それは、悟空の一言がきっかけだった。

「なぁなぁ、延朱のいた世界ってどんなとこだった?」

 そろそろ街に着くかという時だった。昨日の雨はすっかり止んで、抜けるような青が広がる空に合う、綺麗な花々が咲く草原の中をジープは走っている。
 それまでは他愛のない話をしていただけなのに、その話題になった瞬間、爛々と目を輝かせて聞く悟空とは対称的に、延朱がほんの数秒顔をひきつらせたのを僕は見てしまった。

「そうね……こことあまり変わらないところだったわ。でも――」

 すぐに延朱はにこりと笑って見せた。

「ここの方がずっと、素敵な世界だと思うわ」

 その笑顔が、僕はひどく悲しそうに見えたのが印象的だった。


raison d'être



 街に着くと、すぐに僕たちは宿を取って夕飯までの休憩をとることになった。
 二部屋とれたうちの一つに、延朱以外の四人は集まっていた。延朱がそちらで着替えているからだ。

「――やっぱ、聞いちゃ行けなかったのかな」

 ベッドにうずくまる悟空の表情は普段とは違って雲っていた。それを隠すようにして枕を抱いているのだが、声色で落ち込んでいることが手に取るようにわかった。
 ジッポの蓋を軽い音を立てて締めると、悟浄は溜め息混じりにタバコをふかす。

「まー、なんだ。あんま昔の話、しねーしなぁ」
「くだらんことを聞いたお前が悪ぃんだよ」

 三蔵がピシャリと吐き捨てると、悟空の背中は更に丸くなっていった。

「だ、だってさぁ……外の、他の世界のこと聞きたかったんだもんよ。食いもんの話とか面白い事とか……食いもんの話とか!」
「要は食いもんの話が聞きたかっただけだろうが」
「悟浄だって気になんだろ!?」
「――ま、興味がないってわけじゃないけどよ」
「聞かれたくないことの一つや二つ、お前らにだってあるだろうが。たまたま延朱の聞かれたくないことがそれだったまでだ。そんなに悩むぐらいなら、はなっから聞くんじゃねぇよ馬鹿猿」

 三蔵の言い分はもっともだった。
 僕は、延朱の前居た世界の話を少なからず三人よりも知っていた。ただそれは、僕の過去を打ち明けた代償として聞いたのだ。そうまでして話してくれた延朱の話は、僕が思っていた以上に壮絶で哀しい過去だった。
 前の世界の事を話すと言うことは、それを思い出すことになる。延朱にとって、前の世界の思い出は本当に辛いものでしかない。
 悟空もそれを僕たちの空気で悟ったのか、枕をベッドに投げつけると、立ち上がって扉に向かった。

「謝ってくる!」

 急いで部屋を出ようとした悟空がドアノブを握るよりも先に、扉が開く。そこには延朱が立っていた。

「あ、え、延朱……」

 急な本人の登場に、悟空は思わず動揺する。それでも真っ直ぐに延朱を見ると頭を下げた。

「あのさ、さっきは、」
「さっき?」
「いや、ほら、前の世界の話をさ、」
「ああ、そんなこと?なんとも思ってないわよ」
「そ、そうなの?俺、聞いちゃいけないなんて思わなくて――」
「別に聞いてはいけないなんて言ってないわ。ただ色々あったことをちょっと思い出しただけよ。悟空が心配する必要なんてないわよ。全然気にしてないんだから」
「そなの?よかったァ……」

 安堵して肩の力を抜く悟空の頭を延朱は優しく撫でた。僕はそれに違和感を覚えた。
 延朱は悟空の横から顔を出すと、僕たちに言った。

「私ちょっと買い物行くのだけれど、何か買ってくるものある?」
「マルボロ赤ソフトとライターのオイル」
「三蔵、延朱ちゃんをパシりにすんなよ」
「いいのよ悟浄、いつものことだもの。悟
空は何か美味しいものでも買ってくるわね」
「やっりぃ!」
「夕飯までには戻るわね」

 延朱は手を振ると早々に部屋から出て行ってしまった。それを見て僕の違和感は更に膨れ上がる。

「珍しいな。延朱ちゃんが一人で買い物なんて」

 悟浄の一言が決定打となった。延朱の様子がおかしい事に気付いた僕は、隣に座ってお茶を啜る三蔵に言った。

「三蔵、あの、」
「夕飯までには戻って来い」

 三蔵も気付いているのかもしれない。だが、それを諭すのは自分の役目ではないと言わんばかりの瞳でこちらを見ていた。僕はその瞳に応えるようにして大きく頷いた。

「――はい」
「何々、八戒も買い物行くの?」
「ちょっと買い忘れたものがあって」
「着いて行くなよ悟空。お前が行くと無駄遣いしかしねえからな」
「オラ猿カードやんぞ」
「え?あ、うん。いってらっしゃーい」

