第四話
結婚式は暖かな春の日に行われた。小玉と旦那になる男は普段とは違う華美な服を来て、村人たち総出でごちそうを作り、宴は一日中続いた。風息はあのあと、小玉に謝りに言った。小玉も受け入れてくれたが、目を合わせてはくれなかった。けれど、しばらく経った後、結婚式に来て欲しいと招待を受けた。今度はちゃんと目を合わせてくれた。風息も安堵して、必ず行く、と頷いた。式の間、小玉は幸せそうで、相手の男も嬉しそうに笑っていた。一生一緒にいるという契約をすることが、彼らにとってはとても幸せなことなのだ。風息も、彼女の幸せが約束されたような気がして、嬉しくなった。
二人は周りに囃し立てられて、顔を近づけると唇を触れ合わせた。二人は頬を赤く染めて、照れくさそうに、けれど幸せそうに微笑み合っていた。あれはどういう意味でする行為なんだろう、と思って隣のナマエを見る。お酒を持って上機嫌のナマエの横顔を見たら、その唇がやけに赤く見えて口元に視線が吸い寄せられた。
「風息ももっと食べなよ!」
「えっ、あ、ああ」
いきなりこちらを向いてそう話しかけてくるので、どきりと胸が高鳴った。口付けの意味を聞くのが、急に恥ずかしくなってしまって、目を逸らして傍にあった肉を口に突っ込み噛みしめた。ナマエは酒をついでは飲み干して大口を開けて笑っている。あの唇に触れたら、どんな感じなんだろうか。疑問が頭の中に浮かんで消えなかった。
「きれいだったねえ、二人とも」
宴からの帰り道、ナマエは満足そうにそう言った。ナマエはたくさん食べ、たくさん飲んでいた。だから今は上機嫌だ。
「ああいう装飾、普段はしないのもったいないなあ」
「動きにくいだろ」
「そうかなあ。そうかも」
ナマエは自身の恰好を見る。あの腕輪はいつの間にか壊れてしまったが、また何度か作りなおして、今は新しいものをつけている。ナマエは活発に動くけれど、耳飾りや玉佩など揺れるものをつけるのを好んでいる。ナマエが動くと、きん、と高い音がするから、それを聞くのが風息は好きだ。後ろを向いていても、彼女の動きがわかるから。
「人間は、どうしてわざわざ一緒にいるなんて誓いを立てるんだ」
風息は気になっていたことを口にする。別に誓いなど立てなくても、一緒にいたいだけいればいいのに。
「人間は、妖精と違って社会を作るからね。たくさんいるから、他の人と交らないように、互いに縛るんだよ」
「そうなのか……?」
動物も番は作るが、誓いなど立てない。だが、動物の社会より人間の社会は複雑なのだろう。もし、誓いを立てたら、と風息は考える。ナマエは、もう森を出るなんて言わず、ずっとここにいてくれるのだろうか。そうは思うけれど、それは彼女を縛ることになる。子供のころは、ただ傍にいてほしいというわがままで押し通せた。だが、今はもっと思慮深くなり、彼女の気持ちを考える余裕もできた。彼女は人間社会に詳しい。それだけ、いろいろな場所に行き、いろんなものを見て来たのだろう。そして、きっとこれからもそうしたいと思っている。それを、風息だけの思いで引き留めてはきっといけないんだろう、そう思うと、もう無邪気に口にすることはできなかった。
「あの二人は、ずっと一緒なんだな」
「そうだね」
そう約束できることが、少し羨ましくなった。
やがて二人の間に子供が生まれ、村の住人が増えた。子供はみるみる成長し、言葉を理解するようになり、自ら歩き、喋るようになった。
「あっという間に大きくなるな」
きゃっきゃと笑う赤子をあやしながら感心したように言う風息に、小玉は笑う。
「そうでしょう。昨日できなかったことが、今日はできるようになってるの。ちょっとでも目を離したら、見逃しちゃうよ」
「えらいな、おまえ」
風息が頬をつまむと、赤子は楽しそうに笑い声をあげた。赤子は特有の匂いがする。肌は剥きたての桃のようで、瑞々しい。かぶりついたら甘そうだ。柔らかな髪が生えた頭はまだ固まらず、細い首も頼りない。少し力加減を間違えたら壊してしまいそうで、風息は慎重に触れた。赤子はそんな風息の気持ちを知らず、元気に手足をばたつかせ、動き回っている。
「風息によく懐いてるなあ」
ナマエは少し羨ましそうに赤子の笑顔を見る。赤子は女の子で、初めて見たときから風息に懐いていた。
