わかりやすいあらすじ:サイタマが適当に言った「おまえ真面目すぎるから合コンでもしてこい。そんで俺に紹介しろ」という言葉を真に受けたジェノスが悩んだ末に連れてきたのは彼女ではなく育毛パートナーだった。
「本当に実績、満足度ともにナンバーワンなんだろうな」
鋭い目を光らせてそう言った彼が、ちまたで人気のルーキーヒーローだということは知っていた。それがどうしてこんな場所にいるのか、私だって気になってはいる。
「ええとつまり、どういうことでしょう」
「サイタマ先生は俺に『真面目すぎる』と言った。『ちょっと合コンでもしてこい、そんで俺に紹介しろ』と」
「なるほど……じゃあジェ、」
「しかし訳あって長らく放浪していた俺にはそんなものに呼んでくれる知り合いはいない。とくに呼んで欲しいとも思わないが、せっかくの先生からのアドバイスを活かせないのは不本意だ。そこでチャランコ……知り合いのヒーローの弟子に頼んでいくつかの酒宴を開いてもらった」
「……はあ、つまりこの合コ、」
「俺の名前を出したら簡単に集まったそうだ。だがどれもくだらないものだった。俺の求める強さとは無縁の世界だ。こんな乱痴気騒ぎにいったい何の意味があるのかと悩んだりもしたが、先生の言うことなのだから何か深い意味があるには違いない。いつだかバングに言われた『適当がベスト』という言葉にも通じるものがあるし、きっと真面目すぎない脱力感、そう先生のようなスタイルが俺には欠けているんだと思う。それを見極めるためにこうして今日も参加した訳だが……やっぱりわからない上、サイタマ先生に見合うような女なんて今日まで一人として見つからなかった。けど俺は確信している。先生に紹介するべき女とはどのようなタイプの人間なのか、お前に会って気付かされたんだ」
「……はい」
「本当に、業界実績ナンバーワンなんだな? サイタマ先生は…………毛がないことを気にしておいでだ」
相づちをはさませないほど長い彼の身の上話は独白に近いもので、理解できない点も多々あった。しかしそんな私でもわかったことが一つある。彼が先生と呼ぶサイタマさんとやらはどうやら毛がないらしいが、彼の求めている『紹介』とは決して育毛パートナーではないということだ。
「たしかに私は育毛業界の最大手会社に勤めてますが……」
「実績があるならいいんだ。結果に個人差があることは了承している。だが誇大広告は困る。先生にぬか喜びはさせたくないからな」
彼は至極真面目な顔でそう言った。私はなぜサイタマ先生とやらが彼にそのようなアドバイスをしたのかがわかった気がした。
「あの、ハゲランス社員としてご紹介頂くことはこちらとしてもありがたいんですが、その先生が言いたかったことはそういうことじゃないんじゃ……」
「なんだと……?」
二次会のカラオケは大分盛り上がっているようだ。トイレへ失礼したところで駆動音とともに私の腕をつかんだ彼は、どうやら私の自己紹介を聞いた時からこの交渉を決めていたらしい。刺激のない日常を打破しようと思い切って参加した合コンで、サイボーグに育毛を依頼されるとは思っていなかったため面食らっていた。
「お前にサイタマ先生の本意がわかるっていうのか」
「いや、よくわからないですけど合コンを勧められたってことは、もっとリラックスして人との出会いや対話を楽しめってことなんじゃ……」
「……!」
そう言うと、ジェノスさんはなにやら神妙な面持ちで言葉を止めた。黒い眼窩がしずかに佇んでいる。ドアの向こうでは青春歌謡が鳴り響いていた。
「そうなのかもしれない。けど俺には、目的以外の寄り道を楽しんでいる余裕がないんだ」
「目的?」
「……」
「あの……抜けます?」
サイボーグの表情を量ることは難しい。けれどなんとなく悲壮な気配を感じとり、私はついそう言ってしまった。楽しいはずの宴の席で彼は一度も笑顔を見せていない。こんなところにいたってきっと疲れるだけだろう。さっきまでの精悍な雰囲気はどこへやら、捨て犬のような疑り深い目を向けられて私は参ってしまった。彼はまだ十九歳だと言っていた。
