novel2




 マスターとサーヴァントには目に見えない繋がりがあり、その繋がりは日々強まったり弱まったりしている。
 一人と一騎の、相性や体調、距離感や信頼関係、はたまた接触作用などによって、行き交う魔力は増減するのだ。繋がりは太く、魔力量は多いに越したことはない。それは目的のため召喚するマスターと、納得のうえ顕現するサーヴァント両名の、共通認識である。
 そういうわけで私たちは、互いの利害のためいつの間にか寝所をともにするようになっていた。そこに他意はなく、またおかしな遠慮もない。はじめこそ、サーヴァントとはいえ男の形をとるものと枕を並べるのはどうだろうと思ったりもした。けれどいくつかの戦いの中でへとへとになりながら拠点へ戻り、体力回復を余儀なくされたとき、仮眠時の距離感が回復効率に関わることにどちらからともなく気付いたのだから、あとは良きに計らうしかなかった。王様は私の魔術師としての力量や魔力量に不満を抱いているようだったけれど、今更そこを追求しても仕方がないと割り切っているのか、できる限りのことをしているといった風だ。
 寝台が狭い、頭が邪魔だ、などぶつぶつと文句を言いながらもいつの間にか互いに慣れ、今では戦いのない日でもこうして隣で眠っている。
 ギルガメッシュ王といえば英雄の王というだけあり、生前は大層色を好んだらしいが、私のような小娘を相手におかしな気を起こすほど落ちぶれてはいない、という本人の談もあり、いつのまにかこちらも意識することがなくなっていた。
 男としての彼のことはわからないけれど、英霊として、サーヴァントとしては強く信頼している。戦闘時の相性もそう悪くないと思う。気分が乗ればこちらが驚くほど軽やかに宝物庫を開錠し、敵を薙ぎ払ってくれたし、そうでない日でも最低限の働きはしてくれた。
 下世話な軽口を叩いたかと思えば仏頂面を貫くこともあり、その気まぐれさに振り回されることも多かったが、時折りこぼされる神託めいた語りかけには深く感じ入ることもあった。また意外とくだけた態度で私生活をともにしてくれることもあり、年の離れた兄のようだと思うことさえあった。
 なのでその夜、突如として発生したトラブルに、上手く対応することができなかったのだ。
 
 しばらく大きな戦闘がなく、有事とは思えない規則的な生活が続いていた。魔術の横行する戦争であったとしても資本となるのは体だ。こんなときに体力を温存し魔力を蓄えておく必要がある。早めの就寝をとり、続けてベットに入ってくる王様の気配をいつも通り背後に感じていた。
 眠りの浅くなる朝方だったと思う。はじめは圧迫感とむず痒さで、どことなく寝苦しく思った。薄く目覚めた意識の端で身じろぐも、上手く力が入らずに息ばかりが乱れる。
 今までも、こちらへ向けて寝返りを打った王様が私の体を押し潰すことはよくあった。「重いです」と訴えながら厚い胸板の下でもがけば、フンと鼻を鳴らし退いてくれたり、もしくは邪魔だと私を壁際へ押しやって、ベッドの中央を陣取ることもあった。そんな日は布団の幅が足りず寒い思いをしたけれど、古代の王からすれば庶民的すぎるこのベッドの上では仕方のないことでもある。
 今夜もそうして私を追いやるのだろうと諦め、重い、と小さく声をあげた。けれど深く寝入っているらしい彼からいつものような反応はなく、代わりに耳の近くに寄せられていた王様の鼻が、すうと大きく息を吸い込んだ。
 横で眠ることに慣れたとはいえ、あまりに近い距離感に胸がざわつく。匂いを嗅ぐような素振りに恥ずかしくなり、私はもう一度寝返りを試みた。そうして気付いたのは、被さるよう私の上に乗っていた腕が、がっしりと腰を掴んでいるということだ。たくましい腕がぐるりと背後まで回っているため、自ずと背が反り、胸が張ってしまう。そこに王様の手のひらが乗った。
「王、さま」
 びくりと体が強張って、どうにかしなければと思う。当然のように動かされる手のひらに気ばかり焦るが、やはり上手いこと手足の自由が効かない。さすがに下着はつけているものの、眠るとき用の柔らかなものだ。その感触が心地いいのか、わし掴むような動きは止まらず痛みが走った。
 王様、と強く呼びかけようとした途端、押さえつけられていた圧迫感がふいに緩み、私はとっさに寝返りを打つ。けれどそれにより事態はかえって悪化した。
 王様が体勢を変えたのはそもそも私を組み敷くためであったらしく、覆いかぶさる形で背後を取られ、先ほどとは比にならない重みが体全体にかけられる。加えて、顔の横にあった鼻先が、私の匂いを追い求めるように肩口に埋まっている。腰に回っていた手のひらは腿の内側にまで降りていた。さすがの私にも、この体勢が示すことくらいわかる。寝息と高揚が入り混じった男の呼吸が首筋にあたる。熱く湿った感触がして、とうとう混乱が理性を上回った。
