閑話休題。(悟空編)

 
 そこには、悄然と空を見上げている悟空がいた。珍しく一人で、ただじっと月を見ていた。暗闇の中にぽっかりと穴が空いたような真円の月は、煌々と照りながら、まるで優しく見守るかのような光を地上に落としていた。
 延朱が名前を呼ぶと、悟空は驚いた表情で振り返った。

「わっ、延朱」
「どうしたの?悟空、こんなところで」
「うん――なんか寝れなくって、さ」

 相手が延朱だとわかり、悟空はふっと笑って再び上を向いた。

「隣、良い?」
「うん」

 隣に座って、延朱も同じように上を見上げる。雲の切れ目から、表面がくっきりと見える程綺麗に光る月が顔を覗かせていた。
 それを見ながら悟空は頭の後ろに手をやって体を伸ばした。

「……なーんか、色々あったなあって思ってさァ」
「色々あったわね」
「三蔵、殺されそうになったし」
「あら、食べ物の話じゃないの」
「延朱までそんなこと言うのかよッ」
「ごめんなさい、冗談よ」

 延朱が苦笑しながら言うと、ふてくされて口を尖らせた悟空はすぐににこりと歯を見せて笑った。

「――本当、色々あったわね。みんな何十回と死にかけているし」
「悟浄なんて木になるとこだったよな」
「懐かしい。あー、今思うと、あのまま木にすれば良かったかも。人類の為に、というか全ての女性の為に?」
「どうだろ。悟浄だったら木になっても女のヒト追っかけそうだけど……」

 二人はそう言いながら想像していた。悟浄が木となり根で歩き回りながら女性を追いかける姿を。木の上の方には触覚が備え付けられているところまで二人の想像した姿は一緒だった。

「フッツーにありえそう……」
「想像に難くないから困るわ」

 悟空と延朱は目を合わせて微笑んだ。それからまた、昔話に花が咲く。

「気持ち悪いゾンビ男に追い掛け回されたこともあったし、砂漠で生き埋めになったし。あれはマジで死ぬかと思った」
「そういえば、あの後悟空一回死んだじゃない」
「そういえばそうだった。瓢箪に詰められたっけか」
「八戒と銀朱と一緒に」
「あー、思い出した!あれ瓢箪から戻った後ヤバかったんだぜ」
「何が?」
「しごこーちょく。」
「そんなことも言ってたわね。どんな感じだったの?」
「もう身体カッチカチでさ。自分の身体じゃない感じっていうの?」
「へえ、面白そうね。一回なってみたいかも」
「たまーに、延朱の考えてることがわかんなくなるわ、オレ」

 ふう、と短く溜め息をついた悟空に延朱はこれまでのことを思い出しながら相槌を打った。

「初めて、負けたよな……」
「――そうね」

 圧倒的な力の前に、皆なすすべなく倒れ伏したことは記憶に新しい。あのまま死んでいればこのように昔を懐かしむこともできなかったことを思えばゾッとする。それ以上に怖かったものが悟空には一つだけあった。

「……延朱がいなくなるかと思った」
「え――」
「もう、ああいうことすんなよ」

 悟空はいつになく真剣な表情でたしなめるようにゆっくりと言った。
 カミサマの場所に残ったことを悟空は言っているのだと延朱はすぐに気付く。
 死の恐怖よりも、延朱がいなくなることが怖かった。
 それも、ただいなくなるわけではなく、自分が弱いせいで、延朱を奪われることが何よりも恐ろしく思えたのだ。
 
「マジでもう、誰もいなくなって欲しくないからさ」
「……うん」
「銀朱もだからな!?」
「うん」
「もうどこにも行くなよ!」
「ええ」
「約束だぞ」

 真顔で眉を寄せながら悟空は右手の小指見せるように立てた。
 表情は男らしいのに子供らしい仕草に延朱は思わず微笑むと、同じように小指を差し出して悟空の小指に絡めた。

「「ゆーびきーり、げーんまーん」」
「うーそつーいたーら……何にする?」

 延朱が聞くと、悟空は少し考えてからぱっと笑って白い歯を見せた。

「爆睡してる三蔵を起こす!」
「死ぬわね」
「八戒でも良いかも」
「ち、塵も残らないわよ?」
「そのくらいの方が面白いじゃん。スリリングだし」
「約束でもなんでもなくなってる……」
「えーと、じゃあ……延朱を嫌いになる!」