「好きじゃないなら、むりに来ることないと思いますよ。こういうの」
「……しかし、俺に欠けているものを先生が見抜いているのだとしたらそれを補いたいと思う」
「……」
抜け出した夜道で彼は俯きがちに言った。きっとこの痛々しいほどのひたむきさが心配になって、そんなことを言ったのではないだろうか。身に合わないことをしてまで手に入れたい強さとやらで、彼は一体何を成し遂げようとしているのだろう。十九にして全身サイボーグになるくらいだから何か相当な生い立ちがあるに違いない。暗い街角で冷たそうなチタン合金がきらきらと光っている。体温なんてないのかもしれないけれど、むきだしの腕を寒そうだなと思った。
「私でよければその、先生に一度お会いするけど」
「……いや」
「……」
「俺は何もわかっていないのかもしれない」
橋の上で立ち止まり、ジェノスさんは遠い目をした。瞳孔は生身のそれとちがうけれど、川面でなくなにか別のものを見ていることはわかる。
「ヒーロー、ですよね。大変そう」
「そこらの怪人相手に、大変なんて言ってられない」
「どうしてヒーローになったんですか?」
「正直プロのヒーローかどうかは俺にとってあまり重要じゃない。大義があるわけでも、人一倍正義感が強いわけでもない」
「じゃあ、よっぽど個人的な想いがあるんですね」
「……ああ」
夜風に一人体を冷やす機械まみれの青年が、私はなんだかだんだんと可哀相になった。自販機か何かないだろうかとあたりを見回す。彼は普通に飲食をしていたが味覚はあるのだろうか。
「あったかいもの飲みますか?」
「いや、いい」
「あの、やっぱり私サイタマ先生に会いますよ。そういう意味じゃなかったにしても、ジェノスさんが自分のために動いてくれたって知ったら嬉しいかもしれないし」
「……そうだな」という無感情な言葉を最後に、その日は別れた。
後日。デリケートな仕事ゆえ依頼人に会うときはいつも緊張してしまうけれど、真面目な彼があれほど慕うのだから悪い人ではないのだろう。と、前向きな気持ちで落ち合ったジェノスさんがずんずんとZ市の境界を越えていくのを見て私は唾を飲んだ。恐ろしい噂の絶えない暗黒都市だ。知名度の高いA級ヒーローたちでさえここには無闇に近寄らないという。そんな荒廃した町並みの、ひび割れた中層アパートのドアを開ける。
「おうジェノス、買い出しどうだっ……どなた?」
目のやり場、を気遣うまでもないほどの見事な顧客候補がそこにいた。S級ヒーロージェノスさんの師というくらいなのだから彼も相当な実力者なのだろうけど、その見た目から強者の迫力、緊張感のようなものは一切感じとれない。禿げていること意外のアイデンティティを見落としがちだがよく見れば若く、同い年くらいかもしれないと思った。
「はい先生、ストックの切れた日用品はだいたい買ってあります。トイレットペーパーはダブルでよかったですか」
「前はシングルだったけどお前が来てからキリキリ節約する必要もなくなったからな」
生活感溢れる会話に割り込む隙を見いだせず、しばらくぼんやり二人の会話を聞いていた。部屋へ入っていくジェノスさんの後に続いていいものかとまごついていると、サイタマ先生であろうその人が「えーとジェノス」と気を使ってくれる。
「ああ、遅くなりましたがこの人はハゲランス社員の女性でして……先生」
「……なんだよ」
「お役に立てればと思い紹介しました」
「そ、そっか」
繊細な問題なのだ。私だったらとてもかけられないような営業を真っすぐに切り出すジェノスさんに頼もしさを感じた。当人は若干引いているようだけれどやはり悪い人ではないようで、複雑そうに頷いている。
「急にご自宅へ伺ってすみません」
「いや、まあ、上がる?」
「あ、じゃあ……」