 悟空が扉越しに挨拶をしてくれたというのに、僕はそれに応えないまま宿から飛び出していた。
 ここの街はそれなりに栄えている大きな街だ。宿に着くまでに何度か迷う程似通った建物と、さらに迷わせるような入り組んだ道が特徴的な街だった。この中から延朱を探し出すのは至極難しいだろう。だから延朱に追いつくようにとすぐに部屋から出たというのに、既に延朱の姿は見当たらない。
 僕はまだ近くにいるのだと踏んで、辺りの路地を右往左往するが、やはり見当たらない。
 柄にもなく僕は焦っていた。延朱が部屋から出て行く間際の表情が、どう見ても、今にも泣きそうな表情をしていたからだ。
 何処かで一人で泣いているのかもしれない。そう考えるだけで焦りと、僕に対しての苛立ちが募っていく。早く見つけなければ、その一心で僕は街の中を駆け回った。
 そうしてやっと延朱の姿を見つけたのは、意外な場所だった。一番大通りにある川にかかる真っ赤な橋の欄干にぽつんと座っていた。きっと人が通らないような狭い路地裏で泣いていると思った僕には想定外だった。
 少しずつ近付くと、延朱は泣いてはいなかった。ただ橋の上で行き交う人々を黙って見つめているだけだ。
 僕は深呼吸をして上下する肩を落ち着かせると、延朱に話しかけるために口を開いた。

「さっきね」

 だが、僕よりも先に延朱が話し始める。こちらを見ずに、ただただ雑踏を眺めながら独り言のように呟いた。

「さっきね、あの男の子転んじゃったのよ。でもお父さんが泣くな、男の子だろって手をかさなかったの。男の子は本当は痛いはずなのに、ぐっと堪えて立ち上がったの。そしたらお父さんがね、『偉いな』って撫でてあげたの。すぐに泣き止んで男の子は笑顔になった」

 延朱の視線の先には確かに親子はいた。男の子は父親と手を繋ぎながら、楽しそうに何かを喋っていた。
 延朱の視線が今度は別の方向に移動した。

「あそこのおじいさんはここを通りすぎる間、ずーっと、今日の朝御飯の味付けに文句を言っていたわ。おばあさんはすみませんねえって謝るだけなの。でも、二人ともどうしてか離れることはなくって、同じ速度でゆっくり一緒に歩いてるの」

 老夫婦はこれでもかと言うほど遅い歩みで橋を渡っている。婦人は杖を突いていたのでそれのせいかもしれない。それでも老人は大きな声で文句を言いながらも婦人の歩幅に合わせながら歩いていた。
 延朱の言わんとすることが理解できずに言いあぐねていると、延朱は笑って話しを続けた。

「ここにいたらね、そんな幸せそうな家族とか、友達だとか、恋人同士だとかが通りすぎて行くの。私の前を……まるで私がいないみたいに」

 僕はガンと頭を後ろから打ち付けられたような衝撃が走った。唖然とする僕を他所に、延朱は呑気に伸びをした。

「他人だから、私になんか目もくれないのは百も承知よ。でも、そうやって繋がる絆を見てて気づいちゃったの。前の世界の私には、そんな風に心から一緒に笑いあえる人がいなかったって」

 頬杖をついて溜め息を吐く延朱の言葉が理解できた頃には、息ができない程に胸が苦しくなっていた。

「こっちに来てから、どれだけ前の世界が悲惨だったか思い知らされたわ。あっちでは私を必要としてくれる人は誰一人いなかったの。お祖父様やお祖母様はこんな私によくしてくれたのは忘れてないわ。でもね、今考えてみれば、私の境遇を不憫に思って育ててくれたのよ。それでも私は嬉しかったけど、二人が私を必要で側に置いてたわけじゃないし、それに、結局は二人とも亡くなってしまったから、あちらではもう、本当に私の存在を肯定してくれる人がいないの」

 聞こえてきた声が掠れてきたのが。雑踏のせいではないことはよくわかっていた。彼女は顔を見せないように俯くと、子供の様に足を揺らして言った。

「どんなに泣いても怒っても叫んでも、私の存在は否定されてたのよ」

 顔を上げると、ふふ、と笑った延朱は、いつものように愛らしく、いつも以上に悲痛な表情をしていた。それがわかるのはここにいる僕だけだろう。
 僕にも少しだけ延朱に共感できる節があった。孤児院で周りから畏怖の目で見られていた時のことだ。あの時は周りが僕を腫物のように扱っていたことを思い出す。だが、僕はそれだけで済んでいた。それに、自分からそうやって周りに厚い壁を作っていたからだ。
 嫌われていた方が、憎まれていた方がどれだけマシか。そう思わせる程に延朱の
 存在を否定される、その現実が如何に辛く悲しいものか、僕にも計り知ることができなかった。

