「ファーくん。どうして空は蒼いのかしら」
ハナエルが口に出したその問いは、ルシフェルからもたらされたものだった。
ハナエルがなぜそんなことを、と訊ねると、『空の民が問いかけるのだ』と、ルシフェルは言った。ハナエルは答えを持たなかった。ルシフェルも持たなかった。その質問をする民の真意を、星晶獣である彼らには知る由もなかった。与えられえた役割をこなす。それが星晶獣としてのハナエルのすべきことだ。それ以外のことを考える必要はない。
だから、このような問いかけをルシファーにしたのは初めてのことだった。
「よく見ろ、ハナエル。蒼だけではない。空は様々な色に変化する。朝は昇る太陽の清浄な金に、夜は沈む月の酷薄な藍に、それぞれの光に染まっている」
ルシファーの答えはハナエルが求めていたものとはずれていた。
青、碧、藍、紺、橙、薄桃、黄、と時間と場所、高度によってさまざまに色を変えるが、空の民は頭上を覆う大気の層を「蒼い」と表現した。
なぜ、空の民は「蒼」を選んだのだろう。
ハナエルは一瞬疑問を覚えたが、それは言葉になることはなく、思考回路の末端へ流れて消えていった。
「忌々しいことだ」
そう呟いたルシファーの眉間に微かに皺が寄る。彼は空を見上げ、ハナエルにはおよそ覗けない深淵のさらにその先を見つめている。
ハナエルはルシファーの表情から空へと視線を上げた。頂点にあった太陽が傾き始めている。
わずかに浮かぶ雲の白が眩しかった。
「ハナちゃん。サンディを見なかったかい?」
ハナエルを呼び止めたのはベリアルだった。ちょうど、誰もいない中庭を通ってきたばかりのハナエルは、少しばかり弱って答えた。
「見てないわ。研究所でもないの?」
「ああ。困ったな……」
ベリアルはぼそりと呟いて首を掻く。それから気づかわしげに声を落としてこう言った。
「……まさか、外に出てないとは思うけど。念のためその形跡がないか見てくるよ。ハナちゃんは研究所をもう一度見てきてくれるかい? 奥の方は見てないんだ」
奥はそもそも出入りを許されていない場所だ。本来なら、彼が向かうはずがない。けれども、そんなベリアルの態度が移ったのか、胸騒ぎがしてきて、ハナエルは焦燥を感じながら頷いた。
「まだ大っぴらにするのはよそう。かくれんぼがしたくなっただけかもしれないしね。俺たち二人だけで探そう。オーケー?」
「わかったわ」
サンダルフォンがいるべき場所から姿を消すなど、前代未聞のことだった。その行為に対してどのような処罰が下されるか、ハナエルは知らない。
任せたよ、と気楽さを装って手を振るベリアルと別れ、ハナエルは研究所の奥へ足を向けた。
サンダルフォンが外へ出たがっていることは、誰もが承知しているところだ。ハナエルが、空高く飛びたいと願っているのと同じくらいに。
だが、二人とも自身の立場をわきまえている。禁止されたらそれまでだ。
ハナエルが生まれたばかりのころはまだその自覚が足りず、何度かルシファーに頼んだことがある。そのたびにルシファーは一言「だめだ」と却下した。
ハナエルは「どうして」とは聞かず、ただその答えを受け入れた。
己の役割を果たすためには、大きな羽は必要ない。
研究所の中は静かだった。いつもと違う様子に、ハナエルの胸騒ぎは大きくなる。堕天司の誰かしらがいるはずなのに、今日はベリアルと会ったあと、ひとつも足音を聞いていない。
「誰かいない?」
ハナエルの声は空しく廊下に響くばかりだった。
研究所の奥には、鍵のかかった扉がある。地下室に続く扉だ。その鍵が今は外され、扉はわずかに開いていた。
ハナエルは隙間から除く暗闇を覗き込んだ。
「サンディ……?」
埃っぽい階段の下で、わずかに物音がした気がした。ハナエルは扉を開けたまま、足を踏み入れた。
下まで降りれば、頭上に開けられた明り取り用の窓から光が差し込んでいた。
「誰かいる?」
ハナエルは通路の端まで届くように、大きな声で訊ねる。
金属が擦れるような音が、奥の部屋から聞こえた。
「サンディ!」
その部屋に佇んでいる後ろ姿を見つけて、ハナエルはほっと息をついた。
「驚いたわ。こんなところにいるなんて。普段は鍵がかかってるから、私も来るのははじめてよ」
話しかけながら、ハナエルは彼の前に回り込もうと歩み寄る。ふと、その手に何かが握られていることに気が付いた。
「俺も初めてですよ」
