□05-usubeni
「死に覚え≠チて知ってるか」
私の心臓の少し下、肋骨の隙間を縫うようにして弧月の先端を突き刺した彼は、前へも後ろへも身じろぎできずに立ちすくむ私へ向けて、そう言った。
「元はゲーム用語らしいが、俺たちにぴったりの言葉だよな。致命傷を前提とした臨場感の中でしか積めない経験を、無制限に積み上げられる」
私は確かにと納得し、一つ小さく頷いた。それを合図に刃が胸元へ深く埋まり、太刀川くんの体がすぐそこへ迫る。『トリオン供給器官破壊』無機質な音声が鳴り響き、私は訓練室の床に膝をついた。
「ちょうど二十本。まだいけるか?」
「……あと十本」
「その意気だ」
太刀川くんは嬉しそうにうなずいて、弧月の鞘に腕を乗せる。
ライバルであった迅くんが風刃を手にしてからというもの、彼は久しく意欲をなくしていたけれど、腐っていることにも飽きたのか最近ではまたこうして楽しそうに刃を振るうようになった。彼の調子が戻ってきたタイミングで、その教えを請えたことはありがたい。
オペレーターから戦闘員へ転属し、彼と個人的な関わりを持ち始めてからふた月が経つ。私はこれまで知識として得てきたトリガーのセオリーを、日々こなごなに打ち砕かれていた。戦法への封じ手やトリガーの相性、有利不利といった基本的な対応策が、この男には何一つ通じない。果たして初心者が師事するような人間なのかと疑問に思うこともあるけれど、彼の言う通り「強者との命がけの戦い」を休日の午前中だけで二十回味わえることは貴重なことなのだと思う。
『伝達系切断』
息をつく間もなく音声が響き、私のけい動脈が切り裂かれる。血の流れないトリオン体は斬り口から宇宙のような暗色を漏らし、私は再び、死に覚える。
「機動力が違いすぎる……」
「もっと体鍛えとけ。オペレーションと違って、椅子に座ったままできることには限りがあるぞ」
「生身を鍛えるってこと? 戦うときはトリオン体なのに?」
「トリオン体の機動力に筋力や腕力は直接関係しないが、生身での運動能力が無関係かと聞かれたらそうでもない。とくに弧月みたいにシンプルなトリガーは、体幹の強さとか反射神経みたいなものがもろに反映される」
言われてみれば、ブレードトリガーを扱う隊員は体育会系が多い。私も家へ帰ったあとは生身で型の確認などをするので、筋トレや走り込みがその延長にあるということにはうなずけた。
「トリオン体でも生身でも、動きのイメージを作るのは結局のところ脳みそだ。頭でイメージできない動きはできないし、身体感覚が備わってなければ頭は動きをイメージできない。まあ全部、忍田さんの受け売りだけど」
彼の師匠はボーダー屈指の武闘派だ。日ごろ温厚であるボーダーの本部長が、有事の際に放つオーラは虎の如し、と噂していたのは誰だったか。
「おまえは運動神経が良いから、弧月向いてるよ。元オペだけあって並行処理能力も高いから、弧月とスコーピオンのスイッチアタッカーとかどうだ? オールラウンダーは器用なやつ多いけど、アタッカー時に刃トリガー使い分けてくる奴はなかなかいないし、ハマれば脅威だぞ」
「弧月とスコーピオンのスイッチか……」
スコーピオン一つを取っても、状況に合わせた攻撃方法にはセンスが求められる。そもそもスコーピオンという武器自体が、発想力重視の変幻自在さを売りにした武器であり、シンプルさゆえの強さと安定感を誇る弧月とは対照的なブレードなのだ。その二つを、さらに戦況に応じて使い分けるとなると選択肢は無数に増える。判断能力、処理能力、発想力を伴わないまま選択肢だけを増やせばかえって動きに迷いが出るだけだ。しかし彼の言う通り、モノにできれば相手にとってこれほどやっかいなこともないだろう。
