相も変わらず。桜は枝枝を空へと伸ばし、儚げな色をした花弁を絶え間なく降らせ続けていた。そんないつも通りの、何も変わり映えのしない一日だとその時の僕は思っていた。あの人が来るまでは。



 あなたがいるから。



「天蓬、どこなの天蓬!?」

 聞き慣れた声がけたたましい扉を開けた音と共に僕の耳に届く。いくつかの扉を同じように壊すような音を立てながら、ついに僕がいる部屋の扉を壊して入って来たのは延朱だった。僕は驚きのあまり、その場を微塵も動けずにいた。
 ちなみに延朱が壊したのは風呂場の扉で、風呂場でする事といえば勿論入浴で、久しぶりに入った風呂でシャワーを浴びながら髪を洗っている真っ只中。言わずもがな、服は着ていない。

「延朱……?」

 延朱はといえば、どこかで演舞を見せてきたのか煌びやかな宝石がたくさんついた限りなく露出の高い服を着たまま、僕を見るやいなや物凄い形相で風呂場に駆け込むと、濡れるのも構うことなく僕の顔や腕に何かを確かめるように触りだした。

「な、何なの、どういうこと!?」
「あの、延朱、どういうことか僕が聞きた、」
「言われたのよ、捲簾に!貴方が戦場で重傷を負って、虫の息だって、それで、それで……なんで何ともないのよ!?」
「――僕が聞きたいくらいですよ」

 半ば切れ気味の延朱に僕は頭を抱えながら溜め息をついた。途端、彼女は耳をつんざくほどの声をあげながら僕に背を向けた。

「て、てんほ、天蓬、服!!!」

 今更僕が全裸だと気付いて乙女のようなリアクションをしたようだ。男の身体をあまり目にしない延朱には耐えられない姿だったらしい。

「ここ風呂場ですよ。服着てないのは当たり前です。ていうか貴女こそ着てるかわからないような服着てるじゃないですか」
「これは、仕事着なの!仕方がないのよ!貴方とは違うのー!」

 なんて理屈だと思いながら、いそいそと僕はバスタブの湯で身体を隠すしか出来なかった。なんせ入り口の前に延朱が立っているので出ることができないからだ。浴槽に浸かりながら、ふとブツブツと文句を流し続ける延朱の後ろ姿に、僕は釘付けとなっていた。
 髪を結い上げているので普段隠れているうなじが目にはいる。次いで、無駄のない背筋、ほっそりとしたくびれ、ヒップライン。見えそうで見えない衣装が邪魔をして、より一層妖艶さを増している。その姿は目に毒だと思ったのと同時に、今までにないほどの独占的で僕を掻き立てる。こんな姿を他の男たちに見てもらいたくはない。見せたくない。
 そんな折、僕は延朱の異変に気付いた。少しだけ肩を震わせながら、時たましゃくりあげるような動作を僕は見てしまったのだ。

「どうしたんですか?」
「――なんでも、ないわよ」

 明らかに上擦っていて鼻が詰まった声色。どれだけ鈍感な人間でも感づいてしまう。終いにはこの一言。

「何もなくって、良かった……」

 聞き取れない程小さな声だった。本人は心の内で言ったのかもしれないが、その言葉は間違いなく僕の耳に届いていた。そんなことを言われてしまえば、どれだけ貞淑な武人であれ、悩殺するに決まっている。
 そんな毒牙にまんまとかかってしまった僕は、衝動的に延朱の腕を掴むと体を勢いよく引き寄せた。僕の身体はバスタブの中に入っていたわけで、結果、延朱の身体も水しぶきをあげてその中へと落ちてきてしまった。

「――ぷはッ、ちょっ、何てことしてくれたのよ!」

 びしょびしょ、というよりかは完全に湯に浸かってしまった延朱は大声をあげて怒鳴った。それにかまうことなく、延朱の体を後ろからきつく抱きしめた。

「……心配させてすみませんでした」
「べ、別に心配なんて、」
「もう、そんな思いはさせませんから。だから泣かないでください」
「〜〜泣いてなんかいないわよ!」
「そうですか」
「あ、当たり前でしょう!そんなことで、な、泣くわけないわよ!」
「そうですよね。すみません」

 きゅっと回した腕に力をこめる。風呂の湯のせいかもしれないが、触れた肌同士が熱くなっているような気がした。

「で、でも、それにしたって、これはないんじゃないの!?」

 怒り心頭というよりも、動揺した表情で訴える彼女に、僕はいつものように微笑み返す。

「濡れてたし別に良いかと思いまして」
「良いわけがないでしょう!?」
「たまには良いじゃないですか。ほら、今日は草津の湯です。下界の名湯ですよ」
「かっ、関係ないわよ!というか、どうせ入浴剤でしょ!」
「おや、入浴剤を侮ってはいけません。効能だって一応あるんですから」
「だからって一緒に入らなくても良いでしょうがッ!」
「――嫌なんですか?」
「嫌とかそういうことじゃなくって、服着てるし、」
「延朱は、僕の事が嫌いなんですか?」

