19.ふと見せる顔

「慶木」
 名前を呼ばれてどきりとする。あの无限大人と一緒にいるなんて、やっぱりまだ信じられない。
「はい!」
「書類はこれですべてか」
「えっと」
 先程渡した書類の束を返されて、慌てて受け取り、確認する。
「何枚か足りないようだが」
「待ってください……ええと……ああ、ほんとだ!」
 何度もペラペラとめくって、ようやく最後の数枚が足りないことに気づく。
「いけない! どこにやったんだろう? 確かにまとめておいたのに」
 困り果てて額に手を当てる。こんなミスをするなんて。无限大人に迷惑を掛けてしまった。
「捨ててはいないはずなんですけど」
「捨ててしまってはお手上げだな」
「すみません! 探してきます!」
 とにかく見つけなければ。深く頭を下げて、館の中を走り回る。書類を保管していた机の上、ファイルの中、とにかく思い当たるところ全部。无限大人に会えると知って、舞い上がっていた。なんといっても、あの无限大人だ。最強の執行人。人間の身でありながら神になった人。ぼくは妖精だけれど、无限大人にはとてもかなわないと思う。もともと、戦いに向いた能力でもない。人間なのに、修行を続けて妖精に近い存在となって、ぼくたち妖精のために働き続けてくれている。ずっと憧れていた。どんな人なんだろうと想像していた。まさかこんな辺境にある館に来てくれることがあるとは思わなくて、ぜひ対応したいと館長に申し出た。館長はぼくが何かへまをするんじゃないかって心配していたけれど、ちゃんとするからと押し切った。それなのに。
 やっぱりへまをしてしまった。
 きっと无限大人には呆れられてる。簡単な雑用もできないダメな奴だって思われちゃっただろう。ああ。悲しい。せっかくお話できたのに。ずうんと落ち込んで、耳がへたりと垂れる。ぼくも、館で働く妖精の一人として―――執行人とは比べるべくもないけれど――役に立っているんだというところを、見せたかったのに。やっぱりぼくはダメな奴だ。
「慶木」
「うわっ! はい!」
 突然後ろから名前を呼ばれて、へたり込んでいた床から飛び上がって立ち上がる。无限大人だった。手には数枚の書類を持っていた。
「見つかった」
「え? あ! それ! どうして无限大人が!?」
 无限大人はこの館に来るのは初めてのはずだ。もしかしてそういう能力を持っているんだろうか。千里眼とか。
「茶を淹れていただろう」
「はい、无限大人に……あ! そのときか!」
 お茶を淹れるために書類を脇に置いて、書類とお茶を一緒に持っていった。片手が塞がっていたから、ちゃんと掴めていなくて、数枚残ってしまった……ってこと?
「わああ、すみません……!! 无限大人に探してもらうなんて!!」
 ちゃんと書類を先に渡してからお茶を淹れればよかったんだ。なのに、早くお茶を振る舞いたいと思って、欲張って、結果、動作がなおざりになってしまった。
「本当に、ぼくはダメで……。館長にも言われたんです。无限大人に失礼のないようにって。でも、ぼく、どうしても无限大人にお会いしたくて。だから絶対ちゃんとしてみせますって約束したのに。やっぱりダメだった……」
「いいだろう。見つかったのだから」
「え?」
 无限大人はそう言って椅子にかけ直し、改めて書類をめくった。にこりともしないけれど、声は柔らかい。怒ってない、のかな。呆れられたかもしれないけれど。无限大人って、噂ではもう少し怖いイメージだったけれど、本当はそんなことないのかも……。
 无限大人はやるべきことをして、ぼくは必要なことを伝え、なんとか仕事が終えられそうになったとき、无限大人の懐の端末が震えた。「失礼」と言って无限大人は端末を取り出す。急ぎの連絡かな、と大人しくしていると、无限大人は端末を見て、微笑を浮かべた。
 初めて見る笑顔だった。
 すごく優しくて、深い愛情が伺える。怖いどころか、すごくいい人なんだ、と直感した。
「誰からのメッセージなんですか?」
 无限大人がそれほど大事に思っている相手がどんな人なのか気になって、訊ねてみた。无限大人は端末を見せてくれた。
「妻からだよ」
 画面には、人間の女の人と、赤ん坊が映っていた。二人とも笑顔だ。
「娘が、まんまと言ったそうだ。もしかしたらママかもしれないと」
「まんま?」
「幼児語だ。ご飯のことだ」
「そうなんですか?」
 无限大人がそれをどうしてそんなに喜んでいるのかぴんとこないでいると、赤ん坊というのは話せるようになるまでずいぶんかかるのだと教えてもらった。人間と妖精は成長速度とかいろいろ違うらしいけれど、詳しくは知らなかったので驚いた。
「動画を取りそこねたと残念がっているよ。私が帰るころには、もっとはっきりと話せるようになっているかな」
 仕事中はぴんと張り詰めた雰囲気を纏っていたのに、今はすっかり柔らかくなっている。
「よくわかりませんけど、写真で見る限り、二人とも无限大人のことが大好きなんですね」
 レンズの向こうにいる人に向けた笑顔はとても眩しい。そして、それを受け止める无限大人の瞳は、もっと深い。
「无限大人も、二人のことが大好きなんですね」
「大事な家族だよ」
 无限大人は端末をしまうと、咳払いをした。仕事に戻ろうとしているようだけれど、まだ口元が緩んでいる。さっきまでの无限大人はかっこよかったけれど、少し近寄りがたかった。でも、こうして優しい表情が見られて、ぐっと親近感を覚えてしまった。
「では、以上で」
「え? 待ってください、まだ終わってないですよ!」
 話し合うべきところが残っているのに、そそくさと終わらせるような態度にびっくりした。无限大人はダメか、というような顔をする。
「ご家族に早く会いたいからって、手抜きはダメですよ!?」
「手は抜いていない、省略だ」
「やっぱり早く帰りたいんじゃないですか!?」
 无限大人は否定しなかった。思わず脱力する。優しいところが見えたところまではよかったのに、こんなところまでは知りたくなかった……!
「わかりました、なるべく早く済ませますから!」
 なんとか无限大人を引き止めて、必要なことを片付けていく。无限大人はそれ以上駄々をこねず、迅速に手際よく終わらせて、館長への挨拶もそこそこに、飛ぶように帰っていってしまった。
「失礼はなかっただろうな」
 館長にじろりと見られて、肩を竦める。正直に書類のことを伝えると、怒られるのを通り越して呆れて溜息をつかれてしまった。
「でも、无限大人の奥さんと、お子さんの写真見せてもらったんですよ! みんな、幸せそうでした」
 人間が家族という単位で暮らすことは知っている。无限大人もそうしているのは意外だった。
 なんだか、いろいろと想定外なことばかりだったけれど、本物の无限大人のことが知れたから、すごくいい出会いになったと思う。
「今度、龍游の館に行ったら、ご家族に会えますかね!?」
「遊んでいる暇はないぞ」
「仕事で! 龍游に行く仕事があったらぼくに行かせてください!」
「あったとしても、任せるのはお前以外だな」
「そんなぁ! 館長、後生ですから!」
 さっさと背を向けて行ってしまう館長のあとを慌てて追いかけ、懇願する。もっと信用して仕事を任せてもらえるように、頑張らなくちゃ。

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