Flavor
「ねえ、お姉さん1人〜?」
「暇なら俺たちとちょっと遊んでいこうよ!」
最悪だ。今年でいちばん最悪だ。
いちばん最悪って言葉がおかしいけど、そりゃあもう最悪だ。
「あの、すみません、今仕事中で……」
始まりは今日の朝。
神羅カンパニーの副社長であるルーファウスの秘書をやっている私は、彼と2人で4日間の長期出張のため、コスタ・デル・ソル来ていた。
せっかく来たけど、今回は海はお預けか……なんて思いながら、副社長のプライベートジェットの窓から海を眺める。
「行きたいか」
2つしかない席、向かいからかけられた声に首を振った。
「いや、まさか。仕事に来てるんですから。」
慌てて答えた私の心を見透かしたみたいに、小さく鼻で笑う副社長。
すると少し間を開けて、頬杖をついて外を見ながら彼は小さく呟いた。
「また今度な。」
到着してから3日目、副社長の仕事は予定よりずっと早く進んでいた。
そして結局、出発まで半日以上残して彼の仕事は終わってしまったのだった。
「今ので全て終了です。早かったですね、副社長。」
「そもそも日程が緩すぎたんだ。
どうせ、さっさとミッドガルに帰ってきてくれるなというところだろう。
全く、しょうもない嫌がらせにご苦労なことだな。」
それで、ミョウジ。
椅子を回して私の方を向いた副社長が、そう言って足を組む。
はい。と答えると、彼は首を小さく傾げた。
「海に行くか」
そうして私は副社長と2人、綺麗な浜辺に遊びに来ていた。
つかの間のプライベートに海だなんて、こんな贅沢なことはない。
それに……副社長と一緒だ。
「あまり遠くへ行くなよ。」
ラフな恰好の彼が、パラソルの下で寛ぎながら忠告する。
「大丈夫ですって。副社長も、何かあればすぐに呼んでください。」
「しっかり水着まで買っておいて、よく言うな。」
「……やっぱりはしゃぎすぎですか。」
「ふっ、冗談だ。
ミョウジも毎日忙しいだろう。少しでも楽しんでくるといい。」
「恐縮です。では、遠慮なく。」
……そうして、今に至る。
「えっ、仕事中?
またまた〜、お姉ちゃん水着じゃん!」
「海楽しみにして来ちゃったんでしょ?
俺達と一緒に思い出作りしちゃおうよ!」
こんな時きっと夢小説だったら、
「なんだ貴様ら。私の女に手を出すな。」
なんて副社長が助けてくれるんだろうか。
縋るように彼を振り返ると、少し離れたところでぼうっと海を眺めながら髪をかきあげる副社長。
かっこいいけど。かっこいいけど!!
……もうこうなったら。
小さく息をついて、覚悟を決める。
あとで謝ろう。土下座しよう。
殺されたら……その時考えよう。
「……る、ルーファウス!」
ばっと振り返って、彼の元に近寄る。
男たちが追ってきたが、もうこうなれば怖いのはよっぽど副社長の方だ。
意を決して彼を見上げると、案の定拍子抜けしたように彼は私を見つめていた。
この表情、レアかも。
「……ふっ。どうした、ナマエ。」
優しく私を見下ろす副社長に、今度は私が拍子抜けしたように彼を見上げる番だった。
「あっ、いやっ、その、」
「……なーんだ、お姉ちゃんカレシと一緒かよ。」
「ったく、声掛け損だわ。」
どもる私をよそに、後ろでさっきの男たちがため息をつく。
「それは悪かったな。
でもコレはお前たちのような男で満足出来る女じゃないさ。」
申し訳なさに俯いていた私の肩を、突然彼の匂いが包んだ。
「ちょっ……副、」
「お引き取り願えるかな?」
威圧感を剥き出しにした彼の言葉に、全員が言葉を詰まらせる。
とうとう男たちは、捨て台詞も吐かずに逃げ出していった。
「……それで。ルーファウス、だったか?」
ぽかんと男たちの後ろ姿を見つめていると、彼の言葉に私はぐいっと現実に引き戻された。
やばい。殺される。
「ほんっっっっっとうに、申し訳ございませんでした!!!!」
砂浜に額を擦り付けてとりあえず謝る。
こんなのやらかし以外のなんでもない。
いや、こうなればもはや不祥事だ。
本当にやばい。完全にやばい。
「くくっ……」
でも聞こえてきたのは、私を叱る声でも責め立てる言葉でもなく、押し殺したような笑い声だった。
「ふ、副社長……?」
「そう謝らなくていい。
初めてお前に名前を呼ばれたな。悪くない。」
私の肩に、彼の手が再び触れる。
「言っただろう、あまり遠くへ行くなと。」
その手は優しく私を起こして、副社長のパーカーを私に掛けた。
「あの、副社長、これは……」
「虫除けだ。
もうそろそろ時間だが、目いっぱい堪能して来るといい。」
Tシャツ姿になった副社長が、腕時計を見遣ってからそう呟く。
こくこくと頷いて、返事もせずに立ち上がると、彼がぐいっと私の手を引いた。
「何があっても、脱ぐことは許さないからな。」
支配するような視線が、私を縛る。
ゴクリと息を飲んで大きく頷くと、その手が離れて彼も頷いた。
なんだあれ、なんだあれ!!!
顔の熱を冷ますように、売店で適当に買ったペットボトルを頬に当てる。
頭を支配する熱の篭った視線と、未だに私を包む彼の香り。
……まるで、嫉妬してるみたいな。
そこまで考えて、ぶんぶんと首を振る。まさか。
副社長が、私なんかにそんな事……ある訳ない。
……でも、もし本当なら、
「……ルーファウス、」
小さく呟いた私の独り言を、今だけは、風が攫うのを幸運に思った。