気まずいけれどしょうがない。ジェノスさんの図太さが元の性格なのかサイボーグ故なのかはわからないけれど、人並みの神経を持ち合わせている私の方は微妙な空気に禿げそうになっていた。そう広くない間取りは洗練されているとは言えないけれど、男二人のルームシェアにしては綺麗だ。ことりと置かれたお茶に会釈をして、さりげなく部屋を見渡す。洗い干されたマントと手袋。ヒーローたちの私生活。
「けどお前どこで知り合ったんだ? ハゲランスの社員なんて」
「合コンで知り合いました」
「ごっ……ああ、そういえば……」
サイタマ先生は一瞬言葉に詰まった後、顔の力を抜いて「努力家だなーお前」と言った。やはりというかなんというか、ジェノスさんが思っているほど深刻な助言ではなかったようだ。
「えっと、どうしましょう。ご本人の意向を尊重しますが、もしうちで会員になられるようなら精一杯尽力させて頂きます」
「いや……今んとこ金かけてまで脱したいわけじゃないから」
「そうですか……」
「先生、出費を気にしているなら俺が」
「いやいやいや大丈夫、本当にありがとうなジェノス大丈夫だから」
どうやら私はお呼びでなかったようである。しかし先生と話している時のジェノスさんは、あの日のように陰鬱な虚無感に溢れていなく安心した。沈んでいた黒い目も今日は輝いて見える。私は二人を交互に見ながら薄いお茶を一口すすった。それにしても見事なまでの頭皮だ。毛根の気配が感じられない。もし請け負っていたら相当な難題だっただろう。職業柄興味をそそられて無遠慮に見つめすぎたためか、目が合ってしまい、これは切り込むしかないと覚悟を決めた。
「いつ頃からですか」
「……三年前だけど」
「三年にして……なにか思い当たることは」
「知らねーよ。筋トレしたら禿げたんだよ」
そんな前例は聞いたことがない。サイボーグのS級ヒーローと、禿げたその師匠。世の中には私の思い及ばないものがたくさんある。軽い刺激を求めて行った合コンの結果がこれなのだからOLの人生というのもわからないものだ。
「また気が向いたらご連絡ください」
「はあ」
とりあえず名刺を渡して場を収めた。ジェノスさんは思いのほか満足げな顔をしている。こうして見ると先輩を慕うそこらの高校生のようで微笑ましい。
「先生、俺はここ最近先生のアドバイス通り不特定多数の輩と交遊を試みましたが、やはり俺が今学ぶべきはサイタマ先生のみだと実感しました」
「お、おお」
「しかし先生の言う、力の抜けた交友関係というものの大切さにも気付かされた気がします。彼女と話し、それなりに思うところがあったので」
「そうか……でも適当でいいんだぞ。俺だって友達いないし」
「先生は人に頼る必要がありませんから」
「いや、べつに欲しくないわけじゃねーよ」
「! そうでしたね。どうでしょうか、彼女は先生のお眼鏡に適いますか」
本人の前でやるな、というやりとりを仕方なく無言で見つめた。サイタマ先生は「え、あー」と少し言いづらそうに相づちを打ったが、これ以上ことを荒立てると弟子がまたおかしな方向に頑張りかねないと思ったのか、今までとは打って変わって真剣な顔をつくった。
「そうだな。ジェノス、お前も俺の後ばっかついてないで友達を大事にしろよ。ちょうどいいじゃねえか」
何がどうちょうどいいのかはわからないけれど、彼もまた真剣な顔で「ハイ!」と言った。ちょうどいいらしい私はどうやら彼の友達第一号のようだ。私だって奇縁にして知り合ったこのサイボーグ青年の行く末が気にならないわけではないため、不満はないけれど、果たしてこれから何をすればいいのだろう。育毛を断られた今私にできることは限られていた。キュッと向けられた機械の目に「よろしく、どうも」と曖昧なあいさつをする。
「ところでお前、名前はなんだ?」
「その言い方はねーだろ」と呆れているサイタマ先生の隣でジェノスさんは首を傾げた。とりあえず自己紹介から始めるのがいいようだ。休日の午後、個性あふれる二人のヒーローに囲まれながら、私は平凡なプロフィールを合コンぶりに口にした。
2015.12.29