08雨上がりの泥道に残る足跡の



「え、どうして?」
 風息の言った意味がよくわからなくて、私は戸惑いながら聞き返した。
「今日から阿赫のところに行ってもらう」
 風息は低い声でそう繰り返してくれたけれど、やっぱりわからない。洛竹も怪訝な顔で風息の肩を掴んだ。
「風息、突然どうしたんだよ? 修行はどうするんだ?」
「そのときはまた戻ってくればいい。だが、しばらくはだめだ」
 風息は洛竹にそう答えたけれど、詳しい理由を教えてくれなかった。私がここにいると、何か不都合なのかな。
「だから、悪いがナマエ……」
「ううん。わかった。私、風息の言う通りにするよ」
 私をここに置いてくれてるのはひとえに風息の好意でだ。風息がそうしろっていうなら、私はどこにでも行く。
「阿赫は街に住んでるから、今より楽になる」
 慰めるつもりなのか、風息はそんな風に言った。

「こいつは葉子。同居人だ。同じく妖精」
 阿赫が紹介してくれたガタイのいい男性は、軽く頷いた。あんまり喋るタイプじゃなさそう。
「俺は少し用があるから。何かあったら葉子に言ってくれ」
 阿赫はそう言ってすぐに出かけて行ってしまった。私は入口辺りに立ったまま、部屋を一瞥して、葉子を見上げる。
「…………」
「…………」
「あのー」
「なんだ」
「……シャワー借りてもいいですか?」
「こっちだ」
 言葉は少ないけれど、ぶっきらぼうというほどでもなく、葉子は必要最低限を私に教えて、部屋に戻っていった。
「はー。生き返る……」
 五右衛門風呂も画期的で楽しかったけれど、シャワーの気持ちよさは格別だ。しかしここ、シャンプーがない。石鹸で洗うしかないか……。がびがびになっちゃうかな。うう。
 お風呂から上がると葉子は食べ物を買ってくると言って出かけて行ってしまい、部屋に一人残された。
 膝を抱えて座り込むと、ため息が漏れた。
 ……言う通りにする、とはいったけれど。
 やっぱり、どうしてかは気になる。私、変なことしちゃったかな。
 考え始めると、あのときの風息の言葉を思い出してしまう。
 ――風息の故郷を、人間が破壊した。
 森林伐採、開拓、環境汚染、絶滅危機。
 社会の授業で習ったおどろおどろしい単語たちがぐるぐると頭を巡りだす。
 人間がたくさんの生物を滅ぼしてきた。
 それについては教わってきたし、TVで見たこともある。
 でも、風息の言葉はそれ以上に重かった。人間が追い出してきた種族の、本音の言葉。
 それを聞かされた夜はほとんど眠れず、涙が溢れてしまった。
 まるで私がいままで生きてきたこと、それ自体が罪であるように感じてしまったからだ。
 都会の便利な生活のために、どれだけのものが犠牲にされてきたのか、正直、私には見る勇気がない。
 それを思い知った。
 怖いんだ。自分が気付かないうちに、どれだけのものを汚して来たのか……。
 知りたくない。
 聞きたくない。
 きっと、受け止めきれないほど大きいだろうから。

「食べるか」
 葉子が帰ってきて、ご飯を用意してくれた。あまり食欲がわかなかったけれど、無駄にするのももったいないと思って、なんとか飲み込んだ。
 しばらくして阿赫が帰ってきた。
 阿赫がご飯を食べ終わると、やがて電気が消された。毛布をもらってリビングで横になったけれど、やっぱり考えてしまって眠れない。せめて、風息がどうして私を突き放したのか、知りたい。
 ……どうしても、突き放されたと思っちゃう。いままで充分よくしてもらった。これ以上言うのはたぶん贅沢なんだろうけれど。お別れのときまで、あんな風に、一緒に過ごせると思ったのに。こんなのは……寂しい。
 風息は最初から、人間の私なんて嫌いだったのかな。でももし嫌いなら、助けられたからといって、あそこまで面倒を見てはくれないよね。そう思うのは傲慢なのかな。
 わからない。
 このまま、もやもやしたままじゃ、――辛いよ。

「……まだ起きてるのか」
 阿赫が水を飲みに起きてきて、私に気付いた。
「ねえ、阿赫、知ってる?」
 私は縋るようにそう訊ねていた。
「風息はどうして私をここに? やっぱり邪魔だったのかな……」
 阿赫は考えるように私を見た。
「……あの人には、やることがある」
「やることって?」
「それは、俺には答えられない」
「そのために、私はいない方がよかった?」
「……あの人が一度、あんたを助けるって決めたんだ。それを覆したりはしない」
 阿赫は確信を込めて、疑う私を諫めるようにそう言った。そう信じたいけど、でも、それならどうして。
「……風息に直接聞きたい」
「いますぐには無理だ。けど……」
 話してるうちに、涙が溢れてしまった。どうして涙腺は私の言うことを聞いてくれないんだろう。阿赫を困らせたいわけじゃないのに。
「風息に……嫌われたくない……っ」
 風息。困ってる私を助けてくれた。私の力に気付いて、使い方を教えてくれた。風息。みんなと一緒に過ごしてて、私は本当に楽しかったんだ。
 阿赫は黙って傍にいてくれた。
 風息。できれば、今すぐ会いに行きたい。

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