11.甘い休息

 紅榴さんは翌日帰って行った。しばらくいてもらっても構わなかったけれど、やることがあるそうだ。その前に、ちょうど学校がお休みだったので、小黒と館に行って、手合わせをしてくるそうだ。私も見たかったけれど、今日は病院に行く日だったので断念した。力を使わずやり合うだけでもあれだけの迫力だったのに、お互い力を使っての手合わせとなると、どんな規模になるだろう。妖精同士の戦いを見る機会はほとんどないから、想像がつかなかった。无限大人は病院に付き添ってくれるとのことで、紅榴さんと小黒は二人で館に向かった。大丈夫かな、とちらりと思ったけれど、そう心配することもないだろう。紅榴さんはあれでも十分長く生きている。无限大人も二人を信頼して送り出した。
「じゃあな、无限、小香、美香! また来る!」
「待ってますよ、紅榴さん」
 大きく手を振る紅榴さんに、手を振り返す。二人が去って、私と无限大人と美香が残った。
「では、出かける準備をしようか」
「はい」
 なんとなく見つめ合って、笑い合う。持ち物をバッグに詰めて、化粧を簡単に済ませて、无限大人の車に乗り込む。後部座席にはチャイルドシートが取り付けられている。美香をそこに座らせて、しっかりベルトを締め、緩まないことを確認してから隣に座った。无限大人が静かに車を走らせる。
 道路はそれほど混んでおらず、病院にはすぐに着いた。いくつか検査をして、母子ともに健康であることを確認する。お医者さんから簡単に今の状況とこれからのことを話してもらって、気を付けるべきことやこれからしていくといいことを教えてもらう。それで終わりだ。
 また車に戻って、来た道を走る。ふと、以前のことを思い出した。
「この先の喫茶店、前に入りましたね」
「寄っていく?」
「あ、でも……美香が泣くかもしれないし」
 今は機嫌がいいけれど、赤ちゃんの機嫌はころころ変わる。けれど、无限大人は車をその店の駐車場に止めた。
「テイクアウトがあったはずだ。家で食べよう」
「あ、いいですね」
 待っていて、と言って无限大人は喫茶店に入っていった。しばらくして、電話が掛かってくる。
『メニューを伝えるから、欲しいものを言って』
 无限大人に何があるのか教えてもらって、その中から選んで伝える。すぐに通話は切れたけれど、なんだかこういうのも楽しかった。
「美香ちゃん、優しいパパだね」
 嬉しくなって、頬を緩めながら美香に話しかける。
「ママは、ますます大好きになっちゃうよ」
 无限大人は元々優しいのに、最近さらに柔らかくなったような気がする。やっぱり美香のお陰だろうか。
「お待たせ」
 しばらくして无限大人が両手に買ったものを抱えて戻ってきたので、内側からドアを開けた。无限大人はものを助手席に起き、するりと中に入ってくる。
「では、帰ろうか」
 シートベルトを閉めて、振り返り、私と美香の顔を見て微笑む。その笑みに胸がきゅんと疼いた。
 家に帰り、冷めないうちにと紅茶とケーキをいただくことにする。无限大人はコーヒーだった。
「やっぱり、このお店のケーキは美味しいですね」
「うん。甘すぎず、ちょうどいいな」
 こういうものを、久しぶりに食べた気がする。妊娠中は控えていたし、喫茶店に入る機会もあまりなかった。
「昨日はすまなかったな。紅榴のために」
「え? いえいえ。当然ですよ、歓迎するのは」
 私がちょっと張り切ってお料理をたくさん作っていたから、迷惑をかけたと思ったのかもしれない。私は大げさなくらい手を振って、否定する。
「楽しかったですから。小黒も嬉しそうでしたし。无限大人も、安心していたみたいだったから。よかったです」
 そう言うと、无限大人は少し目を丸くしてから、笑った。
「まあ、少しは付き合いやすくなったようで、助かったよ」
「ふふ。なら、いつ来てもらっても大丈夫ですね」
「どうしてか、あの子は君の言うことなら聞くらしいから」
「え? そうですか?」
 むしろ、无限大人の言うことをちゃんと聞いていたと思う。首を傾げると、无限大人はただ微笑んで、コーヒーを飲んだ。
 美香は隣の部屋で静かに寝ている。少しだけ、二人きりの時間だ。私はソファの隣に座っている无限大人に、ちょっと近づく。そして、軽く腕と腕を触れさせた。
「えへへ」
 こうしてゆっくりすることも、久しぶりだ。たぶん、少しの時間だけだけれど、今だけは、无限大人との時間を堪能したい。无限大人はコーヒーを置いて、私の腰に腕を回し、引き寄せた。軽く触れていただけだった身体が密着する。无限大人の体温にどきどきと鼓動が速まり、身体の奥が熱くなった。
「小香」
 甘くて、優しい呼びかけに、耳がくすぐったくなる。顔を上げると、望んでいたぬくもりが与えられる。最初は触れるだけだったけれど、次第に深くなって、上半身が後ろにのけ反っていく。倒れないように、无限大人の服にしがみついた。
「无限……っ」
 呼吸の合間に、名前を呼ぶ。无限大人は私の頬に触れて、じっと私の目を覗き込んだ。
「いけないな。久しぶりに君に触れられて、このままでは止まらなくなるところだ……」
「それは……まだ、だめですね」
 見つめ合って、笑みを零す。そのまま无限大人の胸元に抱き着き、しばらく抱きしめてもらうことにした。无限大人の鼓動を感じて、昂っていた気持ちが落ち着いていく。
「愛しているよ」
 私の髪に口付けながら、无限大人は想いを口にする。
「大好きです、无限大人」
 无限大人の胸に頬を押し付けて、うっとりとしながら私も伝えた。
 もう少ししたら、母親に戻るから。もう少しだけ、今はこのままで。

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