 呼びかけようにもうつ伏せで押し込められているせいで、枕にこもって声が響かない。体をまさぐる手のひらに明確な意思は感じられず、どうやら雄としての反射で動いているようだった。それにしたって、手慣れている。
 どんな夢をみているのか知らないが、そばにいる女に気易く手を伸ばし、事に及ぼうとしているのだから酷いものだ。生前の王は寝台に女を常に侍らせていたとも聞く。欲の解消のためだけに置いていた後宮の妾もいただろう。古代の価値観においてそれが当然のことであろうとも、私は現代を生きる女であり、そもそも王様とのあいだに結ばれているのは戦いのための契約関係だ。こんなのは嫌だと、必死で体をもぞつかせ王様の目を覚まさせようとするも、そんなことは意に介さぬとばかりに彼は私の首を吸った。指が服の内へ入り、思わず高い悲鳴がもれる。
 王様は鬱陶しそうに顔を上げると、なんだ、という風に私の体を裏返した。すぐさま手のひらで顎を掴まれ、躊躇なく口を塞がれる。抵抗をいなすためのぞんざいな口づけだ。乱暴に割り入ってきた舌に口内を犯され、自ずとあがる自分の嬌声が、二人の間で湿っぽくくぐもる。
 それを聞いた途端──はたと止まった王様の動きに、はあはあという私の喘鳴だけが取り残された。彼がうっすらと目を開けたことがわかったのは、赤い瞳が部屋のわずかな光源を反射してぎらりと光ったからだ。
「……」
 その目をすぐに見開いて、乱れた私の服と情けない表情を一瞥すると、王様は一瞬、虚をつかれたような顔をした。彼がこんな風に驚き、動きを止めるのは珍しいことだ。すぐさまこぼされた舌打ちに恐ろしさが増し、手足はますます硬直する。
「チッ、貴様か……」
 吐き捨てるようにそう言うと、王様は力任せに私の体を押しのけた。その力があまりに強かったため、ベッドの端でバランスを崩し、私はあえなく床へと落ちた。受け身を取る余裕もなく額と肩をしたたかにぶつける。
 怒りに声を張る余裕もなく、かといって何かを聞ける雰囲気でもなく、私は王様の背中を見つめながら途方にくれた。怒っているのだろうか。気配を尖らせたまま壁の方を向いてしまった王様は、片腕を頭の下にやり、呼吸を深くしている。どうやらまた眠ろうとしているようだ。
 まるで何事もなかったかのように夜の静寂に包まれた部屋の中で、私はただ呆然としていた。一連のことがぐるぐると頭の中に渦巻いて、触れられた体がぞくぞくとする。やり場のない熱と寒気が同時に襲うようで、震えが止まらない。
 魔術師なんていう家系に生まれ、非日常的戦闘状態の中に身を置いているけれど、恋や愛に関してはごくありふれた進展を夢見てきた。いつか誰かを好きになって、少しずついろいろな経験をしていくのだろうと漠然と信じていたのだ。寝入った男に性急にまさぐられ、ぞんざいに口を塞がれるなど思いもしない。
 ひとたび戦いとなれば、いかなる痛みにも、恐怖にも、理不尽にも、耐える術を身につけてきたけれど、こんなときにはどうすればいいのかまるでわからない。泣いても仕方ないと思っているのに一度滲み出せば止まらず、腰が抜けて立てないため、必死で息を整えるしかなかった。
 情けない嗚咽が一つ二つ、部屋の中に響いてしまったとき、突如がばりと背後から衣摺れの音が聞こえた。私の心臓は今度こそ大きく跳ねあがり、そのまま止まりそうになる。
「ええい、泣くな!」
 布団をはいで起き上がった王様は、そう言って私を見下ろした。
「我のマスターともあろうものが、情けない声を出すでないわ!」
 そんなことを言われても、自分のマスターに乱暴を働きこんな声を出させているのは王様自身だ。いつもならそう言い返せるのに、どうにも喉が詰まって言葉が出ない。
「何を泣くか……傷を残されても髪を落とされても、涙の一つも見せない女が」
 王様は心底解せぬというように開き直り、偉そうに腕を組んでいる。けれどそんなのは愚問だ。自ら選んだ戦いの中であれば、どれだけの辛苦が待ち受けていても納得することはできる。体の痛みなどは歯を食いしばれば耐えられるものなのだ。
「どうして、こんなこと」
「……ふん、貴様が女の形をしているのが悪い。まったく紛らわしい」
 理不尽な答えを返しながらも、どうにも歯切れの悪い王様は苛々とした様子でため息をついた。どうして私が怒られなければならないのか。勝手に寝ぼけて人の体を弄び、あまつさえ邪魔だとベッドの上から叩き落とすような男に、呆れられる謂れは一つもない。