「ねえ、八戒」

 さわさわとそよぐ風が、延朱の前髪を撫でる。僕が茫然とする中、透けるような笑顔でこちらを見て、呟くように、しかしはっきりとした口調で言った。

「私はちゃんと視えてる?私は、ちゃんとここに居る?」

 一陣の風が吹く。風はたくさんの人々の合間を縫い、落ち葉を拐いながら街中を吹き抜けていった。
 僕はその風で思わず目を覆いたくなるのを堪えて延朱を見つめ続けた。一瞬でも目を離せばいなくなってしまう。そんな風に思ったからだ。
 不安とは余所に、延朱はそこに居た。吹いた風は髪を揺らしていった。僕はいてもたってもいられなくなって、思わず延朱に駆け寄ると力の限り抱き締めた。

「居ない人を好きになるほど、寂しい男じゃありませんよ。僕は」
「え、ちょ、」
「本当に、貴女って人は」

 力の限り抱きしめてから、僕は深呼吸してから延朱の脇に手を置くと、その場で宙に持ち上げた。

「いや、おろして、」
「降ろしません。貴女がそんな寂しい事を言った罰です」
「い、い、いや、でも、さすがにこんな格好は、」
「延朱、やっぱり軽すぎです。もう少し食べないと身長もそうですが胸も大きくなりませんよ?」
「それ今言うの!?今言っちゃう!!?もう良いから!!ほら、周りの人が見て、」

 僕の手から逃れようとしていた延朱の動きが止まる。はっとした表情で見下ろす延朱に、僕は笑って言った。
 
「ほら、居るじゃないですか。ちゃんと視えてますよ。他の人にも、僕にも」

 延朱は気付いていなかっただけなのだ。別の世界から来たということばかりを気にしていたせいで、自分自身もまた、この世界の繋がりの一つになっているという事に。
 延朱は急に顔をくしゃくしゃにしたかと思うと、僕の首に腕を絡めて飛びついた。

「ありがとう、八戒――」
「いいえ」

 頭を撫でる。触れれば触れるだけ、先程の儚さを忘れるほどの存在感。僕だけが知る延朱の弱い一面。それを見せてくれるのもまた、僕が彼女の近いところにいるという証拠でもあり、彼女が僕の中で計り知れないほど大きな存在だと気付かされる。

「あーーーー!!!いたーーー!!!」
「うーわ、何こっぱずかしいことしてんのお前ら」
「近寄りたくねぇ。馬鹿が移る」

 優越感もそこそこに、宿にいたはずの三人の声が後ろから聞こえてきた。僕はこのままでもよかったというのに、延朱は恥ずかしくなってすぐに離れてしまった。

「やっ、あのね、これは、」
「延朱!ずっと探してたんだよ!」

 悟空は今の状況をまるでホームランボールのようにかっ飛ばして、延朱に駆け寄った。

「え、ご、ごめんなさい……探してたって、何で?」
「なんか三蔵と悟浄の様子が変だったから問い詰めたら、八戒が延朱慰めに行ったって言うじゃん。八戒なら延朱のことよくわかってるから良いかもしんねーけど、傷つけたの俺だもん!俺が謝んなくてどうすんだって思って、街中探してた!」
「そうだったの……」

 悟空はこれでもかと頭を下げた。

「だから、ごめん!俺馬鹿だから、延朱のこと傷つけてたの、全然わかってなかった。こんなので許してもらえるわけじゃないけど――」

 悟空は持っていた花束を延朱の前に差し出した。
 両手で掴んでも持ちきれない程に太く束ねられたそれは、愛らしく小さな白い花を咲かせ、体を寄せ合っている。

「この、花は?」
「悟浄が謝るならなんかあった方がいいだろ言うから、延朱に似合うと思って摘んできた!」
「大の男が草っ原を手分けしてな」

 疲れたとばかりにため息を煙にして吐き出した三蔵に、悟浄は思わず口の先をヒクつかせた。

「おめー、なんもしてねェだろ」
「お前達がバカしないように監視してただろ」
「あ?呑気に座ってタバコ吸ってただけじゃねぇか!猿も猿もで、そーんなちっせー花じゃなくて、もっと薔薇とか別のにすりゃ良かったんだよ!つーか花は花屋で買え」
「猿って言うなよトゲ河童!」
「なんだとメルヘン猿!」

