12.愛称

 今日は小白ちゃんが遊びに来ていた。小黒と宿題を終えて、今は美香と遊んでくれている。
「香香、鼻水出てる!」
 美香の顔を見ていた小白ちゃんは、慌ててティッシュを取りに行くと、美香の鼻を優しく拭ってくれた。そして、美香の顔を見て笑い声を上げる。
「あはは、鼻提灯できてる」
「小香、撮って撮って!」
 小黒に急かされて、急いで端末を向ける。小さな鼻に、小さなシャボン玉がついていた。
「あは、かわいい。パパにも送ってあげよう」
「香香の写真見たら、きっと疲れも吹っ飛んじゃうね!」
 小白ちゃんが笑って言う言葉が気になって、聞き返す。
「香香(シャンシャン)って、美香のこと?」
「そう! かわいいと思って」
 こちらでは、あだ名をつけるときに、名前のうち一文字を二回繰り返すことがある。小白ちゃんや小黒のように小をつけるパターンもあるけれど、そうすると私と一緒になってしまうから、確かにいいあだ名だ。
「かわいいね! ぼくも香香って呼ぼうっと。気に入った? 香香」
 美香……香香は小黒に笑いかけられて、嬉しそうに笑みを浮かべ、小さな手を伸ばす。
「パパにも教えてあげよっと」
 写真に香香とキャプションをつけてメッセージを送る。
「あ、洗濯物しまわなくちゃ。ちょっと美香……香香のこと、見ててもらえる?」
「任せて!」
 頼もしく頷く二人に頼んで、洗濯物をしまい、畳んで、それぞれの場所に片付ける。そろそろ夕飯のしたくもしなければ。
「小香ー!」
 小黒が私を呼ぶ声が聞こえたと思うと、香香の泣き声が聞こえてきた。
「どうしたの?」
「急に泣き出しちゃった」
「どうしたんだろ」
 心配そうに香香を見守る二人の間から香香を抱き上げて、色々確認する。
「おむつかな?」
 部屋に戻ってベッドに寝かせ、おむつを替えたけれど、まだぐずっている。お腹も空いているのかもとお乳をあげたらよく飲んだけれど、飲み終わった途端また泣き出した。
「あらあら、どうしたのかな。どこか痛いのかな」
 体温はそれほど高くないし、見た限りは異常がなさそうだけれど、何かを訴えている。
「こんなに泣くのは珍しいな。大丈夫かな……」
 もしずっと泣き止まない場合、念のため病院に連れて行くべきだろうか。でも、そろそろ閉まってしまう時間だ。
「よしよし、いい子、いい子」
 とりあえず、抱っこしてなだめてみる。泣くのは止まったけれど、やはりご機嫌ななめだ。
「香香、大丈夫?」
 なかなか私が戻らないので、小黒と小白ちゃんが様子を見に来た。
「うん、なんだか調子よくないみたい」
「香香も話せたらいいのにね。そしたら、どうしてあげればいいかわかるのに」
 小黒は本当に辛そうに、香香の顔を覗き込む。香香が泣いていると不安になるのは皆同じだ。香香はまだまだか弱い。いつ体調が急変するかわからない。
「あれ、師父帰ってきた」
 ふと、小黒が耳を玄関の方に向ける。そして迎えに行った。
「師父、早いね!」
 小黒が无限大人と一緒にリビングに戻って来た。
「おかえりなさい」
「ただいま。今日は早く終わってね」
 无限大人は私を見て、香香を見た。香香は腕を伸ばして、あーあーと声を出す。无限大人が香香を抱くと、その目を大きくしてその顔をじっと見つめ、指をぎゅっと握った。
「あ、機嫌直った」
「ん?」
「さっきまでぐずってたんですよ。なかなか泣き止まないからどうしたんだろうって心配してたんですけど、无限大人の顔見たら元気になりましたね」
「そうか」
 香香は无限大人の髪をぎゅっと握って、きゃっきゃと笑う。
「なんだ、師父に会いたかったんだね」
 小黒もその様子を見て安心したように肩を下げた。
「さっきメッセージ送ったの、見ました?」
 香香を抱っこしたままソファに座る无限大人に話しかけると、ああ、と懐から端末を取り出した。
「歩いていたから、まだ見ていなかった」
 そして写真を見て、口を開けて笑う。
「いい写真だね。それに、香香というのはいいな」
「小白ちゃんがつけてくれたんですよ」
 私が教えると、小白ちゃんはえへへと肩を竦めた。
「私もこれからはそう呼ぼう」
「かわいいよね!」
 小黒は、无限大人の髪で遊ぶ香香のほっぺを嬉しそうにつつく。
「じゃあ、ご飯作ってくるので、香香のことお願いしてもいいですか?」
「いや、今日は私が……」
「香香はパパがいいみたいですから」
「そうかな」
 立ち上がろうとする无限大人を止める。无限大人はご機嫌な香香の顔を見て、表情を和らげた。
「では、頼むよ」
 ご飯の前に、帰ってきたばかりの无限大人と、小黒と小白ちゃんにお茶を淹れ、少しだけお菓子もつけた。暗くなる前に小白ちゃんは家に帰り、小黒が夕飯を作るのを手伝ってくれた。
「師父はいいな」
 なんだかむくれた表情をしているので、どうしたのかと思うと、小黒は唇を尖らせて不満を言った。
「香香、ずっと師父に抱っこされて楽しそう。ぼくも抱っこしたいのに」
「あはは。今日はパパの気分なのね、きっと」
「むぅ……」
「小黒が学校から帰ってきたときも、香香、とても嬉しそうにするのよ」
 なので、普段の香香の様子を教えてあげた。
「ほんと!?」
 小黒はぴんと耳を立て、頬を上気させる。
「へへ、だったら嬉しいな」
 すっかり機嫌を直した小黒に微笑ましくなる。香香も、ちゃんと誰が誰なのかわかるようになってきている。表情も、少しずつわかるようになってきた気がする。でも、无限大人がいないときに、今回みたいにぐずってしまうと困るかも。いつもすぐに帰ってきてくれるとは限らない。ともあれ、具合が悪いということではなさそうでよかった。
 小黒と二人でご飯を並べ、无限大人を呼ぶ。无限大人は香香を抱っこしたままだった。
「下ろそうとしたら嫌がるんだ」
「あらら、今日はやけに甘えんぼさんね」
 无限大人が出掛けていることが増えた分、寂しさを感じているのかもしれない。
「満足するまでこうしているよ。このままでも不自由はないから」
 无限大人は器用に片手で食べ始める。それを見て、小黒がにやにやしながら私に耳打ちした。
「小香、食べさせてあげたら?」
「もう、小黒!」
 思わず赤面してしまう。小黒はけらけらと笑った。こんなふうにからかうなんて、いつの間にそんなこと覚えたんだろう。
「内緒話か?」
 无限大人は无限大人で、のけ者にされたと感じたのか、むっとした顔をしている。
「違います! なんでもないです! 大変だったら交代しますから、言ってください」
「うん」
 香香が何か楽しそうな声を上げるので、无限大人は眼差しをそちらに向ける。優しくて、深く包み込むような視線。こんなふうに見つめてもらえるなら、それはもう、ずっと離れたくなくなるだろう。ちょっとだけ香香が羨ましくなった。

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