12あなたの元へ



「……小黒!」
 鳩爺と一緒に移動した先の建物の屋上で小黒を見付けて、私は駆け寄った。小黒を抱えている男性の前に座り込み、その苦悶に満ちた表情を見て、肩から力が抜ける。
「生きてる……っ」
 生きてる。やっぱり風息は、小黒を殺してなんかいなかった。
 そうだよね?
 小黒を抱えた男性が怪訝そうに私を見た。
「あなたは?」
「風息が誘拐した人間の子じゃ」
「えっ、違います!」
 耳を疑うようなことを言われて、思わず立ち上がる。小黒の無事を知って、身体に力が戻ってきた。
「私は風息に助けてもらったんです!」
「なに?」
「まさか……」
 二人とも眉をひそめて私を見つめる。
「あなたは、確かに人間ですか?」
「正真正銘人間です。風息はそれを知ったうえで、私を助けてくれました」
「……ふむ。だが、術を持っていることも知っていたんだろう」
「それは……!」
 ――だから僕に親切にしてくれたの
 小黒の言葉が蘇ってきて、一瞬動けなくなる。無理矢理にも首を振って、違う、と否定した。
 確かに風息は術を必要としていたけれど、貸すと決めたのは私だ。
 私の意志だ。
「いいかい、お嬢さん。風息は今、小黒から奪った領界をこの龍遊に広げ、すべてをその支配下に置こうとしている」
 見なさい、と鳩爺が示した方向で、煙が上がった。あそこに、風息がいるの?
「そうなる前に、我々は人間たちを避難させているところだ。たくさんの妖精が、働いておる」
「妖精……」
 “館”の妖精。小黒がそんなことを言っていた。確か、無限も館の執行人だって。
「風息を館の人が捕まえようとしていたのは……このためですか」
「……そうじゃ」
 鳩爺は重々しく頷いた。
「故郷を取り戻すため、何をするかわからなかった。まさか、ここまでやるとは……。術である“強奪”も隠しておった。妖精から力を奪う術など、タブーじゃ」
「そんな……、でも、風息は故郷を取り戻したいだけです」
「そのためなら、なんでもしてもいいと?」
 私はすぐに答えられなかった。だって、風息は奪われた側だ。最初に奪われたのは、風息なんだ。だから、だから彼には権利がある。
 だけど。
 小黒が身体を痙攣させた。彼を傷つけたのは他でもない風息だ。
 誰かを傷つけても、それでも、やりとげなければならないこと。
 それって、いったいどんなこと?
 風息は、本当にそれでいいの?
 小黒を苦しめて、人間を追い出して……それで、幸せになれる……?
「……わかりません。わからない……」
 知りたい。風息のこと、もっと知りたかった。
 最初は、わけもわからず、この国に落っこちた。
 そんな私を受け止めてくれたのは風息だ。
 人間である私を受け入れてくれて、助けてくれた。
 それが彼にとってどんな意味を持つのか。困っている人を助けるという単純な動機だけじゃない、それ以上の思いが、きっとそこにあることを、今は知っている。
 でも、まだ足りない。
 まだ私は修行中の身で、元の場所に帰るには全然足りなくて、今私が飛べる場所は、風息の隣だけなのに。
 風息と並ぶこともままならないまま、彼は遠くへ行ってしまった。

 小黒がまた唸った。私は小黒の傍に膝をついて、手を握る。額には脂汗が滲んでいた。
 そのとき、地面が揺れた。
「あれは」
 鳩爺たちが見る方向に目をやると、ビルがゆっくりと沈んでいくところだった。
 信じられない光景に、ぽかんと口を開けるしかない。
 ビルの根本から湧き上がる煙が、黒い闇に飲まれていく。
 黒い闇はどんどん膨らみ、周囲の建物を飲み込んでいった。
「領界が広がり始めた……!」
 あれが領界。あの中心で風息が街を飲み込もうとしている。
 音もなく広がっていく闇に取り込まれた建物の明かりは一切漏れてこない。
「風息……」
 そんな暗闇の中に、あなたはいるの?
「そうか。わかった」
 鳩爺が誰かとの会話を終えて、私を見る。
「虚淮たちを捕らえたそうじゃ」
「皆を……!?」
「領界の拡大が抑えられておる。中で無限が頑張ってるんじゃろう」
 どこまで持ち堪えられるか、と鳩爺は苦しむ小黒の顔を見つめた。
 風息は無限と戦ってる。たった一人で。
「負けないで、風息」
 勝って。
 自然とそう祈っていた。手を組んで、ぎゅっと力を込める。
 相手がどんなに強くても、風息に負けてほしくない。
 勝った後の世界で、風息が希望を掴めるなら。
 掴んでほしい。
 勝って。
「勝って!」
 神様、仏様、誰に祈ればいいのかわからない。でも祈らずにはいられない。
 どうか、あの人の願いを叶えてほしい。

「小黒?」
 訝しげな声がして、私ははっとして振り返る。
 男性の膝で寝ていた小黒の身体が浮いたかと思うと、しゅっと消えてしまい、代わりに小さな黒いものが残った。
「おお、空間系の術で跳んだか!」
「跳んだって……!?」
 鳩爺が見つめている方角は、領界だ。あの中に小黒が飛び込んでいったなんて。
「逸風、わしらも行こう。お嬢さん、一緒に来てもらえますか」
「あっ……はい……」
 私は鳩爺に抱えられて、ビルの上から上へ移動する。逸風は途中で別のところへ向かった。
「ナタ様」
 領界により近い場所に来ると、お団子を二つ結った男の子がいた。男の子の足首あたりには金のリングがそれぞれついていて、浮いている。
「鳩爺か。そいつは?」
「ナマエです」
 鳩爺が答える前に自分で名乗った。
「人間か」
「あなたは……妖精?」
「ああ」
 男の子はすぐに私から興味を失って、鳩爺と会話を進める。
「今、中に小黒が入っていった。恐らく風息と領界の所有権争いになるだろう」
「勝った方が領界の支配者になるってわけか」
「いくら無限とはいえ、領界の中では実力を発揮できまい。しかし小黒が来れば、勝機が出てくる。あの子も金属性だしな」
「風息、負けちゃうんですか……!?」
 聞き捨てならず、思わず口を挟む。ナタが片眉を上げて馬鹿にしたような目で私を見た。
「人間のくせに、変なこと言うやつだな」
「関係ないです!」
 フンと鼻を鳴らされて、むっとする。
「風息は……!」
 夜空に溶け込んでいた領界の輪郭が、ぼんやりと明るくなる。
 夜明けだ。
 そう気付いたとき、シャボン玉が弾けるように黒い球が消えた。
「……領界が」
 空はまるで何事もなかったかのようにだんだんと赤く染まり、藍色が薄れていく。
 それは、決着がついたことを意味した。
 龍遊すべてを飲み込む前に、領界が消えてしまった。
 じわりと目頭が熱くなる。
「……風息!」
 彼の元へ、今すぐに。
 はやる心のまま飛び出そうとしたけれど、うまくいかない。
 何かがおかしかった。 
 跳ぶべき目標地点が、定まらない。 
 風息の居場所が、うまく掴めない。
 どうして?
「風息!」
 いままでは心で風息を思い浮かべれば、その周囲を取り巻く景色が見えて、そこに跳べばいいんだとすぐにわかった。
 なのに、今は暗闇だ。
 風息の存在が、すごく遠い。
 目を閉じて、必死に心を凝らす。
 暗闇の中に、白い球が、ぽつりと浮かんだ。

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