そう答える声音があまりにもそっけなくて、ハナエルは意表をつかれた。サンダルフォンが握っていた鎖を振り上げる。硬い金属音が冷たい石の壁に反響するのが耳をつんざく。それはハナエルの腕に巻き付き、一部の隙もないほどきつく縛り上げた。
自由を奪われたハナエルの身体を、サンダルフォンは引き倒してそのまま埃っぽい床に押さえつける。
「な、にを」
サンダルフォンは声を出そうとしたハナエルの背を黙らせるために踏みつけた。肺から空気が押し出され、ハナエルは咳き込んだ。
「黙れ! あなたの声は……耳障りなんだ……!」
ハナエルには、何が起こっているのかまるでわからなかった。起き上がってサンダルフォンと向き合おうにも、手は拘束されてしまい、思うように身体が動かせない。もがくハナエルを押さえようと、サンダルフォンは足に体重を乗せた。
そのとき、遠くで爆発音が聞こえた。それに混じって、悲鳴が上がる。天司たちの声だ。敵襲だろうか。この地に敵がくることはありえない。天司長がその双眸で空のすべてを常に見張っているのだから。
では、これは何。
「始まったな」
サンダルフォンはにやりと口角を上げる。
「役割も与えられず、ただ息をしているだけの俺をずっと憐れんでいたんだろう。だがもう、その必要はないよ。何もできないままじっと待ち続けるしかない無力さが、どれほど苦しいか。その身で思い知れ!」
ハナエルの全身に衝撃が走った。身体を半分に引き裂かれたかのような激痛。そして喪失感。一気に全身から力が抜ける。指一本動かすことさえ、今のハナエルには難しかった。サンダルフォンが抜いた剣を軽く振ると、真っ白な羽が無残にも舞い散った。
「ふ……これで、あなたの影響は受けない。俺は、俺たちは、思うがままに力を振るえる……!」
サンダルフォンは掴んでいた二対の羽を無造作に床に捨てる。床に倒れ伏したハナエルの目に映り込んだそれは、確かに先ほどまで彼女の背に生えていたものだった。星晶獣のコア……彼女の力の源そのものだ。
地上の争いはどんどん激しくなっていく。地下のこの部屋までその振動が伝わってきた。ハナエルは冷たい石畳に押し付けられた肌全体で、その嘆きを聞いた。
怒り、悲しみ、苦しみ、痛み。
それらが波のように合わさり、畝って、ハナエルを飲み込もうと押し寄せてくる。それを和らげる力は、もう彼女には残されていなかった。
サンダルフォンは項垂れるハナエルを引きずり起こし、その顎を掴んで痛みつけられ慄いている顔を覗き込んだ。
「ずっと思っていたよ。あの中庭で。お優しいお姉さまを俺がこの手でぐちゃぐちゃに壊したら、あいつはどんな顔をするだろうって……!」
サンダルフォンの表情は、激しい憎悪に歪んでいた。これほど醜悪な感情を、ハナエルは初めて目の当たりにした。
何が彼をここまで追い詰めたのか。ハナエルには想像することもできない。
「……あなたのことを、俺はずっと、こうしたいって……」
サンダルフォンの手が、ハナエルの首に伸びる。
ただ、まっすぐにぶつけられる嘆きをそのまま、ありのままに受け止めることしかできなかった。
「ごめんね、サンディ……私、気付かなくて……」
ハナエルは掠れた声を絞り出す。
「こんなに……苦しんでいたのに……」
「……やめろ」
「いいの……サンディ。私は……大丈夫……だから」
すべてを受け入れ、蛮行を赦したハナエルの微笑みに、サンダルフォンは思わず恐怖する。自身の行いの是非を疑いそうになった一瞬を、硬く目を瞑って振り切った。もう始まってしまったのだ。ここまで来て、後戻りすることなどできない。
細い首に掛けた指に全身の力を込めた。甘い声音を発する声帯を、もう二度と震わせられまいとするかのように。
ハナエルが次に目を開けたとき、視界いっぱいに映ったのはルシフェルの青ざめた顔だった。
「はっ……」
大きく息を吐こうとすると、ルシフェルに強く抱き寄せられた。身体中が燃えているように痛む。見慣れた寝室の天井がルシフェルの頭越しに見えて、ハナエルはようやくほっとしてルシフェルの背にそっと手を添えた。ルシフェルの腕に、ますます力が籠められる。
「……あなたまで、喪うかと……」
ほとんど聞き取れないほど微かな囁きは、確かに震えていた。
ハナエルは大丈夫、とあやすようにぽんぽんと背を叩く。彼が落ち着くまでしばらくそうしていた。