 僕は思い切り眉尻を下げて唇をへの字に曲げた。それを見てか延朱は「うっ」と言葉を詰まらせて黙ってしまった。こういう時に悲しそうな声を出して悲しそうな顔をすれば、延朱はいつもこうやって黙ってしまう。そして――

「き、嫌いなわけ……ないじゃない」

 こうやって少しだけ顔を染めて俯くのだ。僕自身でさえ狡賢いと思うこの手に、毎回同じように引っかかってくれる延朱が可愛らしくて仕方がない。

「良かった。じゃあ、はい。肩までちゃんと浸かってくださいね」

 延朱を後ろから抱きすくめる形で浴槽に身体を沈めると、しばらくして延朱が蚊の鳴くような声で呟いた。

「…………アヒルは」
「ありますよ、勿論。はい」
「水鉄砲は?」
「ハンドガンとマシンガンのやつがありますよ」
「ハンドガンでお願い」
「かしこまりました、お嬢様」

 ハンドガン型の水鉄砲を手渡すと、延朱はそれを浴槽の中に浸けた。水鉄砲の中に水を入れる傍ら、僕は悟空が置いていったシャボン玉を見つけた。それを吹いていくつかシャボンの玉を宙に浮かべてから僕は延朱に言った。

「あれを的にしましょう」
「あら、良いわね。負けた方がお風呂上がりにジュース奢ること」
「良いですよ。受けてたちます」

 いつの間にか機嫌の良くなった延朱は、水鉄砲でシャボン玉を割ろうと必死になっていた。僕はそれを見ながら適当に水鉄砲を撃っていく。勝ったら後でどやされるからだ。

「やたっ、当たった!天蓬見てた?」
「見てましたよ。お見事です延朱」
「ざっとこんなものよ」
「おーい天蓬、いるかー?」

 そんな時、部屋の奥から僕を呼ぶ声がした。その声はすぐに僕の居場所に気付いたようで、迷いなく風呂場に近付くとガラリと扉を開けた。

「「あ」」

 目線があって煙草を口から落としたのは友人であり西方軍大将でもある捲簾だった。一瞬目をむいた捲簾だったが、二人の姿を見るとニヤニヤと鼻の下を伸ばして口に手を添えた。

「アラヤダ、こんなとこでやらしぶッ!?」

 話している最中だったにも関わらず、捲簾の顔に思い切り水か飛んだ。それは延朱が水鉄砲を捲簾に向けて発射したものだった。

「何すんの延朱ちゃん!」
「貴方、さっき嘘吐いたでしょう」
「――――あ。」

 数秒考えた素振りをして、捲簾は苦笑いをしながら頭を掻いた。たった今思い出したらしい。

「貴方のせいでこんなことになってるんだからね!?」
「楽しそうな声がしたんだけ、」
「何か言った!?」
「い、いいえ!」
「というか捲簾、どうしてすぐにわかるような嘘ついたのよ」
「いやあ、ホラ。昨日天蓬からさぁ、明日は下界ではエイプリルフールっつって、嘘ついても良い日だって聞いたから……ついぶッ」
「つい、じゃないでしょうがッ!貴方のせいでどんだけ恥ずかしい思いをしたと思うのよ!?」
「僕は楽しいんで別に良いんですけどね」
「よくない!」

 再び怒りの矛先を僕に向けて怒鳴る延朱を見て、捲簾はしめた、という顔をした。そしてそろりそろりとゆっくりと足を動かして風呂場から出て行こうとしていた。それを僕が見逃すはずがない。

「延朱、捲簾が逃げますよ」
「……そうはさせないんだから!」
「わ、ちょっ、待、」

 延朱は浴槽から身体を思い切り乗り出すと、捲簾の腕を掴んで引っ張った。

「よいしょっと」
「天蓬、お前まで!?」

 それに合わせるように捲簾の空いていた腕を掴んで引き寄せた。
 おかしな声をあげながら、捲簾は無事に風呂場へとダイブした。

「〜〜ッは、てめぇら馬鹿じゃねーの!?」
「道連れよ、捲簾」
「三人でお風呂なんて楽しいですねぇ」
「三人中二人は服着てるし!」
「小さいこと気にしないの。はげるわよ」
「どこぞの誰かと一緒にすんなッ!」
「はい捲簾。シャボン玉を一番多く割った人が勝ちですから。負けた人は夕飯奢りですよー」
「さっきより高価になってるんだけれど」
「――負けられっか!」

 半分以上お湯がなくなっているにもかかわらず、僕らはそれから何十分も遊びながら風呂場で過ごしたせいで、数日間風邪を引いたのは言うまでもなく。
 ちなみにこの後、悟空が参戦し、捲簾が夕飯を奢らされたのでした。




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