閑話休題(悟浄編)

 そこには、悄然と空を見上げている悟浄がいた。珍しく一人で、ただじっと月を見ていた。暗闇の中にぽっかりと穴が空いたような真円の月は、煌々と照りながら、まるで優しく見守るかのような光を地上に落としていた。
 延朱が呼ぶと、悟浄はビールの空き缶を口にくわえながら横顔を見せた。

「おー、延朱」
「まだ飲んでたの」
「まーな。月を見ながら酒を飲むのもまた乙、ってな。で、延朱ちゃんの持ってるそれは……」
「スーパーメガマックスコーヒー」
「――どろんどろんになるほど砂糖入ってる奴?」
「甘くて美味しいわよ」
「……いや、イーッス」
「美味しいのに」

 つまらなさそうな顔をする延朱に、悟浄は苦虫を噛み潰したような顔をしながら手を振った。
 すぐに悟浄は自分の隣を手で叩いた。促されているのだとわかった延朱はそこに座った。

「綺麗な月ね」
「――そーだな」

 延朱と悟浄は一緒になって上を見上げた。
 乾いた気候のお陰か、淀みのない空気の中、闇夜にぽつんと浮かぶ白い月。クレーターまでもくっきりと現れているそれを、二人は呆然と見つめていた。少しして隣から火付け石の音がすると、悟浄の香りのする煙が空へとたなびいた。

「あ」

 しばらくの静寂の後、何かを思い出したように声を上げた延朱に悟浄は月から視線をずらした。

「どした?」
「約束、忘れてた」
「なんの?」
「悟浄ブン殴る約束」

 拳を見せて真顔で答える延朱に悟浄は煙草を落としそうになるほど驚く。
 単身カミサマに向かおうとした悟浄が去り際に言った言葉を、延朱はしっかりと覚えていたのだ。言いながら延朱の額にキスをしたのだから忘れられるわけがない。

「そ、そういや、そんな話もあったなァ」
「容赦しないわよ」

 両手を握って関節を鳴らす延朱。それを見て悟浄は顔をひきつらせた。

「え、今なワケ!?」
「当たり前じゃない。思い出したが吉日ってやつよ。ほら、歯ァ食いしばりなさい!」
「え、ちょッ――!?」

 振りかざした拳に悟浄は思わず目を閉じた。次に来るであろう衝撃に身体を強ばらせる悟浄に、延朱は予想外のことをした。

「お帰りなさい。よく頑張ったわね」

 確かに頭には延朱の手が当たった。しかしそれは強い衝撃をお見舞いするわけでもなく、ただ悟浄の頭をゆっくりと撫でただけだった。
 悟浄は驚きのあまり唖然としていたが、微笑む延朱を見ていると急激に気恥ずかしさが沸きあがった。照れくささを隠しながら延朱の手を軽く振り払った。

「――っ、俺はガキかよっ!?」
「まあ、悟空と良い勝負だと思うわ」
「あんな猿と一緒にしないで欲しいんですケド!!」

 火照った顔を見られないように悟浄は俯いて首をさすった。空き缶を灰皿代わりにして吸殻を捨てると、落ち着くために新しい煙草に火をつけた。

「ったく、せっかくいーもん持ってきてやったのによ――」
「何よいいもの、って、」

 悟浄は煙草を仕舞うと、別のポケットから違う物を取り出した。ちりんという軽やかな音に延朱は目を見張った。

「それ……」
「な。いーもんっしょ?」
「どうして――なくしたと思ってたのに……」

 悟浄の手に収められていたのは、カミサマの城でなくしたはずの髪飾りだった。悟浄は口元に笑みを浮かべながら、それを見て目をぱちくりとさせている延朱の肩に手を置いた。

「おーら、後ろ向け」
「え、もしかして悟浄が着けてくれるの?」
「それくらい出来るっつの。なんたって俺は器用貧乏だからな」
「それってあまり自慢することじゃないと思うんだけれど」