 普段通りの展開に、延朱は穏やかな笑みを向けている中、僕だけは悟空から貰ったその花束から目を離せずにいた。

「八戒、どうかしたの?」

 視線に気付いた延朱が僕の顔を覗いた。

「……あ、いえ。悟空はごく稀に驚くことをやってのけるなあと思って」
「驚くこと?もしかして、この花のこと?」
「ええ。その花はニリンソウって言うんですよ」
「ニリンソウ?可愛い花ね」
「花言葉の意味は『協力』、『友情』、そして『いつまでも一緒に』」
「『いつまでも一緒』……」

 延朱はじっと、小さくも力強く咲くその花を見つめている。
 悟空は時たま、自分では全く考えすら及ばなかったことを、平然と、しかも無意識のうちにやってのけるのだ。今回の花だって、綺麗だから取って来たのであって、花言葉まで知らなかっただろう。その無意識の行動で延朱の欲しかった言葉を贈ることができるのが、羨ましくもあり、妬ましくもあった。
 一通り喧嘩し、三蔵に怒られた悟空が延朱の顔を覗いた。

「何々、どしたの?」
「え、っとね。この花の花言葉が、いつまでも一緒、って意味なんですって。知ってた?」
「へー、そうなんだ!まあでも俺らこれからもずっと一緒なのは変わんないっしょ。え、それとも延朱、どっか行くの!?」
「ううん、行かないわよ。どこにも行かないけれど……私、ここに居て、良いのかなって」
「え、意味わかんね。当たり前じゃん!これからも一緒だしな」

 歯を見せて笑う悟空の横で、三蔵は新しい煙草の煙を空に向かって吐き出すと、然もありなんといった表情で言った。

「いらなかったらとっくのとうにそこら辺に捨ててるに決まってんじゃねーか。馬鹿犬」
「おー、珍し。三蔵様がそんなこと言うなんて。んじゃ俺も。居て欲しかったらどこまでも一緒に居てやっからさ」

 悟浄は本気の声で延朱の耳に囁き掛けているのを見て、悟空は眉を潜めて舌を出した。

「うわ、悟浄が久しぶりにマトモに口説いてんの見た。しかも延朱を。サイアク」
「〜〜猿テメェなぁ」
「さすがにこんな馬鹿に口説かれて尻尾振るような犬じゃねぇだろうよ」
「おめーは一言余計すぎンだよ。この生臭童貞坊主!」
「――――殺す」
「三蔵やめろって!街中で銃はマジまずいって!!」

 三蔵が小銃を手にしようと袖に入れる手を、悟空が必死の形相で止めにかかっている。
 三人の喧嘩を横目に僕は延朱の様子をチラリと盗み見た。

「――貴女の想いは喜憂で終わったみたいですね」
「そうみたい」

 延朱の表情は一片の曇りもなくすっきりとしていた。持っている花束を大事に大事に抱えている。
 その事実に、僕の胸がチクリと痛んだ。

「……それじゃあ全員揃った所で、夕飯にでも行きましょうか」
「やっりぃ!俺今日は担々麺な気分ー!三蔵は?」
「タンメン。マヨネーズ添えで」
「「うげ」」
「吹っ飛ばすぞお前ら」

 先に歩く三人の後ろをついていく延朱だったが、ふいに振り返って僕の隣で歩き始めた。
 前の三人との距離が少しずつ伸びていく。

「ねえ、八戒」
「はい?」
「ありがとう。私を見つけ出してくれて」

 延朱は持っている花束の中から数本分けると、僕の前に差し出した。

「八戒とね。ずっと一緒に居たい、から。私も、貴方が必要だから」

 僕は顔が一気に火照るのがわかった。本当に予想外だ。こんなことを言われたら僕の想いを伝えてしまいそうになる。

「――僕も、ですよ」

 僕も貴女が居ないと生きて行けない。そんな重い言葉は飲み込んで、ただただ、今の嬉しい気持ちだけを噛みしめよう、そう思った。
 延朱は貰った言葉が嬉しかったのか満足したのかはわからないが、小さい声でありがとうと言うと歩みを早めてしまった。
 僕はその歩幅に合わせて隣で歩く。

「延朱がどこに行っても、僕は見つけ出しますから。その前に何処かに行ったらタダじゃおきませんからね?」
「ええ。肝に命じておくことにするわ」

 抜けるような青空を見上げて、僕は顔の火照りが早く治まるようにと願ったのだった。











長っ!!!!
構想練ってる間に更新停滞等々あってずっとアップできなかった作品です。
あ、266666HITのキリ番おめでとうございました!
相部屋になった際に自分の生い立ち故に存在意義を疑う主人公が、八戒だけに弱音を吐露する、というリクエストだったんですが…
部屋じゃねー!!!!
はんずかしー!!!
申し訳ございません…

しかし、やりたかったことも書けたので満足でござる!
次は本編も頑張りたいと思っております…
今後もよろしくお願い申し上げまする。





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