14名残りを惜しめど雪は消え
「ナマエ!」
久しぶりに会った洛竹はちょっとやつれていて、泣きそうな顔をして私の前で立ち止まり、目尻を下げて、声を震わせた。
「ごめんな……」
私はただ首を振って、洛竹の服の裾を掴む。涙が零れて、何も話せなかった。しばらく、洛竹は私に寄り添ってくれていた。
あのあと、私は無限と小黒に促されて、館に行くことになった。
洛竹たちは牢屋に入ることになって、私はすぐには会いに行けなかった。風息と一緒にいた経緯を、この館の館長だという潘靖に伝え、みんなが早く牢から出られるように、懸命に訴えた。
潘靖は、必要なだけ館にいてくれていいと言ってくれた。私も、たとえいますぐ帰れるとしても、それを選べるような心境じゃなかった。
用意してもらった部屋で塞ぎ込んでいると、訊ねてくる人があった。
「……ナマエ?」
「……小黒」
その髪は、すっかり真っ白になってしまっていた。でも、それ以外は元気そうだ。怪我もだいぶ治っている。
潘靖は、風息が何をしようとしたのか、詳しく教えてくれた。
小黒は霊域を二つ持っていた特殊な体質だったから風息に領界を奪われても生きていられたそうだ。
……つまり風息は、あのとき本当に、小黒を殺すことになることをわかっていて、そうしたんだ。
「あなたのこと、館長に聞いたんだ」
「私も、小黒のこと聞いたよ」
うん、と頷いてもじもじしている小黒の後ろに、無限もいることに気が付いた。ぼんやりしていたな。私は二人を部屋の中に招いて、椅子をすすめた。
「風息は、私と小黒を会わせたくなかったのかも」
「どうして?」
「私が、人間だから……」
風息はきっと、小黒を見付けて、その力がどんなものか知ったとき、今回の計画を思いついた。それは、人間と衝突することになる戦いだ。そんなところに、戦えもしないただの人間である私がいたら、不都合だったんだ。
もしも小黒が最初に、私が風息の隣にいるところを見ていたら、どんな風に感じただろう。
「風息は、ナマエのこと助けたんだね」
「……そうだよ」
風息は、戦いでほとんど瞬間移動を使わなかったと聞いた。あまり融通の利く術じゃなくて、単に使いどころがなかったからかもしれないけど、だからやっぱり、私の術目当てに助けてくれたんじゃないって、私は信じることにした。
「あのね、風息って、どんな人だった?」
私は島での日々のことを小黒に教えた。裸を見られて驚いて水を掛けたら怒られたこと、術の使い方を習ったこと。風息の、故郷に対する思いを語ってくれたこと。
森に住む動物たちに向ける視線が優しかったこと。
仲間たちのリーダーで、横顔が凛々しかったこと。
ふと見せてくれた笑顔が、暖かかったこと……。
「ナマエは、風息のことが好きだった?」
そう聞かれて、私はすぐに答えられなかった。
私は、風息のこと――。
「……ナマエ」
「……ごめんね……っ」
まだ、全然整理なんてついてない。あの日から、ほとんど眠れていなくて、頭の中はぐちゃぐちゃのままだ。ふとしたことで涙が零れてしまう。
服の袖で目元をごしごしと拭う私の手に、小さな体温の高い手がそっと添えられた。
「私ね、風息の願いが、叶ってほしかったの」
嗚咽を堪えながら、お腹の底でぐるぐると渦巻く思いを吐き出す。
「それがどんな結果になるのか、わかってなかった……。ただ、風息が故郷に帰れればいいって、そう思っただけだったの……」
戦いに敗れた風息は、別の道を考えることをせず、故郷に根を張り、眠りにつくことを選んだ。
「風息の願いは、そんなにいけないことだったの?」
居場所が欲しいと願うことが、どうして悪いことだなんて言えるんだろう。
「力に訴えれば、争いが生まれ、血が流れる」
