novel2


は な の か ん ば せ


 白い壁に不釣り合いな茅色の袴が、わずかばかりの風を起こす。
「如何された」
 床の敷物から静かに立ち上がった柳生但馬守宗矩は、穏やかな声でそう聞いた。サーヴァントの私室はどこも同じ設えをしているのに、部屋ごとに空気が違うのは彼らの纏う時代によるものか。柳生さんは私の手元に目をやると、にわかに瞠目し顎を引く。
「相すまぬ主よ。今宵は、はろういんなる宴の夜であったか」
 その口から思いがけず言い慣れぬだろう横文字が出たことがおかしくて、私はこくりと頷いた。
「いんへるの殿から聞き及んではいたものの、如何様な支度をしたものかと悩むうち、あれよと祭り当日に──」
「良いんです。これをおすそ分けに」
 広間で散々楽しんで、部屋に戻り仮装を解いたらなんだか急に物哀しくなってしまったのだ。余った菓子などこの人は食べないと知りつつも、にぎやかしにはなるかと思いチョコの包みを籠に詰めた。
「目に賑やかでよい」
「お酒が入ってるので、甘すぎないと思います」
「ほう。小洒落ている」
 色とりどりのラッピングをつまみながら、顎を触る柳生さんはとても一太刀で敵を斬り捨てるかの武人には見えない。いつでも隙がなく精悍ではあるが、戦場で光るその目も今日はゆるやかに細められている。
「某、甘味の類は干菓子か羊羹くらいしか思いつかぬが、これでよいかな」
 そう言って部屋の奥から持ってきたのは、みっちりと重い一包の筒箱だった。
「わ、栗羊羹ですね。おいしそう」
「お気に召さらば何より。栗はお好きか」
 自分で食べるのか、こうして人に振る舞うのか、常に持ち合わせているらしい羊羹の包みを手渡して、彼は聞いた。
「大好きです」
「それは良かった。こう雪に囲まれていては巡る季節もわからぬが、日の本の暦では秋でござろう」
「はい。この標高じゃ見られませんが、日本の山なら紅葉が色づく季節ですね」
 思わぬお返しが嬉しくていくらか浮き立った声でそう言うと、柳生さんがさらに目元を細めたため、なんだか急に恥ずかしくなった。
「秋がお好きですか?」
 思わずとりとめもなく聞いてしまう。必要以上の雑談をしていいものかと日頃から声をかけあぐねていたこともあり、こうして会話が続くことが嬉しくて仕方ない。
「ええと、なんとなく柳生さんには……秋が似合うと思って」
「ふむ。剣と治世にすべてを捧げた身ゆえ、風流を嗜めぬつまらぬ爺になってしまったが……さように申して戴けるとは光栄至極」
「これ、ここで食べてもいいでしょうか」
「好きな処で食べるがよろしい」
 私を部屋へ通し、お茶を淹れてくれるその仕草はやはりゆるやかだ。けれどよく見ればどの所作も見事に抜け目がなく、武人のそれであることが窺える。漂う煎茶の香りに、祭りに浮かれ終えた心の弛みが温かく満たされた。楊枝の先で割れた栗が小皿の端へころがって、止まる。
「味気なさは否めぬが、私は此処、かるであが嫌いではない」
 柳生さんは不意にそう言うと、穏やかな目尻にわずかな眼光をひそませた。
「剣をはじめ、何かと遣う者が多い。退屈はせぬ」
 落ち着いた態度も静かな口調も、確かな自信の表れなのだと知っている。積み重ねた鍛錬が土台となって彼の重心を低く、低くさせているのだ。浮足立たず、足元を掬わせず、確実に歩み寄り相手の首を落とす。この人の恐ろしさはそこだ。
「私は、退屈させていませんか。私のように平凡な小娘じゃ……」
 途端に不安になって、またもや迂闊な問いをこぼしてしまう。自分で自分を小娘だなんてまた随分と自意識が過剰かもしれない。けれどそれはずっと疑問に思っていたことだ。名だたる徳川将軍に仕え、歴史を切り開いたこの御人が、子や姪ほどの魔術師相手になぜその剣を捧げてくれるのだろう。
「平凡な小娘」
 彼はゆっくりと復唱し、こちらを見る。
「もしや貴殿──ご自分を無害とお思いかな?」
「……え」
「数多の英霊どもを召し遣う女子よ」
 眼光をおさえることなく、むしろ先ほどよりさらに鋭く研ぎ澄ませ、彼は私を見据えていた。ぞくりと背筋に震えが走り、楊枝を持つ指先が震える。彼が敵に向ける視線を、時折り味方の剣士にちらつかせることにも気付いている。無意識か挑発か、それは武人の性というものなのだろう。次の瞬間には何事もなく落ち着き払いながら、素知らぬ顔で殺気を覆う老獪な侍が、今私にその片鱗を向けていた。
「──冗談だ。女子を試す趣味はない。新免武蔵ともなればそれこそ話は別であるが」
 糸を切るように緊張を解き、剣士はまた静かに笑う。
 私の指先も自ずと震えを止め、すぐそこの栗にぷつりと刺さった。
「だが主よ、それは些か過小評価というもの。貴殿に退屈をしたことなどは一度たりとも在りはせぬ。ご安心を召されよ」
「は、い」
 辿々しく返事をして、甘い羊羹を口に含む。すっかり乾いた口の中にじんわりと唾がしみた。
「甘いな」
 鮮やかなセロファンを指で開き、柳生但馬守宗矩がチョコレートを口にしている。それは不思議な光景で、貴重な光景で、私が背負ういくつもの奇跡の一欠片だった。


2018,11,01

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