遅れて、高くか弱い嬌声が漏れる。やはり女は声がなければつまらぬなと実感しながら、深くかがみこみ体重をかけた。普段はこうも密着して女を抱えることなど少ないが、互いの汗がどろどろと溶け合う感覚はなかなか悪くなく、滾った情欲を存分にぶつける。いまだ覚醒しきらぬ名前はされるがまま揺さぶられながら、短い喘ぎ声を上げ続けている。戸惑い、制するような言葉を最後まで言わすまいと乳や耳をなぶり、覆い被さるようにして快楽の逃げ場をなくしてやれば、名前はわけもわからぬまま絶頂し、我のものをよく締め付けた。
「まっ……ぁ……」
こめかみに玉の汗を浮かせ、髪をしとどに濡らしながら、名前は夢とも現ともつかぬ表情で快感を受け止めている。突如湧いた性欲と嗜虐心が少しばかり満たされた我は、傍ですっかりぬるくなっているグラスに手を伸ばし「飲め」と告げた。いささか全てが性急すぎたのか、暑さと快楽で頭をやられたのか、それを見ても名前の息はしばらく整わず、達したまま虚ろに体を震わせるばかりである。
仕方なしに抱え上げ、口元でグラスの縁を傾けてやれば赤子のように喉を動かした。飲み終えたところで腰の動きを再開すると、名前はひたひたに濡れた肌を我にしなだらせ、自ら首元にしがみついた。部屋の温度と二人の体温を考えれば自殺行為である気がしたが、夏の暑さにあてられ判断能力を欠いているのはこの女も同じのようだった。てっきり制止されるものと思っていた我はやや拍子抜けをし、そして可笑しくなって耳元に囁く。
「まったく大概なことよな。我の国でもこうは汗をかかぬぞ」
囃したてる虫の声の中で、日が傾くまでまぐわったあと、我は死んだようにうつ伏せる名前の背を撫でた。
たっぷりと入っていた茶の容器は空になり、部屋の湿度は上がり続けている。しかし風はいくらか動きはじめ、夜の空気に向かいつつあった。どちらのものともわからぬ汗が互いの体からしたたり落ち、寝台の上は散々な有様である。
「……冷房、つけますか」
「なんだ。壊れているのではないのか」
「リモコンの電池が切れてるだけです」
横着をせず入れ替えぬか、と叱ろうとしたが何故だかそのような気も失せ、横たわる。虫の声は昼間のものと変わり、薄暗い部屋に寂しげな余韻を響かせていた。この国で生まれ育ちはしていないが、これを聞けば多少の郷愁を覚える。
「もうしばらく窓を開けておけ」
そう言ったときには、名前は寝息を立てていた。よく寝る女だと呆れながら空になった容器を見る。茶の作り方くらい聞いておけばよかったかと思いかけ、首を振った。庶民の飲み物は庶民が作ればいいのだ。やはり夏にあてられている。つくづく大概な季節であると一人ごちて目を閉じた。
手探りでもう一度、眠る女の背を撫でる。