novel2




 夏、自転車、青い空、白い雲、革ひものサンダル、ロゴTシャツ。ポッキンアイスに、コンビニのからあげ。日焼け止めの匂い。ビニールバッグの感触。
 私の好きなもの。そして、臨也くんに似合わないものだ。

「それで、君は俺に似合わないものを俺の前に並べてどうしようっての」
「それはもちろん、」
「着ないよ。乗らないし、塗らないし、食べないし、飲まない」
「どうして!」

 SPARK!と書かれた量販店のTシャツをビニールバッグから勢いよく取り出してみたものの、すげなく断られ肩を落とした。そんな私を見て彼は嫌そうな顔をする。

 見たことのない夏が見たかった。見たことのない顔。見たことのない景色。感じたことのない気持ち。触れたことのない温度。私がこの夏に望むのはそんなものだ。クラスのはぐれもの、クールでスマートな一匹狼である折原臨也が、Tシャツを着て買い食いをして、青い空の下で私を自転車に乗せてくれる。それこそまさに、私の欲するところではなかろうか。

「どうしてもだよ。むしろどうしてそんなことしたいの」
「どうしてもだよ! 一緒にスパークしようよ!」
「すでに充分スパークしてるんじゃない、君の頭」

 どこまでも冷めた臨也くんは、夏なんていうものは自分とは無関係だというふうに涼しげな顔をしている。ここまで必死に自転車をこいできた私とは正反対だ。キャミソールの内側を汗がつたっていく感触がして、とたんに虚しくなった。二人の間の温度差がひどすぎて低気圧が発生しそうだ。空はこんなに青いというのに。

「わかった、このTシャツは私が着るから、一緒にアイスを買いにいこう。譲歩できるのはそこまでだよ」
「なんで君はそんなに偉そうなのかな?」

 たしかに夏休み初日の朝っぱらからアポなしで家を訪れたのは悪かったと思う。けれど学期最後の放課後に、日直の仕事をすべて放り投げて下校した臨也くんだって相当に勝手だ。

「掲示物はがすの、私一人で全部やった。ゴミ捨ても。体育祭で使った横断幕重かった。なんか男子たちが溜め込んだ変な雑誌とかいっぱいあったし、ジュースのゴミ箱カビはえてたし、結局三往復した。つらかった」
「……」

 季節外れの長袖をまくり上げながら、彼は玄関口でため息をついた。きっと折原家は全室冷房が完備されているのだ。線の細い体を覆い隠す衣服は、まごうことなき無地である。私から言わせればこんなものはノット・スパークだ。夏なら、男なら、ロゴTだろう。じっとりとした目で見つめていると、彼は浸食する外気を遮るようにドアを閉じ、億劫そうに言った。

「重かったら落とすよ」






「重い」
「重くない!はず!」
「重い」

 女子に向かい言いにくいはずの言葉をきっぱり二回言いきった臨也くんは、そうは言うものの見た目より力強い勢いでペダルをこぎ進めている。クリアホワイトの車体に伸びた長袖の腕が、ハンドルを握りしめているその様は、すべてがちぐはぐでなんとも感想が出がたい。見たことのないものを見るつもりでやって来た今日この場だけれど、いざ目の当たりにしてみると私自身が一番混乱した。

「臨也くん、自転車こげるんだね」
「落とされたいならそう言いなよ」
「まさか、うそうそ。がんばって!」
「君さ、俺が好意でこいでると思ったら大間違いだからね」
「どういう意味?」
「さあね」

 不穏な言葉に、ほてった背筋がぶるりとふるえる。午前中だというのに太陽は容赦なく肌を刺した。くっきりとした黒い影がコンクリートの上をうねっていく。

「俺はね、毎日忙しいから、今日くらいは涼しい場所で存分に英気を養おうと思ってたんだよ」
「臨也くん、毎日何にそんなに忙しいの?」
「君がやろうとしてもできないようなこと。掲示物はがしたりエロ本捨てたり、そんなことじゃないことは確かだね」
「悪いと思ってる……?」

 尋ねながらサドルの裏をぎゅっと掴むと、彼がスピードを上げたため背中が後ろにとり残されそうになった。本当にふり落とされたらたまらないので、肩に触れようかと思ったけれど、近くで見る臨也くんの後ろ姿に、教室で見る時とは違うリアルな立体感を感じてしまい手が出せない。まごついているうちに彼がブレーキを握ったため、今度は前のめりになった。おでこが肩甲骨に激突する。

「痛いんだけど。ところで俺財布持ってきてないからね」

 そう言ってコンビニの自動ドアをスタスタとくぐった臨也くんは、アイスのクーラーへ手を伸ばしコーヒー味のポッキンアイスをわし掴む。

「大丈夫。六百円持ってるから、からあげも買える」
「小学生?」

 私は隣のグレープ味を選び、レジの横でからあげを注文した。ありがたかったコンビニの涼しさも数分たてば汗をさまし、体を冷やす。

「薄着しすぎなんだよ」
「八月だよ? 袖のついてるものなんて着てられないよ」

 外へ出れば今度はむわりと外気が肌をつつみ、鳥肌が引っ込んだ。代わりに汗が排出される。こんなことを繰り返していたら自律神経が混乱してあっという間に夏バテになってしまう。熱をためこんだ駐車場は他よりさらに温度が高い。

「あっつ」

 ぼそりとこぼした臨也くんの首筋に、汗が滲んでいる。
 男子にしては白いその肌に浮いた、玉の汗を見て、私はきゅうに心臓が縮むような気になった。自転車やアイスに感じた以上の違和感のようなものが、私の体感温度をますます上げていく。夏の空の下で生理反応を活発化させる折原臨也は、まさに未知のものだ。見たことのない夏がコンクリートの上に浮かんでいる。感じたことのない気持ちが汗ばむ肌の内側に生まれていた。青い空。白い雲。からあげと、ポッキンアイス。足首でサンダルの革が鳴る。

「暑いなら、これ着る?」
「着ないって言ってるだろ」

 臨也くんはとても怖い顔をしていた。不服そうなしかめっ面でポッキンアイスを咥えている。ここまで来てもまだロゴTシャツは着てくれないようだ。私はグレープの果汁を吸いながら、仕方なしに空を見上げた。見たことのない青が広がっている。


夏芽
2015.8.15

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