「さあ、どうしたものですかねぇ」
「どうしたものかしらねぇ」

 一片の曇りもない空を見上げ、僕と延朱は言った。


possibility


「集合時間にみんなして遅れるなんて……いつものことね」
「フォローのしようがないですね」
「遅刻したら殺すって言ってた人が何してるのかしら」

 そう言って延朱はふと助手席に目を向けた。僕はそれをバックミラー越しに見ていると、急に真顔になった延朱が立ち上がって助手席のシートに手をかけた。かと思えば「よいしょ」という、なんとも老いた掛け声をしながら助手席を跨いで移動した。
 僕は思わず目をぱちくりしてしまった。

「何、してるんです?」
「鬼の居ぬ間に三蔵の気分を味わっておこうかと思って。あ、でも居心地良かったら変わってもらおうかしら」
「そんなこと言ったら殺されると思いますよ」
「やっぱりそうよね」

 僕と笑いあってから延朱が助手席に座るその光景がなんとも珍しくてじっと見つめていた。
 延朱はキュロットスカートの裾を手で抑え付けながら座った。元お嬢様育ちなのが垣間見えて、内心ドキドキしたのもつかの間、僕は吹き出してしまった。
 座る事は勿論出来た。だが延朱は顎を上げたり、少し前のめりになったりしている。
 延朱の目線がちょうどフロントガラスを支えるカバーの位置らしく、前を見る為には背中を背もたれに付ける事は困難の様だ。前を必死になって見ようとするその姿がなんだか可笑しくて、頬が緩んでしまったのだ。
 それに気付いた延朱はぶすっとした顔をして、背もたれに体を預けた。体がずるずると椅子の前にあるスペースにずれていく。

「――後ろにいるよりここに居る方が疲れる気がする」
「まあ、三蔵が椅子の位置調節してますしね」
「何よそれ。物凄く贅沢じゃない。狡いわ」

 更に膨れた頬を見て僕は声を出して笑ってしまった。
 しばらく笑ってしまったのだが、ある事に気付く。いつの間にか隣の延朱が僕の顔を見つめていたのだ。気付いた僕はぎょっとして硬直してしまった。

「な、んです?」
「貴方の顔がよく見えるわ。やっぱりこの席も悪くないわね」

 そんな言葉を、澄んだ瞳で、見惚れるほどの笑顔で、好きな人に言われれば僕だって動揺しないわけがなかった。

「……事故起こしそうなんで、やっぱり延朱は後ろに居てください」
「え、どうして?」
「――――そんなに見つめられたら照れちゃって、ハンドル操作に支障がきそうで」
「えっ!?あっ、ごめんなさい」

 延朱は頬を染めるとわたわたしながら後部座席に戻っていった。
 胸の動悸が早いのを止める為に深呼吸する様に為をついた。すると、背後からも僕と同じ様に溜め息を付いた延朱の声が聞こえ、図らずもバックミラーを覗いた。
 バックミラーの延朱が顔を上げ、同時に視線が交わった。

「……やっぱりこっちのが良いわね」

 ふわりと笑った延朱に僕は釘付けとなる。

「こうしてバックミラー越しに話すの、嫌いじゃないもの」
「――僕もです」
「それにしても、遅いわねみんな」

 延朱の視線が外れるまで、なんとか誤魔化して笑顔を作ったまでは良かった。だが、そこから延朱から目を離す事ができなかった。
 延朱が伸びをして街の方を見つめている。
 こうして二人でいる事は少なくはなかった。相部屋となって一緒に過ごしたり、買い出しに行ったりしたとしても、三人が合流するのは前提の事だ。しかし、もしも、その二人で居る事に際限が無くなるとしたら。
 誰にも、何も言われる事なくこの人と一緒に居られるとしたら。
 考えを巡らせていると、無意識のうちに口が開いていた。

「延朱」
「何かしら」
「このまま、二人で何処か行っちゃいましょうか」

 しまったと思った時には遅かった。バックミラーを見れば、延朱は口と、大きな瞳を更に見開いてこちらを見ていた。
 無自覚に放った僕の言葉に、僕自身が驚いていた。きっとこれは願望なのだろう。好きな人と二人で過ごす。小さい願いにも聞こえるが、今の状況と僕の心境では、一大事なのだ。そもそも延朱に自分の気持ちを伝えていないのだから、二人で一緒に居てくれという願いすら、叶わない事なのかもしれない。

「何処かって、どこに?」
「――ちょっと言ってみただけなんで、あまり深く考えないでください」
「まあ、そうよねえ。二人でなんて無理でしょうし。そもそも八戒がみんなを置いていくはずがないもの」

 慌てて誤魔化してみたものの、それに対して至極当然の事を言われ、僕は落胆の色を隠す事ができなかった。それを延朱に悟られなかった事だけが救いだった。
 バックミラーから視線を下げ、ハンドルを見つめた。
 こんな気持ちになるのなら、言わなければ良かった。遠回しに一緒に居たくないと言われた様な気がして、まるで自分の気持ちを否定された様な気分だった。延朱が悪いわけではない。ここまで想いを膨らませすぎた自分が悪いのだ。自分自身、ここまで延朱の事を好きになっていたなんて、この心境になるまでは夢にも思っていなかったわけではあるが。
 悶々としていた僕を余所に、延朱は僕の運転席の背もたれに掴まると、少しだけ体を乗り出した。
 顔を上げた僕のすぐ隣に延朱の顔がきて、僕の胸が鼓動を強く打ち始めた。
 延朱は僕を見るとはにかんで笑って言った。

「でも、八戒と二人なら何処でも良いわ。貴方となら一緒に居るだけで良いんだもの」

 一瞬延朱の言葉を聴きなおそうかと思うほど頭の中に入ってこなくて。
 理解するのに数秒もかかってしまった。その間にも僕の胸がおかしいほど早く打ち、さっと茹だった様に顔が赤く火照っていった。
 不意に遠くの方で僕達を呼ぶ声がした。それが延朱にも聞こえた様で、ジープの上で立ち上がって大手を振った。このタイミングで悟空達が合流した事に、本当に感謝の言葉しかない。

「ようやく来たみたいね。あーあー、大人二人が喧嘩してるのを悟空が仲裁してるわよ」

 先ほどの僕を見なかった様で、延朱は歩み来る三人を見て苦笑していたが、ハッとしてジープを降りていった。

「えっ、悟空、血が出てるみたいよ!?」
「あ、いえ、多分あれは返り血――って行っちゃいましたね」

 ようやく延朱に声を掛ける事が出来たのもつかの間、延朱はものすごい速度で悟空に向かって駆け出してしまった。
 悟空が何故か半分以上が赤く染まっていた。延朱はそれを心配した様で、あちこち身体を触っては、大丈夫だからと笑う悟空に怖い顔をして詰め寄っている。
 それを見ながら僕は自分の胸に手を置いた。

「二人、か――」

 延朱の言葉が何度も頭にこだまする。さっきまで悩んで落ち込んでいたのが嘘みたいに心が晴れ、変わりに上がりに上がった心拍数ですら心地よく感じた。
 こうしていつも、延朱は僕の欲しい言葉をくれる。あぁ、だからかと僕はゆっくりと息をした。
 だから延朱を好きになったのだと。
 二人で何処かに行くことはできなくても、一緒に居るだけで良いと言ってくれた事が、何よりも僕の胸に響いていた。
 嬉しさに色めき立つ気持ちと、ただただ緩んでいく頬を四人に見られる前に、僕は雲ひとつない青空に向かって深呼吸したのだった。



  TOP
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -