オベロンはいまだに姿を見せず、また故意か偶然か、カルデア内でばったりと鉢合わせることもなかった。
彼の能力からすれば他のサポートサーヴァントと同じく過労状態に陥っていてもおかしくはないはずだが、果たして無事でいるのだろうか。先日の別れ際があまり良いものではなかったため、ここへ来ることを遠慮しているのだとすれば危ういことだ。
しかし考えてみれば彼はそこまで殊勝じゃないし、そもそも身を粉にしてマスターに付き合うほど生真面目な性格とも思えない。もしかすると上手くその場をやり過ごし、カリブ海の片隅で南国のフルーツでも味わっていたのかもしれない。
そう自分を納得させ、私は通常業務に励んだ。淡々とした昼に、ぐっすりと眠る夜。そんな日々がまた続こうとしている。マーリンもあの日の接触以来、夢の中に現れる気配はない。
その日も夕刻の業務を終え、食堂で夕食を済ませた私は、私室へ戻るためカルデアの廊下を歩いていた。ノウム・カルデアの構造はフィニス・カルデアと違い完全な円状ではないものの、弧を描く廊下に各々の私室が連なる構造は同じだ。人もサーヴァントも一室ずつ部屋を与えられ、必要に応じて休息をとる。今日は普段よりも早い時間だが、診察の予定もないため自室で雑務をこなそうと思っていた。
白い廊下に、広い窓。そんなものを見ていると、かつてしんしんと降り続けていた南極の雪を思い出す。そして同時に、まっさらに漂白された地表の光景がよぎった。ストーム・ボーダーのガリガリという走行音を聞きながら、私はあの時、もう手遅れであると絶望した。何もかもが失われ、誰も彼も戻らないのだと白い地表が言っていた。少女のように足を踏みしめ前を向くことが、私には困難だった。それにどこかで──ちょうどいいと思ったのだ。
そこまで思い返したところで、私は胃の中の夕飯が喉元までせり上がる気がして、口を覆う。
ちょうどいい? 一体何が、どのように?
くらりと意識が揺れ、膝をつきそうになった瞬間、私は白の中に何かを見た。それは床に溶け込むような純白であり、無機質な建材とは異なる温かさを帯びていた。
「ブランカ?」
床に伏す二枚の羽が何かを守るように覆っている。そこにいるものなど見ずともわかったが、私はそっと羽を捲り確かめる。床と羽毛の間で繭のように丸くなっているのは、あの偏屈な妖精王だ。けれど今はどんな生き物よりも無垢に見える。子どもの寝顔がふにゃりと床へたれている。
「オベロン殿!」
どうしたものかと考え込む間もなく、背後から聞こえた声に顔を上げた。甲冑の音とともに、弧を描く廊下から姿を現したのは、声の通りに凛々しい風貌の騎士であった。
「サー・ガウェイン」
「これはドクター。よい夜ですね、と……本来であればゆっくり歓談を交わしたいところですが、些かの事情がありまして」
「はあ。随分とお急ぎの様子ですね」
「そうなのです。ここらで妖精王オベロンを見かけませんでしたか」
「いえ。確かにこちらへ向かったのですか? もしかすると中階段から食堂へ降りたのでは」
「ふむ。確かに彼はこの時間に食堂で果実をかじる習慣がある。確認してみることとしましょう」
ガウェインは顎に指を添えうなずくと、私に深々と頭を下げ、優雅な夜の挨拶を告げ、颯爽と立ち去った。私は彼が階段を下る音を聞いたあと、白衣の内側を覗き込む。とっさに匿った一翅と一人が無事であることを確認し、ほっと息を吐いた。
「ブランカ。彼はだいぶ疲れているね?」
語りかければ彼女はそわそわと触覚を揺らし、黒い目をこちらへ向ける。私はそのまま二人を抱え、少し先の自室まで歩いた。スライド式のドアを開ければ白衣の内からブランカが飛び立って、オベロンを乗せたまましなやかにベッドの上へ着地する。枕元でうずくまるオベロンが目を覚ます気配はない。見たところ外傷はなく、霊基に支障があるようにも思えないので、おそらくこれはまさに過労であろう。
彼のことだから上手くやっていると勝手に安心していたことを反省し、私はその髪を指先で撫でた。うっすらと口を開き、モンシロチョウのマントの中で丸まりながら、彼は小さく肩を上下させている。その上にブランカの羽が重なり、一対の生き物たちはそこでじっと息だけをしていた。
先ほどの流れから予想するに、オベロンは微小特異点においてガウェインと編成を組んでいたのだろう。彼の宝具はオベロンとも、また夏の日差しともこの上なく相性がいい。懸念すべきはその真面目さと、粘り強さだ。この夏新たに召喚された数騎のサーヴァントのため、特異点の平定後も魔力リソースの回収任務に勤しんでいたのだとしたら、オベロンもまたカルデアに戻る暇もなくカリブ海を飛び回っていたことになる。
「ゆっくり休んで。二人とも」
私は明かりを消してブランカの羽をそっといたわった。その白は柔らかく温かく、私の眩暈も吐き気も、いつの間にかどこかへと引いていた。安心して目を閉じる。違う形の生き物が、世界の端で身を寄せ合い、自分の心や誰かの心を守っている。