私はとりいそぎ、弧月は太刀川くんの動きを、スコーピオンは迅くんの動きをイメージして動くことに決めた。二人の腕は全隊員の中でもトップクラスである上、迅くんは未来視を駆使した独特の間合いを持っている。おいそれと真似できるものではないけれど、二人の対戦ログは今まで何度も観てきたし、互いが互いの隙を突く動きを磨いてきたためか、彼らの動きは対極でありながら不思議な融和性がある気がしたのだ。
それから数週間、両効きの私は右手で弧月、左手でスコーピオンの鍛錬を主に続けた。その間、太刀川くんにはポイント変動のない模擬戦に幾度となく付き合ってもらったけれど、まさに付け焼刃といえる難易度の高いスタイルが彼に通じることはなかった。
「自分で提案しといてなんだが、やっぱ弧月の二刀流にするか……?」
「太刀川くんと同じことやって、太刀川くんに勝てるわけないでしょ。私はもうしばらくこのスタイルでやってみる。提唱者なんだから責任持って付き合ってよ」
「オーケーオーケー、おまえのそういうとこ好きだぜ。俺に勝てる気でいるところとか特に」
憎たらしく余裕の笑みを浮かべながら、太刀川くんは三歩退がった私の間合いを一歩で詰め、左手をスコーピオンごと斬り捨てた。残された右手で弧月を振りかぶった私は、刃が体の死角になった隙にトリガーを切り替えて、弧月の柄を模したスコーピオンで曲線の一撃を入れる。間合いを読み違えた太刀川くんの胸に刃が突き刺さる、と確信するも、どのような勘の良さからか半身でそれを強引にかわし、太刀川くんはカウンターで私の胸を刺す。
「あぶねえ……! スコーピオン、右手でも使えたのか」
「……太刀川くんの見てないときにコソ練して、両手で使えるようにしといたんだけど」
左右での使い分けをブラフとした弧月風スコーピオンの一撃は初見殺しであったはずなのに、太刀川くんにはそれすら届かないようだ。デジタル音声とともに私の負けが一つ増え、闘争心が一段と増す。
彼の言う通り、私はかなりの負けず嫌いだ。数年間、触れられなかった戦闘用トリガーを手にした今、ハングリー精神だって他の隊員に負けていない自信がある。
そもそも、際限知らずの太刀川くんの鍛錬にかれこれ数ヶ月付き合えているのだから、周囲からは奇異の目で見られるほどだ。もっとも太刀川くんは私との模擬戦と並行して、個人ランク戦を毎日こなしているのだが。
「弧月とスコーピオンのスイッチに加えて、右手と左手のスイッチか。これは地味に相当やりづらいな」
「さっくりかわされたあとに言われると腹立つ」
「俺から一本とるのは百年早い。でもボタンとられたの初めてだな」
太刀川くんの隊服は、先ほどかすめた私のスコーピオンにより胸元のボタンが二つ外れ、垂れている。体に刃は届いていないが、彼の急所近くにダメージを与えられたのは初めてのことだった。
太刀川くんは私の頭にぽすりと手のひらを乗せ、軽く撫でると「さて、次やるか」と言って隊服を再換装する。彼はこうして、私をたびたび嬉しそうに褒めた。
彼もまた好戦的かつ、負けず嫌いではあるが、実力ゆえか常に鷹揚だ。太刀川くんは意外と育成者に向いているのかもしれない。
「いや、それはないですよ」
訓練室を出たところで鉢合わせた出水くんにそう言えば、彼は右手を顔の前でさっさかと振った。
「太刀川さんに三十回ぶった斬られて、そんな顔してられるの名前さんくらいっすよ」
十五歳の少年は、薄いパーカーの裾を揺らしながら呆れたように笑っている。中学生にして太刀川隊の戦局の要を担う彼は、のびしろという言葉が良い意味で似合わないほどに始めからすべてを獲得しているように見えた。卓越したセンスがあり、膨大なトリオン量があり、飄々と動じないメンタリティがある。
