27.若葉の季節

 歩いて10分ほどのところにある公園は、瑞々しい緑に溢れていた。暖かな午後の日差しが、柔らかい葉の表面にきらきらと反射している。
「気持ちのいいところですね」
「そうだな」
 改めて、隣を歩く限哥を見る。歩きながらだから、あまりその姿をちゃんと見られないのがもどかしい。ずっと見ていたいくらい素敵だ。この若葉に溢れた公園の景色がまたとてもよく似合っていて、よりその美しさを引き立てている。
 思わず立ち止まって、歩く姿を見ていたら、限哥も足を止めて、不思議そうに私を振り返った。
「どうした?」
 そして、はっとして訊ねる。
「疲れた?」
「いえ! 元気です。ただ……」
 鞄から端末を取り出して、カメラを動画モードにした。
「動画、撮ってもいいですか?」
 そう聞くと、限哥は一瞬間を開けてから、面白そうに笑った。
「いいよ。では、少し歩こうか、美香」
 限哥は快く了承してくれて、腕に抱いた美香に話しかけながら歩き出した。歩くたび、髪と服がひらひらと翻って、幻想的だ。神様がいるとしたら、きっとこんな姿だろうと思う。実際、限哥はほとんどそれに近い存在だけれど。
 そんな人が、私との子を抱いて、時折私の方を振り返り、微笑んでくれる。こんなに幸せなことがあっていいんだろうか。
 一緒に過ごせば過ごすほど、その奇跡があまりに尊いことに感じて、言い表せないほどの感情が胸に迫り上がってくる。
 大好きと伝えたくなったけれど、ここからだと少し遠いし、公園には他の人もいる。まごついている私に、限哥が疑問を浮かべた眼差しを向けてきたけれど、なんでもないですと首を振った。あとで、ゆっくり伝えよう。
「そろそろいいだろう。交代だ」
 限哥はそう言って、自分の端末を取り出して私にレンズを向けた。途端にそわそわしてしまって、動きがぎこちなくなる。
「わ、私はいいですよ」
「私も君の姿を残しておきたい」
「さっき、写真撮りましたし」
「優雅に動く姿は動画でないと撮れない」
「優雅ってもんじゃないですし……」
「あそこに向かって歩いてほしい」
「はい」
 逃げられなかったので、観念して歩く。どう歩いたらきれいに見えるだろう。
「ふふ。緊張してる?」
「ひらひらしてるから、躓きそうで……」
「転ばないように、私が支えるよ」
「ありがとうございます……」
 話しているうちに肩の力が抜けて、自然と歩けるようになってきた。指示されたところに辿り着いて、裾を翻すようにくるりと限哥に向き直る。
「はい、歩きましたよ! 撮影終わり!」
「いい画が撮れたよ」
 限哥は満足そうに画面を操作しているので、それならまあいいかとしぶしぶ思う。
 操作が終わったのか、限哥が顔を上げて、私を見てそのまま止まるので、どうしたのかと思う。
「あ、虫でもついてますか?」
 まさかと思って髪や肩を払うと、いや、ついてないよと言われた。
「じゃあ、何か……?」
 限哥はちょっと微笑を浮かべたまま、じっと私を見つめている。若葉よりも深い色の瞳が、まっすぐに、ただ私だけを見ている。
「綺麗だ」
 そして、心の底からの思いを込めたように、呟いた。
 ぱっと頬が染まり、体が熱くなる。
「もうっ……、見すぎです」
 照れてしまうけれど、顔を背けることができない。こんなにも、熱い愛に満ちた視線を向けられて、嬉しくないはずがない。
「わ、わ!」
 ふいに、美香が手を振り回して、声を上げた。ちょうど、葉が一枚、枝から離れてひらひらと落ちていくところだった。
「ふふ。葉っぱ、ひらひら落ちていくねえ」
「ぱ! ぱ!」
「葉っぱ、葉っぱ」
 限哥は枝から一枚葉をちぎって、美香に持たせる。美香は葉を握ると、まじまじと観察した。
「あちらに噴水があるようだよ。あそこまで行ってから戻ろうか」
「はい」
 限哥が指差す方向には大きな噴水があり、周囲に置かれたベンチには、人々が憩っていた。
「漢服屋の店主さん、いい人でしたね」
「うん。まさか服を仕立ててくれるとはな」
「これも限哥の人徳ですね」
「そうかな……。わからないが、君に似合う漢服を贈れて、よかった。店主には感謝している」