「さ、最低です……人のことを一体なんだと」
「何を大袈裟な。未遂であろうが」
「でも、初めてだった」
「……」
 言った途端にまた涙が滲み、私は自分でも思いもしなかった自分の弱さに酷く戸惑った。驚いているのは私も同じだ。でもどうしても、いつものように足を踏みしめ、拳を握り、耐えることができないのだ。ふやけたように体の力が抜け、眉もろくに上がらない。
「は……初めてと言っても何かしらの経験くらいはあろうが。若い男女が集団で学び舎を共にしているのだ」
 王様も引いているのだろうか。いつになく抑えた声で尋ねられ、力なく首を振る。魔術師として生きてきた私に人並みの青春時代のようなものはない。だからこそ甘い夢を見ていたのだ。手が届かないからこそ、ありふれたものを欲していたのかもしれない。
「ないです、なんにもない。おかしいですか」
 私はフローリングの継ぎ目を見つめながら、指先で自分の唇に触れた。背中がどんどん丸くなっていくのがわかり、なんだかとても惨めな気持ちになる。再び吐かれた深いため息に、どこかへ消えてしまいたくなった。人間も気分に合わせて霊体化できればどんなに良いだろう。
「……我と床を共にして何も思わぬのだ、処女であろうとは思っていたが」
 やおら組んでいた腕を解くと、王様はそう呟き神妙に目を閉じた。
「女の情緒も身につけぬ小娘に反応することはないだろうと、我とて高を括っていたのだ」
 傍若無人で傲岸不遜、欲しいものにはすぐにでも手を伸ばす王様だが、手を出さぬと言った手前、彼自身もバツが悪いのかもしれない。
「近頃はどうも夢見が悪くてな……生前の夢ばかり見る」
 続いた口ぶりはいつになく自省の色に満ちていた。あまりの珍しさに、感じていた恐怖心すらにわかに薄れるほどである。
「まあ、生娘であろうと男と女だ。いつかはそうなる」
 かと思えば、やはり堂々とそう言って王様は腕を組み直した。反省と開き直りの間隔があまりに短く、驚いた私は再び身構える。男女と簡単に言うけれど、私と彼はまるきり存在が異なるのだ。おいそれと交わって良いものではない。
「生真面目な女だ、魔術師家系の仇か。男を知らぬ女がいれば、それを教える。自然の摂理ではないか」
 うんうんと深く頷く王様を見て、やはりこの男はめちゃくちゃだと思った。己を最高の存在と思えばこそ、奪い、所有することに罪悪感というものを抱かないのだ。
「だが……今宵のことは我の過失だ。もう何もせぬわ。こちらへ来て眠れ」
 王様はそう言うと、今度こそ壁を向いて横たわり、さっさと寝る体勢に入ってしまった。
「明日にでも事態が動いてもおかしくはない。魔力をよく回しておけ」
 彼の言っていることは正しい。束の間の日常に身を浸していたが、この小康状態だってもういくらも続かないだろう。
 私はおずおずと布団をめくり、ベッドの端に潜り込む。こちらに背を向けてくれているのは彼なりの気遣いなのかもしれない。広く逞しい背中は言われてみれば男性そのもので、なぜ今までこれを意識せず呑気に眠っていられたのかが不思議だ。
「……もう寝ぼけないでくださいね」
 けれど今日わかったことは、彼としても軽率に私に触れるのは本意でないということである。
「貴様とて、寝こけているのを良いことに我の胸へ顔を乗せるではないか。記憶にないとは言わせんぞ不敬者が」
「う、うそ」
 さらりと落とされた爆弾発言に瞬時に眠気が遠のいたが、王様は「もう寝ろ」と続け、それきり何も言わなかった。
 どうやら私の安眠は、王様にしては意外なほどの許容と慈愛により成り立っていたようである。慈愛、と言っていいのだと思う。彼の性格を考えれば決して大袈裟な認識ではない。
 この先それがどう変化していくかはわからない。「いつかはそうなる」と言った王様の言葉を思い出し、じりじりとお腹が熱くなる気がしたが、気付かないふりをして目を閉じた。
 王様の体からはほのかな乳香がかおっている。その中にひっそりと、古代の乾いた砂埃と、男の汗の匂いがまぎれていた。同じ生活をしていても彼の体からそれらが削がれることはない。きっと霊基に染みついた、生き物としての王の匂いなのだ。
 また少しお腹の奥がずきりとする。痛みとも違うこの疼きを、私はまだ何も知らない。いずれ知るとしたら、そのときは全てが染みるのだろうか。砂も、汗も、匂いも、慈愛も。この腹の奥へ、魔力とともに。


2020.1.1

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