31.二十五年

「花嫁さんて、ほんとにきれいだね!」
 小白ちゃんは、アルバムを見ながら頬を上気させて、うっとりと溜息をついた。私と无限大人との結婚式のアルバムだ。最近、友達のお姉さんが結婚式をして、その写真を見せてもらったそうで、改めて私たちの写真を見たいと言ってくれたので、久しぶりに広げた。小白ちゃんと、一緒に遊びに来た山新ちゃんは、一枚一枚熱心に眺めていた。
 何度見ても、タキシード姿や漢服姿の无限大人はかっこよすぎて、私はあまり直視できないので、二人が写真についてあれこれ指を差して訊ねて来るのに、目を逸らしつつ当時を思い出しながら答えていた。
「友達は、フラワーガールやったんだって!」
「フラワーガールかぁ。素敵だね」
 私も、子供のころに親戚の結婚式でやったような記憶がある。新婦さんは本当に綺麗で、私の中の新婦さんのイメージは、あのときの思い出が強いかもしれない。
「いいなあ。私もやりたいなあ」
「でも、知り合いに結婚しそうな人いないんじゃない?」
 山新ちゃんに言われて、小白ちゃんはうーんと考え込む。
「そうかも……。誰か結婚式やってくれないかな?」
「あはは」
 いたずらっぽく言う小白ちゃんに笑っていると、山新ちゃんが冗談ともつかない表情で私に言った。
「それなら、香さんがまた挙げればいいんだよ」
「え?」
「あ! そっか! いいね!」
「え!?」
 小白ちゃんがいいアイディアだと言うように何度も頷くので、戸惑ってしまう。結婚式を、もう一度挙げる……?
「それなら、小黒も一緒にフラワー……ボーイ、できるし! ね! 香さん!」
 にこっと笑いかけられてしまい、なんだか私の方がおかしい気がしてきた。
「でも、結婚式ってそう何度も挙げるものじゃないから」
「あれ? そうだっけ?」
 そっと答えると、小白ちゃんは首を傾げて山新ちゃんを見た。山新ちゃんはにやりと笑ってそんなことないですよ、と私に振る。やっぱり、わかってて言ってる気がする。
「まあ、銀婚式とかあるけど……」
「銀婚式?」
「日本の風習なのかな? 結婚から二十五年の記念にするんだよ」
「へぇ、素敵!」
 私が教えると、二人は目をきらきらさせた。
「なんだか、想像できるなぁ。香さんと无限大人は、ずっとラブラブそうだもん!」
「あはは。そうだといいなあ」
 小白ちゃんに言われて、本気で照れてしまう。
「でも、それじゃダメよ。私たち大人になっちゃってる」
 山新ちゃんに冷静に突っ込まれて、確かに、となった。二十五年後は、二人は立派な大人だ。私は、おばあさん、にはまだ早いかもしれないけれど、もう若いとは言えない年になる。けれど、无限大人だけはきっと変わらないのだろう。
「…………」
 ふと、考えてしまった。
 あまり、考えないようにしていたのに。
「やっぱり、今やってもらわないと!」
 小白ちゃんの元気な声が耳に入って、はっとした。
「やりましょ、香さん!」
 すっかりその気になった二人に囲まれてしまって、私は曖昧に笑うしかなかった。

