2.招待

「館長、冠萱、よく来てくれた。歓迎する」
 二人はかしこまって頭を下げた。
「お招きいただきありがとうございます。无限大人、小香。これはお祝いです。遅くなりましたが」
「ありがとう。いただくよ」
 紙袋を受け取ると、ずしりと重かった。気楽にしていいと伝え、二人にソファに座ってもらう。そこに、小香がお茶を淹れて戻ってきた。美香はまだあまり外の出来事が見えないようで、私の腕の中でうとうとしている。
「君も座って」
「はい」
 小香が一番緊張しているようだ。館長がお祝いをしたいというから、せっかくだし娘を見てもらおうと呼んだのだが、そのことを伝えると、小香は粗相のないようにしなくちゃ、とそわそわと部屋を掃除し始めてしまった。小香には美香のこと以外で悩ませたくないので、気負うなと伝えて、掃除なんかは私が済ませたが、やはり館長が自分の家にいるとなると、かしこまってしまうもののようだ。ぴしっとソファに座っている姿につい笑みが溢れる。
「娘さんはおやすみですか」
「ああ、眠いようだ」
 二人に見えるように、立ち上がってそばに行くと、二人とも美香の顔を覗き込んだ。
「かわいいだろう」
「小さいですね」
「まだ生まれてそう経っていないでしょう。お二人それぞれによく似ている」
 冠萱は観察するように赤子を眺め、感心している。潘靖は目元の皺を深くして、感慨深そうに頷いた。
「まさか、あなたのお子を拝むことがあるとは」
 潘靖とは長い付き合いだ。確かに、いままでの私には、そのような縁はまったくなくなっていた。
「長く生きていると、何が起きるかわからないものだな」
「よいことです。本当に、こんなに穏やかなあなたが見られて私は嬉しいですよ」
「ははは。心配をかけていたかな」
「いえいえ。ただ、心を預けられる相手がいるというのはいいものでしょう」
「うん」
 私と潘靖の会話を、小香はじっと耳を傾けている。少し、目が潤んでいるかもしれない。ちょっとしたことで感激する彼女の涙腺は緩いらしい。
 まどろんでいた美香がふいにぐずりだして、泣き始めた。あやしてみたが泣き止まないので、小香と交代する。小香は美香の様子を確認して、立ち上がった。
「おむつみたいです。変えてきますね」
「頼む」
 小香が美香と部屋に戻ってしまったので、改めて三人で向き直る。
「家の住心地はいかがですか。館が所有していた中から冠萱が選んだんですよ」
「とてもいいよ。小白の家も近いしな。庭もある」
 困ったのは湯船がないことくらいだ。小香のために湯船をつけたと言ったら、日本人は風呂が好きだそうですね、と冠萱が言った。
「詳しいのか?」
「いえ。少し聞いたことがあるだけですよ。奥様もそうなんですね」
「ああ。毎日湯に浸かっているよ。疲れがとれると。美香は小さな桶で沐浴をさせている」
 奥様、と言われると胸が暖かくなる。証明などなくても、彼女が私の大事な人であることに変わりはないが、他者から見ても彼女が私の伴侶であることが一目瞭然になることは、思っていたよりも心が満たされるものだった。やはり、結婚式を挙げてよかった。小黒にも美香にも、父親という存在は必要だ。小黒は弟子だが、息子のように思っている。美香は、正真正銘、血の繋がった私の娘だ。二人の子を得て、より、この家を守らねばという思いが強く、確かになった。
「あんなに小さくて、世話をするのは大変でしょう。まだ目も見えていないんですか」
「そろそろ見えてくるころだそうだ。確かに、まだ自分では何もできないから、すべて小香と私でやっているが、小黒も手伝ってくれているから、大変ということはないが」
 冠萱が案じるほど、世話に明け暮れるということはない。夜中も構わず泣くから小香は寝不足だと言っていたが、私がいるときは必ず代わるようにしているし、休ませてやれていると思う。
「任務を減らしてもらっているおかげでもあるな。助かっているよ」
「とんでもないです。むしろ、无限大人にはいままで十分過ぎるほど働いていただきましたから。いくらでもご家族のために時間を使ってください」
 潘靖は柔らかな笑みでそう言ってくれる。ありがたいことだった。
「恩に着る」
「ですから、恩をお返しするのは私の方ですよ」
 頭を下げようとすると止められた。
「娘さんがもう少し大きくなったら、館に来てください。皆、お二人の子供を見たい見たいと、楽しみにしているんですよ」
「そうか」
 冠萱に頼まれて、彼らの顔を思い浮かべる。若水などには、直接早く見たいとせがまれていた。続けて子供が生まれたらまた来ると言っていた彼女の顔も思い出してしまい、どうしたものかと思う。赤子を前に大人しくしてくれるような性格ではないことは、重々承知している。
「潘靖、今は、紅榴は?」
「紅榴、ですか? さて、少し前に南の方の館にいると聞いたような。呼びますか?」
「いや。それならいいんだ」
 急いで首を振り、しかしそのうち噂を耳にして飛んでくるだろうという予感も拭えずにいる。
「彼女の能力は有用ですからね、どこの館も重宝して、引っ張りだこですよ」
 冠萱が納得したように言う。精神に感応する系統の者同士、何か感じるものがあるのだろうか。
「子を持つ、というのはどういうお気持ちですか」
 潘靖が、少し改まった調子で訊ねてきた。こればかりは、彼らには実際体験してみるということができないから、想像してみるしかないだろう。
「そうだな……」
 改めて、子を持ったときの気持ちを振り返ってみる。初めて子を持ったときは、まだ若かった。今は円熟したつもりだったが、まだまだだったと思い知る日々だ。
「この血を分け、愛しい人と自分に似た部分を受け継いだ新たな命を、この手で育てられるというのは、この上ないことだと思う。こんなにも、ただ愛しいと自分のすべてを与え、抱きしめたくなる存在は他にいない。小香には感謝してもしきれない。私にどこまでも幸福を与えてくれる……。必ず守り抜こうと改めて誓った」
「……よい表情で語られますね」
 潘靖は目を閉じて、しみじみと言った。
 彼は、愛する人とずっと寄り添い、これからもそうするだろう。私たちに残された時間は、それに比べればずっと少ない。だが、血は繋いでいける。私はこの命が続く限り、連綿と続くその営みを見守り続けるのだろう。
 小香がドアを開け、機嫌のいい美香の声が聞こえた。そちらを振り返ると、小香と目が合って、微笑み合う。いますぐ二人を抱き締めたかったが、彼らの手前、我慢する。代わりに、想いを込めて微笑を向けた。
 愛する私の家族。どうか健やかに、穏やかな日々を重ねてほしい。

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