そんな出水くんに呆れられるのは少し心外で、私は彼の目をじっと見る。出水くんも来年には高校に上がり、きっと今以上に組織の中核に組み込まれることとなるのだろう。実力至上主義のボーダーにおいては当然のことだが、少し寒気のすることでもある。見つめる私に対し、彼は子狐を思わせる尖った目尻をきゅっと細め「なんすか」と言った。
*
太刀川さんに彼女がいると知ったとき、おれはすごく驚いたし、その相手が元オペレーターの名前さんだと知ったときにはさらに驚いた。三つ年上の名前さんはとても落ち着いて見えたし、対する太刀川さんは謎の安定感を持つでかい小学生のようだと思っていたからだ。外面と肩書きしか知らないボーダー外部の人間からすれば信じられないだろうけど、我が隊長は「戦うことが大好き」とか「人を斬るのが得意」とか、そういうざっくりとしたプロフィールのみでA級上位にまで上り詰めた人だった。まさに才能の暴力である。
そんな人にも特別に思う女の子がいて、どちらから告白したのかは知らないけれど彼氏と彼女の関係にこぎつけていると思うと、高校生ってやっぱりすごいなと純粋に憧れた。付き合っていたら逆に訓練とかやりづらいんじゃないかという、素朴な疑問をおれも初めは抱いていたけれど、太刀川さんは訓練室で見るたびに名前さんの両腕を削いだり、腹を突き刺したり、首を飛ばしたりしていたため、そこでようやく気付いたのだ。太刀川さんだけでなく、名前さんも大概だということに。
「二人って、デートとかしないんですか」
「今日は十時に待ち合わせして模擬戦したけど」
太刀川さんが言いそうなことをしれっとこぼした名前さんを見て、おれは一瞬ひるむも負けじと質問を重ねた。
「……太刀川さん、オフの日とか何してるんですか」
「オフの日って防衛任務がない日のこと? それとも土日? ボーダーに来てない日っていう意味なら、太刀川くんにオフの日はないかも」
オフの定義なんて考えずにした質問だけれど、自分が女なら三日で別れるなと思いながらおれは「へー」と相槌をうつ。
「それより出水くん、このあと模擬戦どう?」
「訓練室でシューターと戦っても楽しくないと思いますよ」
「ガードとレイガストの強度確かめたいだけだから、蜂の巣にしてくれてかまわないよ」
「……まじでトリガーオタクっすね名前さん」
「研究熱心って言ってよ」
太刀川さんは戦闘狂だけれど、彼女はどちらかというと戦術オタクだ。自分にできることは何かと一つ一つ試しながら、トリガー構成や勝ち筋をつかんでいくスタイルは感覚派のおれとは正反対と言える。
「でも、デートか」
このまま訓練室に入り、無機質な床の上でトリガー性能を試し合う流れかと思いきや、名前さんはそう言って眉を下げた。
「デートって、どうやって誘えばいいのかな……いきなり誘っても変じゃない?」
名前さんは唇のあたりに指をあて、ため息をつくように尋ねる。耳のあたりがほんのりと赤くなっていて、それを見つめすぎたおれは返答がだいぶ遅れた。
「……変ではないでしょ。付き合ってるんだから」
なぜだか見てはいけないものを見ている気がして、後ろめたさから視線を泳がせるがべつにおれに非はないはずだ。名前さんは「そっか、そうだよね」とうなずくと、先ほどぶっ刺されたらしいトリオン器官の上あたりを、無意識といった様子でゆっくりとなでた。おれはまたもや、彼女の指先から目がそらせなくなる。
「訓練室行きましょうか……」
おれは生まれて初めて、ブレード使いを少しだけ羨ましく思った。名前さんを嬉しそうに斬り刻む太刀川さんの気持ちを理解したわけでは、断じてない。
「太刀川さん、名前さんってカワイイですよね」
「どうした出水、ライバル宣言か?」
