□01-daidai
前線へ出ないという約束のもと、ボーダーへの入隊を許された。
中学の三年次から三年間、オペレーターとしての活動を続けた私が転機を迎えたのは、大学へ上がる半年前のことだった。友人と共に説得材料をそろえ、親に直談判をしたのだ。
「おまえは戦闘員に向いてるよ。トリオン量も多いし、もったいない」
背中を押してくれたのは太刀川くんの一言だった。
十代の半ばから交流のあった同級生は、いつの間にかボーダーの主戦力となっており、その影響力は組織の外部にまで及んでいた。おかげで彼からのお墨付きは強い説得力と、言い知れぬ迫力をまとった。
「危機管理能力についてはきちんと身についてると思う」
私はオペレーターとして培った判断力、俯瞰力、並行処理能力や、戦闘に欠かせない技術的サポートの重要性を述べたあと、その上でずっと、戦闘員としてボーダーに所属したいと思っていたことを告げた。
「彼女は大丈夫です。俺が鍛えるので」
我が家の応接セットに腰かけながら、太刀川くんは堂々とそう言った。年齢不詳の不敵さをたずさえて「守る」でなく「鍛える」と言った彼の姿に、両親は観念した様子だった。
あとから聞いた話によれば、このような青年が活躍する組織である以上、どの道を選んだとしても非日常に身を浸すことに変わりはなく、それならば己を守る力を備えた方がいいと思ったそうだ。太刀川くんはそれほどまで完璧に、非日常を体現した十八歳の男の子だったのだ。
「ありがとね。今日、家に来てくれて」
「なんか結婚の挨拶みたいだったよな」
「付き合ってもいないのに?」
私の決意を知り、できる限りの後押しをしたいと実家まで付き添ってくれた太刀川くんは、ずいぶんと面倒見のいい男だ。私たちは最寄りのバス停へと歩きながら、街を切り抜くようにそびえ立つ防衛機関の四角い影を見上げていた。
高校三年生の秋で、帯のような夕焼けが本部の屋根から地平へと伸びていた。
*
「あんな奴いたか?」
「先月からB級で戦闘員デビューした期待の新人、に見せかけた、結構なベテラン。二宮さんとタメだよ」
迅くんから借りた玉狛支部の模擬戦データを返そうと、戦闘ブース中央のパブリックビューイングへ足を向けたところ、耳に飛び込んできたのは私自身の話題だった。廊下の角で立ち止まり、聞き耳を立てるのもいかがなものかと思いながらも、私は顔を出しあぐねる。
「名前さんは元オペだから盤面を読むセンスは頭抜けてるよ。判断能力も高いし、オールラウンダーの優等生。こっからまだまだ伸びるんじゃないかな」
迅くんの話し相手はどうやらA級シューターとしてその名を馳せる、同輩の二宮匡貴であるようだ。存在はもちろん知っている。けれどオペレーターとしてB級下位でチームをサポートした三年のあいだ、彼と関わり合う機会はほとんどなかった。
「オペ上がりか。通りでそれらしい動きだな」
「ちなみに太刀川さんの彼女」
今この場では必要ないだろう情報を付属され、二宮くんは「は?」という顔をした。実際に小さく声に出していたかもしれない。
「なんで太刀川と? 判断能力が高いんじゃないのか?」
「言うね〜二宮さん」
私が持つ二宮くんの情報源は、ランク戦のログと太刀川くんの発言くらいである。そこから得たイメージとさほどギャップがないことに複雑な気持ちを抱きながら咳払いをすれば、迅くんはこの展開が視えていたのかいやに朗らかな顔で笑った。あけすけな会話を聞かれていたというのに、二宮くんに動揺は見られない。
「これ、ありがとう」
「役に立った?」
「スコーピオン対策、できる限り立てたつもりだけど風間さんは年季が違うね……」
先ほど初めてソロで戦った風間さんの動きは、今までに戦った他の誰とも違っていた。迅くんは「名前さんは対・弧月特化だもんな〜」と言って目を細め、二宮くんに顔を向ける。
「二宮さんも戦ってみたら?」
「格下とやるメリットがない」
ソファーに肘をついたまま、彼は短くそう言った。聞き耳をたてられるどころか、本人を目の前にしても遠慮がないのだから返答に困る。太刀川くんの紹介により、高火力シューターの出水くんと手合わせをしたことは何度かある。同じタイプのシューターであろう二宮くんの恐ろしさにしても、ログを見るだけで充分にうかがえた。いつか戦ってみたいけれど、彼がB級に落ちることはよほどのイレギュラーが発生しない限りありえないだろうし、私がソロ上位に上がるための道のりは遠い。けれど代わりとなるオペレーターを勧誘し、私が前線に出たことで四人体制となった今のチームは確実にポテンシャルが上がっている。チームとしてなら昇格も夢ではない。
