novel2








「げ」
 入室して早々、心底嫌そうに眉をひそめたオベロンに対し、私は装える限りの平静を装う。しかし目ざといこの男が、私の耳朶についた赤い噛み跡を見逃すことはない。
「君、男の趣味が本当に悪いな」
「どういう意味ですか」
 椅子に座るなりそう言った彼に、どう誤魔化たものかと思考をめぐらせた。けれどよくよく考えずとも、そのような必要は特にないのだ。
「……べつに、あなたに操を立てた覚えはないですけど」
「気味悪いこと言うなよ。当たり前だろ」
 私はとっくに用意している彼のカルテを探すふりをしながら、ボールペンの背を一度二度、ノックした。この癖は私が紙のカルテをやめられない理由の一つでもある。
「心配してくれたのかと思いました」
「どうして俺が君の心配をするのさ」
「そういえば食堂の新メニュー、食べましたか?」
「微妙に人の質問に答えないよな、お前」
 オベロンは声を低くしてじっとりとこちらを睨んでいる。私はようやく彼に向き直り、その双眸を見た。よく澄んだ青。汎人類史の空の色だ。
「お前のことなんて気にしてないよ。ただ、嫌いな奴の好きな奴ってどうにかしてやりたくなるだろう」
 どいつもこいつも、ろくな動機を持っていやしない。結局あのあと一睡もできなかった私は、やさぐれた頭でサーヴァントと呼ばれるものたちの人格破綻を嘆く。けれど知性体の代表なのだから、これくらいが妥当なのかもしれない。私自身にしたって大概なのだ。
「そうですか。でも私は最近、あなたのことを気にしてますよ」
「はあ? どういう意味?」
「男の趣味が悪いもので」
 本音を言わない男相手に、本音だけを伝える必要はないだろう。それにどうせ見抜かれる。嘘が通じないというのも慣れてしまえば案外、気楽なものだ。
「……趣味も悪いし、性格も悪いよな」
 肩をすくめたオベロンの体は髪の毛からつま先まで白い。白いままで捻くれた目付きをした彼に、また一つ新たな発見をしボールペンを走らせる。霊基状態良好。霊核安定。魔力供給率、高度維持。再臨段階による言動の変化、多少あり。
「昨夜はよく眠れましたか」
「おかげさまでね。死ぬほど寝不足だ」
 不眠傾向有り。そう書こうとした手を止めて、私は小さく「お大事に」と告げた。舌打ちが一つこぼされ、カルデアの白い床に消える。モンシロチョウのマントが揺れて、内側の夜空がつやつやと光る。
 それは目覚めながらにして見る夢のようだ。
 よくあることである。こと、此処カルデアにおいては。


2021_09_20

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