13.呼び方 |
「パパ、タオル知りません?」 「ここにあるよ」 洗面所をぱたぱたと探していた小香に教えてやると、小香はリビングに顔を出してあ、と口を開けた。 「畳んだのにしまうの忘れてました」 「私も気づかなかったな」 今度もし置かれたままだったらしまっておこう。小香は失敗した、と恥ずかしそうな顔をしてそそくさとタオルをしまう。香香の世話をしながらだから、抜けが出てくるのは仕方がない。 香香は最近首が座ってきて、表情がよりはっきりしてきた。笑い声も、それらしくなってきた。私と小香の区別もつくようで、たまに、どうしても抱っこされたい、と駄々をこねる。それは小香のことが多いが、たまに私が抱かないと収まらないときもあった。ちゃんと父親……パパとして認識されているようで何よりだ。任務に行く時間が増えてきたから、顔を忘れられてしまわないかと不安になる。赤ん坊の成長は本当に早い。少し見ない間にずいぶん大きくなっている。この子が新しいことをできるようになった瞬間を見逃さないように、いつもそばにいられたらいいのだが。 「小香、玩具がないようだが」 「あ、さっき消毒したんです」 香香が手をぱたぱたとしてぐずり出したので探したが見当たらないので訊ねると、小香は厨に小走りで入ってしばらくして戻って来た。 「ごめんね香香。はい、どうぞ」 香香は受け取ったと思ったら、すぐに落としてしまった。とりあえずあることを確認できたので満足したのだろうか。 「また、明日から数日空けることになるかもしれない」 「任務ですか?」 「ああ」 心苦しく思いながら伝える。小香は心得た様子で頷いた。 「わかりました。気をつけてくださいね」 我ながら勝手だが、あまり寂しがる様子を見せてくれないと、少し物足りなく感じてしまう。香香の子守と小黒の世話と家事をしっかり請け負ってくれている、頼もしい表情だというのに。 「パパはしばらくお仕事ですって。寂しいね、香香」 けれど、そう言って香香に話しかけているのを聞いて機嫌が直ってしまうので私は案外単純にできているのかもしれない。 だがひとつ、気になることがある。 「小香」 「はい」 改まって名前を呼ぶと、小香もしっかりと顔を上げて私を見た。 「その、呼び方だが」 言いよどむ私に、小香は小首をかしげる。こんな言い方は子供っぽいだろうか。しかし、どうしても気になる。 「……パパというのは、確かに、そうなのだが……」 そう呼ばれて、いやだというわけではないのだが。 「……やはり、君には无限、と呼んでほしい」 ここは素直に頼むことにした。どうだろうか、と小香を見つめる。小香は目をぱちりとさせて、しばしの沈黙のあと、口元を押さえて笑った。 「すみません! つい、癖になっちゃってたみたいです」 まだ笑いたそうなのを堪えて、咳払いをする。 「香香に話しかけてる流れで、そのままパパって呼んでしまって。それに、香香を見る无限大人の表情は本当に愛情深くて、素敵なお父さんだから……」 「そうだろうか」 「はい」 小香は頬を赤く染めて、目を細めて私を見つめる。そんなふうに見つめられると、私はじわりと暖かく満たされる一方で、胸の奥に熱を感じてしまう。冬の日に雲間から差し込む陽光のようなぬくもり。この瞳に絆されて、手放すことができなくなった。 「君も、確かに素晴らしい母親になった。けれど、やはり私のかわいい小香には変わりない」 「无限大人……」 今度こそ小香は真っ赤になって、口を開けたが何も言葉は出てこず、ただもう、と憤慨したふりをして笑った。 「君にとって、私はどうだろうか」 「そんなの、決まってます」 そっと顔を近付けて、瞳を覗き込む。小香はじっと上目遣いに見つめ返してくる。長いまつ毛に縁取られた、丸い潤んだ瞳には、私だけが映っている。 「无限……」 小香が目を閉じて、私も閉じようとした瞬間、香香が足をばたつかせて大きな声をあげた。まるで私がいるのを忘れないでとでもいうようで、私たちは香香をぽかんと見たあと、お互い顔を見合わせて、吹き出した。 「ふふ。香香、少しでも自分が注目されないと我慢ならないのね?」 「私達のお姫様は寂しがりやだ」 香香の頭を撫でてやり、ご機嫌を伺う。香香は近くの玩具を掴んで、ぶんぶんと振った。 「无限大人。无限大人は香香の素敵な世界一のパパですけど……」 小香が私の胸元にそっと手を置いて、囁く。 「ずっと、私の大好きな无限大人、ですから」 そう言ってはにかむ表情の愛らしさに、いますぐ抱きしめたくなったが、香香の寝ているベッドを挟んでいて難しい。なので移動して、改めて抱きしめた。小香はくすくす笑いながら、私に頬を寄せてきた。 「大好きですよ、无限大人」 「うん。君に名を呼ばれるだけで、どうしてこうも心が満たされるのだろうな……」 「じゃあ、いっぱい呼びますね」 「お願いしよう」 「ふふ。无限大人……」 小香は甘く、あやすような声音で、何度も私の名前を呼んでくれた。 ← | → |