 可愛らしい声で笑いながら延朱は言われた通りに後ろを向いた。手櫛で髪をとかしながら悟浄は流れるような手つきで髪を結んでいった。

「上手ね。八戒と同じくらい」
「……こーゆー時は、他の男の名前出すんじゃないの」
「え?う、うん」

 延朱は戸惑いながら頷いた。悟浄の声が何故か哀しげに聞こえた。

「ほーら出来たぞ」

 悟浄が少しだけ離れるのと同時に鈴の音が響いた。
 綺麗に結ばれた髪に触れて延朱は嬉しそうに目を細めた。

「ありがとう悟浄」

 延朱が振り返ると、悟浄は赤い髪を垂らしていた。その隙間から哀しげな色をした瞳が垣間見えて、延朱は眉をしかめた。

「……悟浄?」
「――もう、居なくなるなよ」

 髪を一束だけ掴んだまま、悟浄は一人ごちるように言った。
 無意識のうちに口走ったことに気付いた悟浄は、珍しくあたふたしながら延朱から離れた。

「あ、え、ほら、あれだ、悟空とか八戒が死ぬほど心配してたからよ。もうあんな無茶はすんなってことで、」

 必死に言い繕ってみるが、延朱は瞬きせずに悟浄を見つめていた。悟浄はその澄んだ瞳に思わず釘付けになる。

「――悟浄は?」
「は、俺?」
「悟浄は心配してくれなかったの?」

 延朱に聞かれて、悟浄は言葉を詰まらせた。
 延朱がいなくなった時、どれだけ身を削られるような思いをしたか。どれだけ後悔したことか。戻ってきたことがどれだけ嬉しかったことか。それほどまでに自分にとって大きな存在になっていたということに悟浄は気付いていた。
 色々な思いが一気に溢れて、思わず抱きしめたい衝動に駈られた。しかしそんなことをすれば、今のこの心地の良い居場所がなくなってしまう気がして、悟浄は咄嗟にきつく拳を握って深く息を吐いた。

「……当たり前だろ。どれだけ心配したと思ってんだよ」

 触れたい衝動を一心に押さえて、それでも押さえられなかった気持ちを少しでも紛らせる為に、延朱の頭を優しく撫でた。
 そんな悟浄の葛藤を知らない延朱は、ただ仲間として心配してくれていたのだと喜んでいた。

「ごめんなさい。心配してくれてありがとう」
「……お、おう」

 人の気も知らないで。
 にこにこと花が咲いたように笑う延朱を見て悟浄は内心呟いた。
 それでも、この笑顔を近くで見ていられるのなら、この心地よい距離で一緒にいたいと思って悟浄は決意した。
 もう二度とあのようなことはしないと。そして、あのようなことをさせないと。
 悟浄は決意と共に延朱の頭から手を離すと立ち上がった。

「じゃ、ま、部屋に戻るとしますか」
「そうね。湯冷めしちゃいそうだし」

 立ち上がろうとした延朱の前に、手が差しのべられた。
 延朱はきょとんとしながら見上げると、悟浄は片手を背に回して軽くお辞儀をしていた。

「お手をどうぞ?お姫様」

 そう言ってウィンクする姿はまるで騎士のようで。
 見慣れない姿の悟浄にしばし瞬きをしていた延朱だったが、ふふっと口元を押さえて笑うと、はにかみながらその手を取った。

「河童のナイトなんて初めて見るわね」
「ひどっ!延朱ちゃんまでそゆこと言うわけ!?悟浄サン結構ショッーク」
「冗談よ。とても頼もしく見えるわ」
「だっしょー?延朱専用のナイトですから、なんでもお申し付けくださいってな」
「本当に?じゃあコレもう一本買って頂戴」
「やっす!え、つかまたそれ飲むワケ?メガマックスコーヒー」
「寝る前の一杯よ」
「……他のことはすっから、それだけはやめよーぜ。俺が寝れなくなる」

 二人は手を繋ぎながらそんな他愛のない話をして、ゆっくりと歩いてその場を後にした。
 月だけがその姿を見続けていた。





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