「でも、妖精は本当に変わらないのね……」
小玉はしげしげと二人の顔を見る。
「初めて会った時は、小玉はこんくらいちっちゃかったよ」
「もう少し大きかったわよ」
赤子を差して言うナマエに、小玉はぷんとして訂正する。そうだっけ、とナマエは首を傾げる。案外適当に記憶してるんだな、と風息は思った。まだ少ししか歩けないような赤子が、森に迷い込めるはずがない。
「小玉に似て、おてんばさんになりそうだな」
「もう、そんなことないわ」
赤子の滑らかな肌をつつきながらからかうナマエに、小玉は頬を膨らませる。もう、子供のころのように後先考えず突っ走るような真似はしなくなった。すっかり大人の顔をしている。
「あ、ナマエさん、風息さん、来ていたんですね」
そこへ旦那が帰ってきた。そのまま家へ上がろうとすると、小玉が布巾を持って走って行った。
「ちょっと、ちゃんと泥を落として! 家の中が汚れるでしょ」
「ああ、すまんすまん」
二人はすっかり夫婦をしている。結婚式のときはまだぎこちなかったが、今はごく自然に寄り添っているように見えた。
「すみません、子供の面倒を見てもらって」
「いいよ。こっちが見たくて来てるんだから」
頭を下げる旦那に、ナマエは気にするなと軽い口調で答える。赤子はかわいい。小玉の言う通り、少しでも目を離すとすぐに大きくなってしまうから、いままでより頻繁に村に来るようになっていた。
それからまた数週間して、村に向かう道を歩いているとき、微かに違和感があった。ナマエも立ち止まり、村の方向を見る。
「煙が上がってる」
「何かあったのか」
「先に行く!」
ナマエは言うが早いか、もう駆け出していた。風息も蔦を出し、身体を引っ張るようにして飛び上がり、道を急いだ。
村に近づくと、灰が舞っているのが分かった。炎の勢いは強い。村の大半が焼けているようだった。
「ナマエ!」
馬の嘶く声がして、そちらに駆け寄ると、見知らぬ男たちが武器を持っている姿が目に入った。
「こいつらはなんだ!」
「盗賊だ!」
ナマエの声のする方へ目を向けると、盗賊たちがナマエを取り囲んでいるのが見えた。武器の切っ先はナマエに向けられている。あれは敵だ、と瞬時に判断すると、風息は蔦を伸ばし盗賊たちを縛り上げた。
「うわ!」
「なんだこれは!?」
男たちの腕を捻り上げ、武器を叩き落とす。馬たちは混乱し、どこかへ走り去っていった。よく見れば見知った顔が何人か地面に倒れ、血を流している。彼らがやったのか、と逆上し、縛り上げる蔦に力が入った。
「風息、もういい」
いつの間にか隣にいたナマエに肩を掴まれ、風息は詰めていた息を吐いた。蔦を緩めると、どさりと男たちが地面に落ちた。息はしていたが、もう暴れる力は残っていなかった。
「こいつらは、何をしに来たんだ」
「食料や金、女を奪いに来たんだよ」
「なんで……」
「奪うことで生きてるんだ」
脅威が去ったと知った村人たちは、切られた仲間の元へ駆け寄り、その命がもうそこにないことを知って嘆き悲しんだ。
しかし、家に放たれた炎はまだ燃えている。
「虚淮を連れてくる!」
ナマエはすぐに走り去ってしまって、風息は盗賊たちを蔦でもう一度縛り上げると、村の外へ捨てに行った。犠牲者は十数人にも及んでいた。その中に、一際高い鳴き声が聞こえて、風息はぴくりと耳を動かす。小玉だ。
「どうした」
何かを抱きしめ蹲る小玉の傍に、憔悴した様子で旦那が佇んでいる。旦那はうつろな目を風息に向けた。
「子供が……」
「子供?」
小玉がしっかりと抱きしめている小さな身体から、だらりと腕が下がっている。小玉はひび割れんばかりに声を上げた。
「泣き声がうるさいからって! 地面に叩きつけられて……!! どうしてこの子なの!! どうして!!」
「……っ」
その光景が脳裏に浮かび、一瞬視界が赤に染まる。そんなことをできる人間がいるとは、考えられなかった。ついこの間、ようやく歩けるようになったところだったのに。小玉の腕の中にいる小さな身体からはもう生気が感じられず、あの柔らかさは失われ、固く、冷たくなってしまう。小玉は声が枯れるのも構わず泣きわめいている。これからの赤子の成長をあんなに楽しみにしていたのに、希望は無残に踏みつぶされた。あまりの理不尽さにいままで抱いたこともないほど激しい怒りが湧き、風息の指先が冷たく痺れ、頭ががんがんと鳴った。いますぐ奴らを同じ目に遭わせてやろうか――。