「そうですよ。美香のこと見て、とても喜んでくれてたみたいだし、嬉しかったです」
 謙遜する限哥に力強く伝えて、美香の頬を撫でる。
「限哥のことを好きな人に出会うと、嬉しくなっちゃうな」
「私を?」
「はい」
 首を傾げる限哥に、笑ってみせる。
「限哥は本当に素敵な人だから。この人も、限哥のことを素敵だと思ってくれてるんだな、と思うと、自分のこと以上に誇らしくなります」
「そうなのか」
「そうなんです」
 いまいちわからない、という顔をしつつもとりあえず頷く限哥に、肩を揺らして笑う。
「それが、女性でも?」
 ふと、限哥は疑問を投げかける。私は迷わず頷いた。
「はい!」
 元気な返事に、限哥は苦笑する。
「少しくらい、妬いてはくれないのか」
「あはは。まあ、ちょっとはむっとする気持ちもありますけど。それ以上に、そうだよね、わかる、好きになっちゃうよね、てなります」
「…………」
「限哥?」
 限哥がじっと考え込んだので、何か変なことを言っただろうかと思ったけれど、限哥はちょっと首を振って、微笑んだ。
「いや、とても愛されている、と感じて」
「え!? いや、えっと、そ、そうですけど……!」
「ありがとう」
「いえ、あの、こちらこそ」
 お礼を言われるとは思わなかったので、返答がおかしくなってしまった。
「私はまだまだだな」
「何がですか?」
 視線を遠くに向けて、また意外なことを言う限哥の顔を覗き込みながら訊ねる。
「君を好きな男がいると思うと、焦燥感が湧き上がる。もちろん、君を渡す気はないが、しかし、あまりいい気はしない」
「そう、なんですか?」
 つまり、嫉妬してくれる、ということだろうか。そうだとすると、ちょっと嬉しいかもしれない。
 限哥は泰然としていて、そういう感情とは無縁そうなのに。
「だが、確かに、好きになる気持ちはよくわかる」
 まっすぐに見つめられながらそう言われて、また頬が熱くなる。
「そ、そうですか……」
「君の良さがわかるということだと考えれば、うん、誇らしくもなるかもしれない」
「いや、それはどうでしょうか」
 もごもご言ってみたけれど、限哥は聞いていなかった。
「まぁ! ぱぁ! めぁ!」
 美香がぱっと声を上げるので、限哥は口を開けて笑った。
「そうか、お前もママが好きか」
「うー!」
「あはは、パパのことも大好きだよね」
 美香は嬉しそうに笑い声を上げる。
 噴水の周囲をゆっくりと一周して、もと来た道を戻り、店に止めていた車のところまで戻る。
 店主に声を掛けて、服を着替える。店員さんに着付け方を教えてもらったので、今度は一人でも着られると思う。
 店主は店の外まで見送りに来てくれた。私は感謝の思いを伝えて頭を下げる。
「本当にありがとうございました」
「いえいえ、无限大人にはたいへんお世話になっておりますから。少しでもお返しできれば嬉しいことでございます」
 店主は腰の低い態度で答え、ふと、目元をしわくちゃにして微笑みながら、私の顔を見つめた。
「无限大人に、こんなにいい方がいらっしゃって、ようございました。どうか、これからも末永く、无限大人と睦まじくお過ごしください」
「は、はい……!」
 まさかそんな風に言われると思わず、慌てて返事をする。
「また、家族で来る」
 限哥も優しく微笑みながら、そう約束して、店主は深く頷いた。
「いつでもおいでください。よい服を仕立ててお待ちしております」
 店主に見送られ、車に乗り込み、店を離れる。
 いいことがたくさん起きて、胸がいっぱいで、なんとなく話す気にはならず、余韻に浸っていた。限哥も同じなのか、口数は少ない。美香は車の揺れが心地いいのか、すぐに眠ってしまった。静かな車内の空気が快い。
 家に帰れば、しばらくして小黒もお腹を空かせて帰ってくる。夕飯は何にしようか。まだ買い物をしなくても、冷蔵庫に食材がある。献立を考え、思いついたら限哥に聞いてみよう、と考えながら、車に揺られるに任せていた。

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