 思いがけない言葉に延朱は目を丸くして数回瞬きをした。しかしすぐにふっと笑うと小指を振った。

「――そんなこと言われたら、破れるわけないじゃない」
「だって約束だし。今度どっか行ったら、延朱のこと嫌いになるかんなっ」
「わかったわ」

 小指を揺らしながら最後まで言い終えると二人は指を離した。だが悟空は離れた小指をじっと見つめている。なにやら神妙な面持ちをしながら悟空は言った。

「指切った後で悪いんだけどサァ……」
「ん?」
「もし、もしだぜ?もし約束破ったとしてさ……どうやったら延朱のこと嫌いになれんの?」

 指を弄りながら困惑した表情をする悟空。思わぬ言葉に延朱は再び目を見開いた。
 延朱は考える素振りをしてから目を細めた。

「無理ね。私も、悟空のこと嫌いになれるはずないもの」
「だよなぁ」
「でも指切りしちゃったんだから約束守らないと」
「約束の約束!?破れねーッ!」

 悟空は笑いながら頭を両手でかきむしった。延朱も一緒になってくすくすと口元を押さえながら笑った。
 二人で笑いあっていると、悟空が何かを思い出したようにはっとした表情になった。

「あ、そだ。延朱」

 ごそごそと身体中を探して、何かを取り出した。ちりんという軽やかな音に延朱は目を見張った。
 悟空の手に収められていたのは、カミサマの城でなくしたはずの髪飾りだった。

「え?そ、それ、劉さんの――どうして悟空が?」
「えーっと……落ちてた」

 悟空は目をそらしながら頬をかいているが、延朱は髪飾りに目が向いていて気付かない。手渡された髪飾りを大事に胸元に寄せて、延朱は目を閉じた。ほっとしたような、嬉しそうな顔をしている延朱を見て悟空も微笑んだ。
 悟浄から『お前が渡すべきだ』とそれを渡された意味がわからなかったが、こうして延朱の喜ぶ顔を見たことで細かいことは吹き飛んで、悟空自身も嬉しくなった。
 髪飾りを着けた延朱を見て、悟空は口元を緩めた。

「やっぱ、似合う」
「ありがとう――」

 悟空はしっかりと力強い眼差しと口調で言った。悟浄と絡んだり、三蔵に怒られているの悟空時とはまるで違う大人の表情に、意表を衝かれた延朱は唖然として瞬きをした。

「なんだか男の人みたい。格好いいわよ」
「はぁっ!?意味わかんねーしッ」

 悟空は頬を染めながら口を尖らせた。延朱はにこにこしたまま悟空の顔を覗いている。たまらなくなったのか、悟空は鼻の下を指で擦りながらすくっと立ち上がった。

「戻ろーぜ。八戒も心配してるだろうしさ」
「そうね」

 悟空につられて立ち上がろうとする延朱の前に、右の掌が差し出された。それの意味がわからず、延朱は悟空の顔を見る。こちらを向いていなかったので表情は全く読めないが、何故か耳が赤くなっていた。

「――悟空?」

 はっとして肩を飛び上がらせた悟空はしどろもどろに答えた。

「いや、さ、ほら。こーゆー時は、男がこうするって悟浄が言ってたから、さ。なんだっけ、え、エス……エスカルゴ?」
「――もしかして、エスコート?」
「そうそれ!」

「ちょっと似てるけど、全然違うわよ」
「い、良いんだよちょっとくらい違くても!延朱、ほら!」

 どうやら部屋まで付き添ってくれるらしい。紳士的な態度をしてみたものの、言い間違いをするところは悟空らしい。
 悟浄もふしだらなこと以外を知っているのだなと内心驚きながら、悟空の手をとって立ち上がった。

「――悟空の手暖かいわね」
「延朱も暖かいぞ。八戒はちょー冷たいけど」
「確かにそうね。でも手が冷たい人は心は暖かいって聞くわよ」
「え、じゃあ俺ら心冷たいの?」
「手が暖かい人は心も暖かいのよ」
「どっちもかわんねーじゃんっ」

「当たり前よ。そんなことで人の良し悪しが決まったら困るもの」

 二人は手を繋ぎながらそんな他愛のない話をしてゆっくりと歩いてその場を後にした。
 月だけがその姿を見続けていた。





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