そう考えたとき、ナマエが虚淮を連れて戻ってきた。
「虚淮、あれ、消せる!?」
「無論」
虚淮は燃える家ごと氷漬けにし、その氷を解くともう炎はすっかり消えた。あとには、黒くすすけた家がかろうじて形を保って残った。
「妖精様……!」
「ありがとうございます、ありがとうございます……!」
村人たちはナマエたちに手を合わせたが、風息はまるで喜べなかった。犠牲が大きすぎた。小玉は絶対に子供を手放そうとしなかった。幸い、彼らの家は燃えていなかったので、旦那がなんとか家へ連れて帰るのを、風息は黙って見送るしかなかった。
「どうして、人間同士でこんなことをするんだ」
「人間同士だからだよ。人間には、奪うことしか考えてないやつらがいるんだ」
恐ろしく冷たい目をして、ナマエが答えた。ナマエがこんな風に感情を押し殺すのは始めて見る。怒るときはわかりやすく怒るのに、今彼女の表情は無に近い。その白い肌の奥で、どれほどの憤りが渦巻いているのか、それは風息が抱いているものと同じだろうか。
虚淮は言葉少なだったが、あの惨状を見て同じく胸を痛めているのは感じられた。虚淮が村に来たのは初めてだったが、幼い生き物の死を見て揺らがないほど達観はしていない。
それから何度か村を訪れ、復興を手伝った。崩れた家の瓦礫を撤去し、新しい家を建てる。その間、一度も小玉の姿を見ることはなかった。家を建て終わり、もう脅威がないことを確認すると、自然と村へ行く回数は減り、ナマエたちは村人たちと疎遠になった。しかし、風息は盗賊のような悪事を働く人間がいないかと、森中を歩き回るようになった。この龍遊で、あんな野蛮な行為をする連中を許すことはできない。
そうするうちに年月は過ぎていき、あるとき風息を訊ねて来た小玉の旦那は老け込んでいて、すぐにはその人だと気付かなかった。
「小玉が病気になったんです」
だから見舞いに来て欲しいと、彼は言った。小玉はあのあと、二人子供を産んだ。しばらくは元気に過ごしていたそうだが、子供たちが成人するころに病を患い、寝込むようになっていた。そして、今、病状は悪化し、もういつそのときが来てもおかしくない状態だった。
風息とナマエはすぐに小玉の元を訪れた。床に寝かされた小玉の肌は土気色で、呼吸はか細い。かなり蝕まれていることが一目でわかった。
「風息……ナマエ……」
それでも二人の姿を見て、小玉は笑みを浮かべた。
「ありがとう……来てくれて……」
「うん。久しぶりだね」
ナマエは彼女の枕元に座って、その頬を撫でる。風息も少し離れたところに座って、硬い表情で小玉を見つめた。小さかった小玉は、結婚し、親になり、今、その一生を終えようとしている。
「妖精は、ずっと変わらないのね……いいな……私も、妖精に生まれたかった……」
「そう言うなよ。子供を作って家族になるのは、人間だからこそじゃないか」
「……そうね……」
ナマエは小玉の手を握り、励ますでもなく、本心からそう答える。小玉は、反対側に座る子供たちの顔を見た。もう、二人とも大人になり、それぞれの家族を持っている。
「ねえ、この子たちのことも、見守っていてね……」
「ああ」
風息はすぐに答えた。しっかりと頷くのを見て、小玉の目尻から涙が零れ落ちる。
「ありがとう。二人は、私の守り神ね……」
その言葉に、風息の胸が痛む。守ってやれなかった命を思い、苦い気持ちが胸の中に広がった。もう二度と、あんなことはこの森でさせない。改めて、風息は誓う。
小玉はそれから数日後に息を引き取った。
村人たちと交流することは減ってしまったが、村を囲む森を見回り、盗賊たちを見付けたらすぐにこらしめて森から追い出した。この森の中で、悪いことが起きないように見張る。それが風息のやるべきこととなっていた。村人たちはそんな妖精の存在を語り継ぎ、祀り、崇めた。
善き人々の間ではその名は守護神となり、悪しき者たちの間では畏怖の象徴として伝えられるようになった。
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