51.焦る気持ち

「小黒はまだ小さいんだから、頑張って働こうなんてしなくていいんだよ。无限大人だって、今は修行に励んでほしいって思ってるんじゃないかな」
「そうじゃないよ」
 小黒は俯いたまま、もごもごと答える。
「小香は、師父と夫婦なんでしょ」
「う……んと、まだなんというかその、あれだけど……」
 夫婦、という言葉はやっぱり大きすぎて、はっきりとそうだと答えられない。
「恋人……かな」
「でも、指輪つけてるでしょ」
「……はい」
 左手の薬指には、今日も翡翠の石が輝いている。无限大人も、今このときも私の贈った指輪を身に着けてくれている。そう思うたびに、胸がじんと熱くなる。
「それって、ずっと一緒にいようねってことなんでしょ?」
 小黒の丸い瞳でまっすぐ見上げられ、恥じらっている場合ではないなと思う。ちゃんと、話をしないと。
「そうだよ。その気持ちを込めて、指輪の交換をしたの」
 気持ちがあればそれで十分なのかもしれないけれど、形にしたいと思った。形式上、本来の意味での夫婦となることはできないから。
「夫婦はずっと一緒にいられるんでしょ。でも、弟子は……」
 小黒は膝を抱えて、そこに顔を埋める。まさか、そんなことを悩んでいたなんて知らなかった。小黒の抱えている寂しさに、どう触れたらいいのか戸惑ってしまう。
「ぼくは、修行が終わったら、師父とお別れなんだ」
「そんなことないよ。修行が終わっても、小黒だってずっと一緒だよ」
「…………うぅ」
 小黒の大きな瞳にみるみる涙が溜まっていく。ずっとこんな気持ちを抱えていたのに、気付かなかったことがとても申し訳なくなる。
「ごめんね、小黒、ずっと辛かったんだね」
「ぼく、師父とずっと一緒にいたい」
「だから、早く執行人になりたいんだね」
「そうしたら、ずっと一緒にいられるでしょ?」
 こんなに小さな子が、働きたいと言うことがとても痛ましくて、胸がぎゅっとなる。小黒にとっては、それだけ无限大人の存在が大きいんだ。小黒はずっと一人で生きてきて、无限大人と出会って、師父として、父親として、育ててもらうようになった。丸まって泣く小黒の背中から腕を回し、抱きしめる。无限大人がいない間、私が小黒と一緒に過ごすことが多くなっていた。でも、その不在を埋めるには、私なんかじゃ全然足りなかった。小さな子にとっては、一晩だってとても長い時間に感じるだろう。それをこの子は、ずっと独りで耐えて来たんだ。
「无限大人は、小黒のこととっても大切に思ってるよ。執行人の任務は、とてもたいへんな仕事だから、きっと小黒が手伝ってくれるって言ったら、すごく喜ぶと思う」
「じゃあ」
「でも、それはやっぱり、小黒がもうちょっと大きくなってからのことだよ。たいへんな仕事だからね」
「ぼくじゃ、無理……?」
「小黒はもっと強くなるよ。それに、もっと大きくなる」
 ぐすんと鼻をすする小黒の頭を、ふわふわと撫でる。
「焦らないで。无限大人は、ちゃんと帰ってきてくれるから。小黒の隣にいてくれるから」
「うぅ……」
「寂しいけど、一緒に待とう?」
「……うん……」
 小黒はもじもじと身体を動かすと、こちらを向いて、私の胸に顔を埋めた。
「ありがと、小香……」
 いじらしくてかわいくて、大切な子だ。小さな身体をぎゅっと抱きしめる。この子のことを、守ってあげたい。そばにいてあげたい。
 少しでも、寂しさを和らげてあげられたらいい。
 小黒が泣き止むまで、そのまま抱きしめて、ゆっくりと頭を撫で続けた。

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