ぽつりと、無限がそう答えた。
「彼は手段を間違えた」
「…………」
今回の戦いで、たくさんの建物が破壊された。人間に被害が出なかったのは、ひとえに館の働きのおかげだ。
「小黒。風息のしたこと、怒ってる?」
ううん、と小黒は首を振った。その大きな瞳はただ悲しみに濡れていた。
小黒は部屋を一歩出て立ち止まり、振り返って手を振ってくれた。それに気付いた無限が足を止めて、小黒を待っている。小黒は小走りで無限に追いつき、二人は並んで帰っていった。
無限は悪い人だと思っていたけれど、小黒は館へ向かうために無限と一緒に過ごすうちに、師弟の絆を結ぶまでになっていた。
領界を奪われた小黒を見つけ出したときの無限の顔を見たのは一瞬だったけれど、すごく必死だったような気がする。島を荒らしたのはひどいけれど、悪い人、ではないのかもしれなかった。
洛竹が解放されたのは、それから数日経った後だった。
「俺は、あんまり戦ったりしてなかったから……解放してもらえたんだ。虚淮たちは、まだだめだって」
鼻をすすりながら、洛竹はそう教えてくれた。
「ひとりにしてごめんな。あれから、修行……どころじゃなかったよな。家に帰るまで、まだかかるんだろ。俺、それまで一緒にいるからな」
「ありがとう。でも、もうすぐだって予感があるんだ」
この館が霊質に溢れてるおかげなのか、自分の中にどんどん力が溜まっていっているのを感じていた。それに、私の中には、風息の霊質も混じってる。最期まで私が帰れるように気にかけてくれていた。その想いが私の帰り道を照らしてくれるから。
「そっか……」
洛竹はふと言葉を切ってから、うっと目を潤ませた。
「……悪い、もうちょっと一緒にいられるって、つい思っちゃってたから……っ」
「洛竹……っ」
せっかく引っ込んだ涙がつられてぶわっと溢れてしまった。
「私も、ずっとここにいたいよ。みんなとまた、あの島に帰りたい……!」
またあの小鳥たちの鳴き声で目覚めて、天虎の作ったご飯を食べて、虚淮と修行をして、洛竹と遊んで、風息と語りたい。
「でもね、風息と約束したから。ちゃんと帰るって」
「そうだな……。寂しいけど、俺もちゃんと見送るよ」
「うん」
私達はまた肩を寄せ合って泣いた。
それからまた数日経って、私と洛竹は風息の樹を訪れた。
虚淮たちには、特別に面会を許してもらえた。これで最後だからと、いままでのお礼を伝えた。
風息の樹は見上げるほど大きくて、枝は鉄骨を飲み込むように天高く伸びていた。
「ナマエ……」
一歩前に出た私を、洛竹が呼び止める。
「あのさ。いつでも戻って来いよ。俺は大歓迎だからさ」
「ありがとう、洛竹」
洛竹にはたくさん助けてもらった。洛竹がいなかったら、もっとめげてたと思う。言葉で伝える代わりに、私は洛竹に抱き着いた。洛竹も、ぎゅっと抱きしめ返してくれた。
「今日まで、よく頑張ったな。きっと、お父さんお母さんよろこぶぞ。お前のこと、死ぬほど心配してただろうからな」
「うん」
「楽しかったよ。お前に会えてよかった。みんな同じ気持ちだ」
「うん……私も皆に会えてよかった」
どちらからともなく、そっと身体を離す。
名残惜しいけれど、もう、お別れの時だ。
私は樹の幹に手を添える。
樹の肌から霊質が溢れ、私を導いてくれる。
「じゃあね」
最後は、笑顔で。
足が地面から離れ、浮き上がるのを感じる。目を閉じて、身体を流れにゆだねた。洛竹の声が聞こえなくなる。葉擦れの音があちらこちらで囁いた。
長い長い時間と空間を飛び越えて、私は、この世界とお別れをした。
風息。
あなたのことが、好きでした。
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