novel2


2020 0504
KASEKI

 滞りなく時間は流れ、折原臨也という人物がすっかり過去になった頃、彼は同じ形のまま私の前に現れた。

「不気味なくらい変わらないね」
 私はそう言った後で、彼の目の下にクマが浮いていることに気づく。学生時代にたまに作っていたような、寝不足によるクマではない。年月により沈着した消えない跡だ。それは亡霊じみた折原臨也の唯一の人間性であるように、ひっそりと、そこに染み付いている。
 臨也は私の部屋の窓際に立ち、外の様子を眺めていた。変わらないシルエットだ。痩せてもいないし、太ってもいない。立ち方も、喋り方も変わらないが、雰囲気は少し枯れただろうか。
「俺ももう若くないよ。下の世代も、悪魔のようにすくすくと育ってるしね。まったく恐ろしいよ近頃の少年たちは」
 自分の少年時代を棚に上げ、こわこわいと肩をすくめるその素振りもやはり変わらない。けれど言っていることは随分と年寄り臭い。私はちかちかと入れ替わる、彼の変化と不変にあてられて目を閉じた。
 近頃の少年とやらの事情はよく知らないし、もしくは本当に以前より事態は込み入っているのかもしれない。できることは加速度的に増え、意味も目的も細分化して、大人の私たちでさえ日々情報に振り回されているのだ。その中で生み出される新たな邪悪が、以前より生易しいとはとても思えない。けれど──。
「私にとっての悪魔は、いつもまで経ってもあなただよ」
 それは確かなことだ。思い出補正だろうと、懐古主義であろうと、人の青春は一度きりだ。そのとき深く突き立てられた刃物はいつまでたっても抜けないし、血が褪せることもない。この男は私にすべての感情を教え込んだ悪魔だ。生きるにあたり知らなくても困らない、あらゆる感情を私の心に突き立てて姿を消した。何が若くないだ。何が下の世代だ。年齢を理由にして自分だけ次のステージに進もうなんて、そんなことは許されるはずがない。
「ははっ、それはありがたいね。俺の神通力、まだ消えてない?」
 自虐のような軽口を叩きながら、折原臨也は笑う。見慣れた笑みだが確実に変化している。まるで大人のような余裕と諦観を抱きながら形作られるその笑みは、ひどく安定していた。当たり前のことかもしれないが、やはり許せないことだ。
 彼は昔から余裕ぶっていたが、そのじつ常に生き急いでいた。あらゆるものに恵まれながら、いつでも何かを求め喘ぎ、万能と羨まれながらも劣等感に苛まれ、人を愛しながら友に苛立ち、達観したような顔をしながら、何も諦め切れずに、もがく。私を傷つけたのは、そんな哀れな悪魔であったはずだ。
「人間になったような顔しないで。勝手に許された気にならないでよ」
 一体今はいつで、ここはどこなのだろう。彼は誰で、私は何を求めているのだろうか。
「あなたが私にしたことは絶対に忘れないし、あなたがこの街に残したものも無かったことにはならないから」
「……」
「あなたがその邪悪さを、痛々しさを、若気の至りなんてもののせいにして墓に埋めようとしてるなら……私が今この場で殺してやる! 肉体ごと葬ってやるから!」
 詰め寄って、手を伸ばして、気づけば私は臨也の胸ぐらを掴んでいた。喧嘩のときだって、セックスのときだって、こんなに熱を込めて掴みかかったことはない。あるいは、縋っていたのかもしれない。過去を置いていくことは許さないと。
「……あっはははははは!!」
 そうして響いたのは彼の笑い声だった。鬼気迫る私の表情を吹き飛ばすように、彼が間近で笑い声を上げたため思わずよろめいて手を離す。変わらないことを求めたはずなのに、昔からちっとも変わらない空気の読めなさを目の当たりにして、私はやっぱり苛立った。この苛立ちを知っている。この笑い声を知っている。この晴れやかな、無邪気な、人の神経を逆なでするような声色を私はよくよく知っていた。
「君が、君のような人間がいる限り──俺は死ぬまで折原臨也だ。まるで呪いだね。いや違うな、これこそが──」
 臨也は興奮したままそう言って、嬉しそうに目元をこする。
「これこそが愛だろう。ねえ、名前」
 なにが愛だ。こんなものは愛ではない。そう言いたいのに私の口は開かなかった。首を振りながらずるずると膝をつく。折原臨也の長い指が私の頭をゆっくりと撫でる。私は子供に戻ったような気持ちになり、自分の両手を強く握った。
 誰もがあなたを過去にしても、街があなたを亡霊にしても、私はこの手を伸ばしてやる。折原臨也の首根っこを、この手で掴み続けてやる。
「死ぬまで許さないから」
 こんな告白、本当はしたくないのに。

2020/0504

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