第一幕
後悔‐regret




 延朱はこの世界が嫌いだった。
 外界から一切隔離された、まるで牢獄の様な由緒正しい女学校が、そこにいる陰湿な虐めをする同級生達が、それを知っていながら見てみぬふりをする教師達が、学校で体にアザを作った義娘を見ても何も言わず、むしろ更に傷つける両親が。
 化け物を見るような、ゴミを見る様な、そんな目をする人間が大嫌いだった。
 しかし、この世界にも唯一救いがあった。祖父母だけは周りの人とは違い延朱を普通の人間として扱ってくれていた事だ。
 祖父はそれこそ威厳を具現化した様な方で、幼い時から稽古中の些細な失敗ですら許さない人だったが、時には優しい顔をして頭を撫でてくれる柔和な一面もあった。
 祖母は全く逆といって良いほど性格の優しい方で、いつもニコニコと笑っていて、義母よりもずっと品があって学もあった。
 祖父に稽古で厳しくされた時も「また派手にやられたねぇ」と延朱の頭を撫でてくれた。そんな祖父母を延朱は尊敬していたし、心から慕っていた。
 祖父母は日頃から真剣な顔をして怪我をした時は感情を昂らせるな、とよく口にしていた。その言葉の意味はよくわからなかったけれど、尊敬する祖父母の言う事だから延朱は頑なに守り続けていた。
 今朝も祖母にそう言われた延朱は、何度も聞いたその言葉を頭の隅に置きながら、大嫌いな学校へと向かったのだった。

「まだ学校に来る元気があるのね、この妖怪!」

 教室に入るや否や、延朱は飛んできた言葉とコンパスを易々と片手で止めた。
 こんな事ができる様になったのも祖父のお陰ねと、掴んだコンパスから手を放して延朱は自分の席に向かった。椅子には大量のボンドらしき物が付いていた。知らずに座ったら大変な事になっていただろう。
 今度は粘着系かと思いながら延朱は持ってきていた新聞紙を鞄から取り出すと粘液の上に乗せ、その上に座った。
 こんな事は日常茶飯事だった。
 小学校から高校までエスカレーター式の学校のせいでいじめてくる生徒も卒業するまで一緒なので、こんな受験シーズンにすら、幼稚ないたずらを仕掛けてくるのだ。よく飽きないなと延朱は常々思っていた。
 延朱の一連の行動を見ていたリーダー格の生徒が、大きな足音を立てて近づいてきたかと思いきや、いきなり机にコンパスを刺した。さっきのコンパスも彼女の物なのだろう。

「あんた、何避けてんのよ、早く刺さって死になさいよ」

 延朱は俯いたまま何も言わずに鞄から教科書を取り出す。相手にすると尚更調子に乗るからだ。その行動に怒りが増したのか、女生徒は延朱の前髪を掴んだ。

「何シカトしてんだよ、藤堂延朱!」

 今度は胸ぐらを掴まれて思い切り後ろに突き飛ばされた。一番後ろの席だから周りに被害はなかったが、自分の机と椅子は派手に倒れていた。
 コンパスの持ち主は延朱の前に立つと、他の生徒も次々と真似をして周りを囲んだ。そして床を這っている虫を見つけたかの様に延朱の背中を蹴りだし、口々に罵倒した。

「なんでアンタみたいな妖怪が、まだこの学校に来てるのよ!」
「名家の藤堂家の面汚し!人殺し!早く死んじゃえ!」
「いい加減黒髪に染めてくるのやめたら?髪の毛白いのみんな知ってるんだから!私達と同じ人間だと思わないで!」
「生きてる事自体が悪い事だっていい加減気付きなさいよ!」

 そんな事、言われなくともわかっていた。なにせ毎日の様に同じ事を義母に言われ、鞭で打たれているのだから。
 貴女は生きていてはいけないと鞭で叩くのだ。他人を不幸にする、それ故に兄が死んだのはお前のせいだと。

 お前はヒトゴロシのバケモノだと――

 ふいに、祖父母の笑顔が脳裏でチリチリと何かが焼けた音と共に見えたかと思うと、二人は真っ赤になって燃え盛る炎の中でもがき苦しんでいる光景が見えた。本当に一瞬の出来事だったが、それを見た衝撃で延朱の目から涙が溢れていた。
 別に蹴られて痛いからではない。自分の不遇を嘆いているわけでもない。

「妖怪が泣いた事なんてなかったのに……」

 周りの生徒は少したじろいでいた。延朱が今までこんな風に人前で泣いたことなど一度たりともなかったらだ。
 皆が狼狽えていると教室のドアが勢いよく開いた。担任が息を切らしている。多分職員室から全力疾走してきたのだろう。
 延朱は更に涙があふれた。

「藤堂さん!おじい様とおばあ様が……とにかく職員室に!」

 また当たってしまった。大切な人の笑顔とそして真っ赤に染まった顔。
 延朱は立ち上がると、ドアを壊れるくらいの勢いで開いて教師の静止を無視して教室を飛び出した。





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