第八話 祭
森に新客が現れたのは、ちょうどそのころだった。
彼らは妖精のように霊力を操ることはしなかったが、代わりに様々な用途に応じて仕事を容易にする道具を用い、森を彼らに住みやすいよう変えていった。
木が切り倒され、広々と開いた土地に木と石と土を使い家を作った。
「あれが人間よ」
ナマエたちは彼らから離れた場所に身を隠しつつ、彼らのすることを眺めていた。
「火属性でもないのに、火を熾せるんだな」
火を御す人間たちの様子を見て、洛竹が感心して言った。
「ずいぶんたくさん木を切るもんだ」
「木を操れないから、ああするしかないんだろう」
風息が洛竹に答えながら、鼻を鳴らした。立派に育った木たちが次々と切り倒されていくのを見るのは面白くない。そこを住処にしていたけものたちも驚いて飛び出していく。だが、彼らが生活に必要な分だけを切るなら仕方がないとも思った。
「騒がしいな……」
たくさんの人間が寄り集まっている様を見て、虚淮は目を細めた。
妖精たちが人間を遠巻きにするように、人間たちも自分たちにはない力を持つ妖精を畏れ、分を弁えて接してきた。
「そろそろ祭の時期だろ。またお菓子が食べたいなあ」
洛竹が思い出しているのは、ずいぶん前にこっそり参加した人間の祭の記憶だった。人間は何かの折々に集まっては美味しいものを食べ、お酒を飲む。賑やかな催し物が目を楽しませ、陽気な音楽が耳を楽しませてくれる。遠くから雰囲気を感じるだけでも心が弾むものだが、たまに人ごみに混じることもある。祭りは夜にも行われ提灯明かりで薄暗く、人々が着飾っているから、人でないものが紛れていても気付かれにくいのだ。
「天虎も行きたいだろ?」
「うん」
「天虎は変化できないからな」
洛竹に聞かれて頷いた天虎の頭を、風息がぽんと撫でる。
「中には入れないが、少し遠くから眺めるならいいだろう。俺が連れてってやるからな」
「うん」
天虎は語気を強めて嬉しそうに頷いた。
「虚淮とナマエ姉は何かほしいのある?」
いつもナマエと虚淮は留守番だ。洛竹に訊ねられて、ナマエは少し考えてみた。
「きれいな髪飾りはあるかしら」
「ぴったりなの探してくるよ!」
人間が作るもののうちでも、細工物をナマエは気に入っていた。実に細かい意匠を凝らし、硬い金属や木などを華美に装飾する技術は目を見張るものがある。
「……私も一緒に選ぼう」
そんなナマエの表情をしばらく眺めていたと思ったら、虚淮が思わぬことを口にした。
「お、虚淮も行くか?」
「お前だけに任せておけない」
つんとした物言いに、洛竹とナマエは顔を見合わせて笑った。
「ナマエも行こう。きっと楽しいよ」
風息に改めて誘われて、ナマエは遠くに聞いた祭囃子を思い出してみた。あの中心はさぞかし熱気に溢れているだろう。
それに、ナマエは過去の一件以来、人間の前に姿を現わさないようにしている。弟たちにも近づかないよう伝えてはいるが、祭りとなれば話は別だ。この一夜だけは、人間も人ならざるものを歓迎している。
ナマエはしばらく考えて答えた。
「熱にあてられそうだわ。だから、遠くからなら」
「よし。じゃあナマエは俺たちと一緒だな」
風息はにっと笑って、天虎と頷き合った。
当日は天候に恵まれ、祭りは盛大に開催された。
洛竹と虚淮は被り物を被って祭に出かけていき、後からナマエたちも出発した。風息は肩に天虎を乗せて塀を飛び越え、広場を見下ろせる屋根の影に腰を下ろした。ナマエも音を立てずその隣にふわりと降りる。これだけ近くで聞く笛の音は身体に響くようで、芯から湧きたつような心地になった。
「ナマエ、あそこを見て」
広場には舞台が作られており、その上で豪華な衣装と派手な化粧に身を包んだ人間たちが舞を舞っていた。
「神仙に捧げられる舞だ。つまり、俺たちにってこと」
風息は肩を揺らして見せる。
「ああやって豊穣とかいい天候とかに感謝を捧げ、厚い加護を願うんだ。健気なものじゃないか」