「合成弾の対策も考えておくね」
私がそう言うと、二宮くんは頬杖をついたまま「まずは基礎からだな」と言った。その通りである。太刀川くんが言っていた二宮くんの性格は「真面目」だ。それもまったく、その通りである。
*
風間さんを相手に4─1で負けた私は、さっそく自分のログを振り返り、空いた時間で見逃していた先週のランク戦をチェックしていた。
「だいたいここ居るよな〜」
呆れたような声とともに鑑賞ブースに入ってきた太刀川くんは、私の隣に座ると「ほいよ」としるこ缶を差し出してきた。彼曰く、ボーダーの自販機でしか売られていない貴重品らしい。
「風間さんから一本取ったんだって?」
「使わないつもりだった初見殺し試して、ようやくね。迅くんのスコーピオン見ていろいろ練ってはいたんだけど……どうするべきかわかってても、体が動くかはべつだね」
「わかってりゃそのうち動くようになる。それがトリオン体の良いところだ」
「そんなもんかな」
どれだけ理想を追求しても、生身の体に運動センスがあるように、トリオン体にも機動力の限界はある。けれども常人離れした動きをする太刀川くんに言われると、そうなのかもしれないと納得しそうになる。私は画面上で繰り広げられるA級上位同士の接近戦を巻き戻しながら、屋根を蹴った太刀川くんが宙空で弧月を三度振る姿を確認する。一体どんな体幹をしているのだろう。
「俺とは違う意味で戦闘オタクだよな、おまえ」
「実戦から得られるものと、観戦から得られるものは違うから」
入隊当初から現場で戦いたいという願望はずっとあり、もし自分がそこにいたらという仮定のもとあらゆるチーム戦、ときには個人戦、また大規模侵攻時の公開ログまでもを見漁ってきた。私には絶対的に実戦経験が足りないが、四年分のオペレーション経験と蓄えた知識がある。
「そういえばさっき、風間さんに言われちゃったよ。アサルトもスコーピオンも癖のないモーションなのに、弧月だけは誰かさんの型が染み付いてて気持ち悪いって」
「ほーん。俺の型がおまえにねぇ」
「も、もちろん太刀川くんには遠く及ばないけど」
鍛えると宣言した通り、彼は私に弧月の扱い方を教え、使用例とばかりに私の体を斬り刻んだ。知識として得ていたものが自分の体に還元されていく感覚はぞっとするほど有益で、私は手脚を斬られ、胴体を串刺しにされながら彼の太刀筋を学んでいった。
「太刀川くんの剣、好きだよ。こうやって何度も、擦り切れるほど観た」
画面の中の隊員もまた、彼に体を真っ二つにされて空へ飛んでいく。太刀川隊の勝利で終わったログ映像はそこで途切れ、鑑賞ブースに静寂が訪れる。
「おまえ、俺を喜ばせるの上手いよな」
ふと横を見れば、太刀川くんが爛々とした目でこちらを覗き込んでいる。
「……私は太刀川くんの興奮ポイントがよくわからない」
「かわいいやつだよ。昔から」
私の肩に額を乗せ、もたれかかってきた太刀川くんの髪の毛がふわふわと頬にあたる。火照る脳内に、思い浮かぶのは転機となったあの日のことだ。
「なんか結婚の挨拶みたいだったよな」
「付き合ってもいないのに?」
「じゃあ付き合う?」
十八歳の秋。彼は私の家からバス停へと向かう途中で、ごく軽やかにそう聞いた。私は一瞬面食らい、思わず遠くの空に目をやった。帯のような夕焼けに鳥の群れがちらばって、ボーダーの四角い影を超えていくのが見える。
「顔、あか……」
太陽がゆっくりと街に沈む。私の顔の上にだけその赤を残し、空は夜へ向かおうとしていた。
「太刀川くんは、私のこと好きなの?」
「わからんけど、好きじゃなきゃここまでしない気がする。おまえは?」
「わからないけど、いま好きになった気がする」
「ちょうどいいな」
彼は笑いながら頷いた。腕を組み、やや挑発的にこちらを見下ろしている。
気がすると言ったが、私は何かに胸を貫かれるように、確実な衝撃をもってこのとき恋に落ちていた。
その熱がいまだに引かない。彼が毎日、私の胸を突き刺すからだ。