07見果てぬ理想郷は彼方
「私もああいうのできるかなー」
木を使って森の奥へ移動していく洛竹を見て、ぼそりとナマエが呟いた。そういえば、ナマエの御霊系は木だったな。
「あそこまでは難しいかもしれないが」
修行の成果を見ても、まだまだといったところだ。木を自由自在に操るところまで行けるかどうか。
「どうやってるの?」
「どう……」
言葉で説明するのは難しい。俺は少し考えてから、ナマエに一つ種を握らせた。
「そこに霊力を込めるんだ」
「込める……? うううー!」
「強く握り締めすぎだ。潰れる」
「じゃあどうやるのー?」
ナマエに手を開かせて、上から手を重ねる。霊力を受けた種からしゅるしゅると芽が出てきて、たちまち三十センチくらいの長さまでまっすぐ伸びた。
「うわあ! 手品だ!」
きらきらした目でナマエは瑞々しい若芽を矯めつ眇めつする。
「手品じゃない。力の流れを感じたろ。その要領だ」
「ええ……わかんない……もう一回! もう一回!」
どうしても、と頼むので、仕方ない。俺は種に芽を戻して見せた。
「わああ! 戻った!」
仕掛けでも探そうというように、ナマエは手のひらを目に近づけて種を様々な角度から眺めた。
「もう一回!」
「そうくるだろうと思った」
俺は何度か芽を伸ばして戻してを繰り返してみせた。
「どうだ。少しは感覚が掴めたか」
「うーん……なんとなくわかったようなわからないような……」
ナマエの返事ははなはだ頼りなかった。
「しばらく種さんと会話してみます」
とりあえず一人で試してみるつもりらしい。俺は用事を済ませてくることにした。
「帰ってきたらびっくりさせますから!」
「それは楽しみだ」
一日で芽が出せるだけでも上出来だろう。ナマエの張り切る様子が、遠ざかる背中でも感じ取れた。
「どう!?」
戻ってきたら、まっさきにナマエは俺の前に握りこぶしを突き出してきた。
「あ、その前にお帰りなさい、風息」
「ああ。ただいま。で、どうだ? 成果は」
「じゃん!」
自信満々に開かれた手のひらには、種がそのまま乗っている。
「……まあ、そうだろうな」
「ちょっとは膨らんだんだよ! 見て! よく見て! ほら!」
「うーん、そうか……?」
言われてみれば確かに少し円くなっているかもしれないが、割れ目は固く閉じられたままだ。
「修行の合間にでも試してみればいい。一週間もすれば芽が出てくるだろう」
「ほんと!? よーし、がんばろ!」
ナマエは種をそっとポケットにしまった。
俺はその隣に腰を下ろす。
「どうだ、ここでの暮らしは」
「楽しいよ。学校ではこんなの習えないし」
即答された。不便がないように洛竹が気を付けてくれているだろうが、それにしても順応が早い。
「不便だろ。都会に慣れた身じゃ」
「ああ、そっちはまあ……。そろそろあったかいお風呂に入りたいな」
ナマエは髪をいじりながら正直に答えた。願望はそれだけじゃないだろうに。
「お風呂……。あ! 天虎に頼めば入れるかも」
「天虎?」
「五右衛門風呂っていってね、人が入れるくらいのドラム缶を用意して、その下に火を炊くの。そしたらお水が温まって、気持ちよく入浴できる!」
「なるほどな。それくらいなら用意できそうだ」
「ほんと?! お願い!」
お風呂って気持ちいいんだよ、とナマエは感情を込めて訴える。
「風息たちも入ってみて」
「試してみるのもいいな」
期待に胸を膨らませて、ナマエは後ろに寝転がった。
「でも、私ここ好きだよ」
「……そうか?」
「うん。夜空がね、星がいっぱいで綺麗なの。朝は小鳥たちが起こしてくれるから、気持ちよく目が覚める。前は朝がちょっと苦手だったんだけど……。昼はお日様の日差しがあったかくて昼寝しちゃう。美味しいごはんをみんなで焚火を囲んで食べるの、キャンプみたいで楽しい」
「……そうか」
実家に帰れず、かなり時間が過ぎてしまっている。最初のころは寂しそうにしていることもあった。だが、楽しんでいるのも本心なんだろう。今いる場所で、与えられるものを受け入れられる。ナマエは俺が思っている以上に、強い心を持っているのかもしれない。ナマエがこういう性格じゃなければ、俺も連れて帰ろうという気にはならなかっただろう。洛竹はナマエのことをよく見ていて、気付いたことを細かく手助けしてやってるし、天虎も美味しい食べ物を探しにいくのにいつもより気合を入れている。虚淮は一定の距離を取ってはいるが、弟子とまではいかずとも、教えるのはやぶさかではないようだ。
「修行してると、身体の内側から綺麗になっていってるみたいで……。自然の中にいるのって、こういうことなんだなって。なんとなくわかった」
「ナマエ。……その気持ち、忘れないでいてほしい」
「風息」
ナマエは起き上がって、俺と顔を見合わせた。
わかっている。人間だっていろいろなやつがいる。そんなこと、いまさら教わるまでもない。だが、ナマエと出会って、改めて感じた。……あまりいい兆候じゃない。
「うん。忘れないよ」
ナマエは神妙な顔で頷いた。どうせ、都会に戻れば忘れる。心の片隅に残ったとしても、便利な暮らしの中で薄れていくだけだ。
「……俺の故郷は、龍遊っていうところだ」
「龍遊?」
俺はその方角に顔を向けた。ナマエも真似をしてそちらを見た。
「昔は、ここみたいに霊力に溢れた森が広がっていた。俺たちはそこで生まれ、その後もたくさんの妖精が生まれた。妖精は森を育て、森は妖精を育んだ。だが、それを人間が壊した」
「え……」
俺は立ち上がる。ナマエは怯えたような目で俺を見上げる。
「木は切り倒され、地面は均され……。いまじゃすっかり大都会だ。もう妖精を生むことはない」
「……霊力も、なくなっちゃうの……?」
ナマエは恐る恐る訊ねる。
「ああ。霊力は妖精の源だ」
それを聞いたきり、ナマエは口を閉ざした。我ながら乱暴な言い方をした。彼女に当たったところでどうなるものでもないのに。
「俺は龍遊を取り戻す」
それは故郷を離れたあのときから俺たちが掲げている悲願だ。
「人間と……戦うの?」
「必要なら」
いつか帰ってしまう相手に、こんなことを話したところで何になる。彼女は悩むだろうか。俺を恐れるだろうか。どちらでも構わない。
ナマエはすっかり塞ぎ込んでしまった。
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