「美しい舞だわ」
小鳥たちが木々の枝を飛び回る優雅さと、けものたちが地面を跳ね回る力強さの両方を感じるその動きに、ナマエはすっかり魅了されていた。軽快な音楽がナマエを幽玄の世界へ惹き込んでいく。
「人間の作るものは美しいわね」
風息の肩に頭を寄りかからせ、天虎の頭をそっと撫でる。
少しすると、洛竹と虚淮がお土産を持って集合してきた。
「姉様、こちらを向いてください」
虚淮に言われたとおりに首を傾けると、虚淮は懐から取り出した髪飾りをナマエの顔の横に並べ、じっと眺めると、小さく頷いた。
「やはりこれが一番あなたに似合う」
「俺と虚淮で見付けたんだ! 思った以上に似合うなあ。ナマエ姉、きれいだ」
「どれ、俺にも見せてくれ」
風息まで乗り出してくるので、ナマエはさっそくそれを髪に差し、三人に見せた。
「どう?」
「うん、いい」
風息は満足そうに口角を上げる。ナマエの胸が暖かいもので満たされていった。
「ありがとう、ふたりとも。とても気に入ったわ」
この日の祭り囃子を、ナマエはずっと忘れない。
あるとき、ナマエたちが山道のそばを歩いていると、山道から外れた場所に蹲る人影が見えた。斜面が崩れているところを見ると、山道から足を外して滑り落ちてしまい、怪我を負ったようだ。
「ナマエ姉、人が怪我してるみたいだ」
そう言うと、まっさきに洛竹が飛び出していった。続いて風息が後を追う。周囲に、彼以外には人はいないようだった。基本的に、山に入るときには二人以上が一緒にいるのが人間の常だったが、逸れたのか、彼を助けるべき人間の姿は見当たらなかった。なので、ナマエも姿を見せることにした。虚淮は少し離れたところで辺りを警戒していた。
俯いている男の顔を覗き込んで、洛竹が問う。
「あんた、一人なのか?」
「はい」
何か事情があるのだろう、男は歯を食いしばって答えた。籠も背負っていないから、山菜取りというわけでもなさそうだった。
「怪我の具合を診せなさい」
ナマエが降りていくと、洛竹は場所をあけて、男の背を支え、ナマエが治療をしやすいように整えた。
男の足は傷だらけで、足首が腫れ上がっている。これでは歩くのは難しいだろう。
「じっとしていなさい」
ナマエはそう言うと、患部に手を翳した。すると、青白い光が何もない空間に生まれ、患部を包み込んだ。
「ああ……、このお力は……っ」
男は痛みも忘れ、その業に見惚れた。
「……さあ、これでいいでしょう。お立ちなさい」
「はい……。ああ、立てる、痛くありません!」
男は驚愕して地面を踏みしめて足の具合を確かめると、すぐに跪いてナマエたちに頭を下げた。
「ありがとうございます、仙人様方。この御恩は決して忘れません」
「かまいません。それよりも、このことは誰にも話してはいけません」
ナマエは語気を強めて男に釘を刺した。
「しかし、それでは……」
「いいですね」
「……仙人様がそうおっしゃるなら。従います。ありがとうございました」
男は気が済むまで拝礼すると、後ろ髪を引かれながらも立ち上がり、森の外へ向かう方角へと歩き出した。
「また怪我したり、けものに襲われないか心配だなあ」
洛竹の目には男の背中がいかにも頼りなく見える。霊質を操れない人間はこの噎せ返るような自然に対して無防備に思えた。
「ここで私たちと出会ったのが天命ならば、無事森を超えるでしょう」
ナマエはそう答えて、男を振り返らずに歩き出した。
そんな風に、ごくたまに、人間が妖精たちと遭遇する機会はあった。妖精たちは困っている人間に親切にしてやり、反対に悪さをする人間を懲らしめることもあった。人間たちは妖精を畏れ、敬い、奉った。
人間と妖精の関係は、良好に築かれてるように見えた。
しかし人間がより発展していくにつれ、少しずつ崩れ始めたのだ。
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