彼女のフルガードをフルアタックで破壊すること十五回。日暮れとともに解散し、この時間に換装を解くとやたらと腹が減るんだよな、と売店付近をうろついていると、個人戦ブースから出てきた隊長と目があった。
「いや、そうじゃなくてですね」
太刀川さんのおごりでコーラを飲みながら、おれはことのあらましを説明する。名前さんは普段落ち着き払っているし、彼氏がいるといってもあまりのろけたりはしゃいだりはしない印象だ。けれどさっきの反応は、まさに恋する女性のそれだった。綺麗系だと思っていたお姉さんのカワイイところを見てしまったおれは、このまま胸の中にしまいこんでいると煮詰まっておかしな気持ちが生まれてしまいそうだったため、太刀川さん本人に同意を求めた。
「ふーん、俺はそんな顔見たことないけどな」
「そりゃ、模擬戦で胴体ぶった斬ってる最中には見れないでしょ」
それなのに彼氏の反応はいまいちである。おれはなんとなく納得がいかず、わけもなく少し苛ついていた。
「まあ太刀川さんはマジの恋愛とかしなさそうですもんね」
「おいおい、俺はマジじゃなきゃ恋愛なんて面倒くさいことしないぞ」
「じゃあ、マジなのに彼女欲求不満にさせてるんですか?」
「あいつ欲求不満なのか……?」
「太刀川さんと違って、バトルで全部の欲発散できる人間なんてそういないですから」
「おまえ、俺を変態かなにかだと思ってるな?」
あえて否定せずストローを吸えば、太刀川さんも何も言わずに腕と脚を組んだ。相変わらずその内心は読めない。けれどこの人のいいところは、絶対に周りに八つ当たりをしないところだ。いつでも一定の位置で情緒が安定している。それを大らかととらえる人もいれば、不気味ととらえる人もいた。おれはどちらかといえば助かっている。ただやはり、女として生まれても彼氏にしたくないとは思う。
*
「街行くぞ、街」
「街? 太刀川隊の防衛任務は昨日終わったでしょ」
「そういう意味じゃなくて」
私が高校から本部基地へと到着し、自隊の作戦室で受験勉強でもしようかとラウンジを横切ったのは午後二時のことだった。ボーダーの学生はボーダーの提携する大学に進学試験のみで上がることができるけれど、必ずしもそこに入学しなければならないという制約もなく、私は非提携私大への受験を考えていた。地道にコツコツと勉強をすることは苦手ではないため、このペースでこなしていればボーダーでの活動と並行しても合格圏内に入れそうである。風が冷え、空気が乾き、世間は受験シーズンをむかえようとしている。
そんな学生の本分を気にすることもない様子で、太刀川くんは私に言う。
「付き合ってるんだから二人で街くらい行くだろ。デートだ」
「デート」
ラウンジの真ん中では、先ほどまで太刀川くんも混ざっていたのか、同期の望ちゃんや一つ上の風間さんたちが何やら世間話をしているのが見えた。望ちゃんが進学試験に落ちることはないだろうけれど、普段の授業もさぼりがち太刀川くんは無事大学へ上がれるのだろうか。
「私、制服だけど」
「制服デートだ。あと三ヶ月しかできないぞ」
確かにとうなずいて、それからようやく彼の言った「デート」という言葉が耳から脳へ伝達される。とたんに手足がぎくしゃくするようで、私はスカートの丈はおかしくないだろうかとお腹のあたりに手を添えた。
「どこ行くの?」
「そうだな、とりあえず……何か食うか」
右手と右足を同時に出しながら、私はなんとか本部の正面玄関をくぐった。後ろから同期や先輩に見られていたら、後でからかわれるかもしれない。つばぜり合いで至近距離まで詰められても、照れなど微塵も感じないというのに、デートと銘打たれただけで機動も反射もめためたになるのはどうしてだろう。