 无限大人は、仙人だ。
 人間を超越して、妖精に近づいた存在。400年も、同じ姿で生きている。二十五年後も、きっと変わらない。
 私は人間としての寿命を全うして、そのとき必ず別れが来る。无限大人はそのあともずっと生きていく。
 それはわかっているけれど……。
 表情のすぐれない私に、无限大人はすぐに気づいてくれる。けれど、どうしたとは聞かず、私が話し始めるのを待ってくれている。私はただ寂しくて、布団に入って、无限大人の胸元に顔を寄せた。无限大人はそっと腕を回して抱きしめてくれる。その暖かさと優しさにほっとして、涙が滲んだ。
「小香」
「……限哥、銀婚式って、知ってますか?」
 私はぽつぽつと、胸のうちを話す。无限大人は黙って静かに聞いてくれる。ときおり、低くこもった声でうん、と相づちを打ってくれるので、私は安心して話し続ける。
「二十五年後を想像したら、私は結構年を取っていて、でも、限哥は変わらなくて、きっとずっと素敵で、かっこいいままで……そう考えたら、とても寂しくなってしまって」
 いくら考えても、こればかりはどうしようなもいことだ。だから、普段は極力考えないようにしてきた。どうしようもなく、悲しくなるだけだから。无限大人に心配をかけるだけだから。
「自分が年を取ることがいやなんじゃないんです。限哥が変わらないことがいやなわけでもなくて……限哥がずっと変わらずいてくれるのは、すごく嬉しいことなんです」
 ただ、どうしてもその違いが寂しくなる。私たちは、最後のときまでは一緒にはいられないという、変えようのない事実がそこには、ある。
「離れたくないって思ってしまうんです。ずっと一緒にいられたらって……。どうしてもそのときのことを考えてしまうんです。今がとても幸せだから、それが消えてしまうのがとても」
 悲しくて、辛くて、どうしようもなくて。
 无限大人の胸に縋って涙をこぼす。次々溢れて止まらない。この悲しみは、常に心の片隅にあった。こればかりは、消すことはできない。たとえ、无限大人でも。
 无限大人はただ、私の涙を受け止めてくれた。
「ごめんなさい、どうしようもないのに、こんなこといって」
「そんなことはない」
 私が謝ると、无限大人は初めてはっきりと、けれど包み込むように言って、抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。
「君の気持ちを、きちんと教えてほしい。嬉しいときも、悲しいときも、怒っているときも、どんなときでも。遠慮なんていらないんだよ」
「はい……」
 心からそう言ってくれているのが伝わってきて、暖かな涙が零れた。无限大人は遠慮しなくていいと言ってくれるけれど、できれば困らせたくないと思ってしまう。でも、今回はひとりで抱え込めるものではないくらい、膨れ上がってしまった。无限大人はいつも、私の思いを受け止めて、わかってくれる。言葉数は少ないけれど、どの言葉も的確に私の心の深いところに染み込んでいく。それだけ、私のことを思って、選んでくれた言葉だから。
 しばらくはそうして、ずっと抱きしめてもらっていた。きっと私が音を上げなければ、无限大人は朝までだってそうしてくれるだろう。でも、私の涙も同じくらい流れていそうだ。この悲しみに果てはない。最期の時まで、抱き続けていることだろう。
「心臓の音がする」
 とくとくと、一定のリズムで、命の脈動がする。それとは違うリズムが、私の身体にも流れている。いつか止まる、そのときまで……。
「暖かいよ」
 无限大人は私の背中をゆっくりと撫でる。なんだか赤ん坊になった気分だ。でも、心地いい。この世界一安全な腕の中に、ずっといられたらいいのに。
「君の体温に、いつも安らぐ」
 穏やかな声で彼はそう言ってくれる。
 私は、あなたの安寧になれていますか。
 胸元からそっと離れて、无限大人の顔の横に並ぶ。无限大人の瞳が私を映す。深くて、どこまでも澄んだ、美しい色。その美しさが永遠であってほしいと願ってしまう。
 无限大人は微笑み、私の額に柔らかく口づけて、頬に頬を擦り寄せた。頭を撫でて、またまっすぐに私を見つめてくれる。その視線には限りない愛情が込められていて、また私の涙腺が緩んできた。
「銀婚式、いいね」
「え?」
「しないか? 二十五年後に」
「……したいです」
 无限大人となら、何度だって、結婚式を挙げたい。何度だって、同じ誓いを立てられる。
「そのときは、私も君と同じくらいの姿にしてもらおう」
「同じ?」
「知り合いにそういう力を持つ妖精がいるんだ」
 无限大人はただ穏やかに私の目を覗き込む。
「そうしたら、君の隣に立つに相応しい男になれるだろう?」
「あっ……」
 ようやく无限大人の言うことを理解して、涙が溢れた。私と同じくらい歳を重ねた姿に自らなろうと、彼は言ってくれている。
 声を上げて泣いてしまう私を、无限大人は髪を撫でて、落ち着かせてくれる。
「うまく、想像できないですけど……」
 なんとか涙をこらえて、无限大人を見つめる。
「絶対にすごくかっこいいのは、わかります」
「ふふ。そうだといいが」
「絶対、そうです」
 无限大人の姿が変わるかもしれないなんて考えたことがなかったので、その驚きと、あまりにも揺らがない彼の心の優しさに包まれて、悲しみを上回る嬉しさが広がる。
「君はますます美しくなっているだろうね」
 二十五年は、とても先のことだ。でも、お互い、きっと一緒にいるだろうと考えていることが改めてわかって、それも嬉しかった。
「大好きです、无限大人」
 まだ涙が溢れて止まらないので、无限大人の胸に顔を押し付ける。どうしてこう、涙もろいんだろう。无限大人は私の肩を抱きすくめて、その腕の中にすっぽりと収めてしまう。大きな手。大好きな温もり。
「愛しているよ」
 底なしに深くて、どこまでも大きな愛が、私の悲しみごとその心に包み込んだ。

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