どれくらいそうしていたか、ルシフェルはようやくハナエルを腕の中から解放すると、いくぶんか平静を取り戻した声で言った。
「羽が切断されているため、怪我が治るのに時間がかかる。回復するまで、安静にしていてくれ」
ハナエルの身体には全身に包帯がまかれていた。本来、星晶獣には治癒力が備わっており、多少の傷なら自然に回復する。だが、力の源である羽を失えば、その力も減少することになる。その羽の状態はといえば、付け根にわずかに残っているのが、見るも無残な有様だった。
「全部は、取らなかったのね」
そうしようと思えばできたはずだ。
ハナエルの星晶獣としての役割は天司たちの調和だ。ルシファーによって生み出されたすべての天司たちが互いに傷つけあうことなく、健やかに役割を果たせるよう、働きかけるのがその務めだ。
ルシフェルはじっとハナエルの顔を見つめていたが、ふと目を伏せると、普段の声音に戻って言った。
「では、いってくる」
ハナエルが目覚め、気がかりの一つが解消された。まだ憂いを含んだ硬い表情のまま、それでも自身のすべきことを全うするため、ルシフェルは名残惜しさも見せず立ち上がり、事後処理をこなすために戻っていった。
「いってらっしゃい」
ハナエルは、その背がこの程度では倒れない強靭なものであることを知っていたが、それでも案じずにはいられなかった。
「無理はしないで……」
「ハナエル様。お目覚めになってなによりですわ」
その後顔を見せてくれたのは四大天司の一人、ガブリエルだった。他の天司たちは天司長の指示のもと、忙しく立ち働いている。ガブリエルも、その合間を縫って立ち寄ってくれたのだった。
「サンディは? みんなは、どうしているの?」
ハナエルは真っ先に彼らの安否を尋ねた。ガブリエルは表情を翳らせる。
「……反乱に加わったサンダルフォン含む天司、および堕天司は、全員を捕縛いたしました。現在、投獄の準備を進めているところです」
「……そう」
少なくとも生きていることを知り、ハナエルは胸をなでおろす。
「首謀者の一人と思われる星の民……例の男は、天司長に追われ、空の底へ堕ちました」
「そんな」
「ベリアルはミカエル様が追ったものの、逃げられ、行方不明に」
ハナエルは最後にベリアルに会った時の様子を思い出す。いつも通り軽薄で、少しだけ誠実だった。だが、それも策略だったのか。
暗い地下通路への道を用意したのは、間違いなく彼だったことを、ハナエルは今確信する。
ガブリエルはハナエルの様子をうかがいながら、
「そして、所長……ルシファーは……天司長が」
首を討ちとりました、と暗い顔で告げられ、ハナエルは心臓が凍る思いがした。
『空の色が蒼い? ……よく見ろ、ハナエル』
燃え盛る炎を映して、真っ赤じゃあないか。
そう淡々と答えるルシファーの白い衣服はてらてらと赤を反射し、ただその瞳だけが暗く、蒼に沈んでいた。
「ハナエル様」
気を失いかけたハナエルをガブリエルが呼び止める。
ハナエルは胸を抑えながら、なんとか呼吸を整え、気を鎮める。
「ありがとう。私が眠っている間、よく……天司長を助けてくれました。皆も……休まず今も働いてくれているのね」
「いいえ。務めですから」
ガブリエルは笑みを浮かべて労うハナエルに、首を振って見せた。
「無理をさせて申し訳ございません。お顔の色が優れませんわ。お水を飲んで、どうかお休みください」
「そうね。そうさせてもらうわね」
「ハナエル様のご健康が、我々の何よりの望みですわ」
さあ、と優しく促され、ハナエルはクッションに頭を預け、目を閉じた。
夜のとばりが下りた寝室は、ろうそくを灯す手もなく、静まり返っていた。シーツにうずもれたまま、ハナエルは天井を見つめ続けていた。微かな物音がした。それは小さな音だったが、静かな夜に立てる音としては、充分すぎるものだった。
「ルシフェル」
名前を呼ぶと、足音が止まった。入口から少し入ったところに、背の高い影が佇んでいる。
「……すまない。起こしてしまったな」
ハナエルはクッションに腕を置いて身を起こすと、少し後ろに身体をずらした。
「ねえ、ここに来て」
影はためらうように、すぐには答えなかった。しかし、音をたてないようにしてベッドへと歩みより、ハナエルの伸ばした腕の中へゆっくりと倒れ込んだ。
ハナエルはその頭を胸に抱きかかえ、髪を撫でつけた。
「お疲れ様」
ハナエルの胸の中で、彼は浅く呼吸する。
「以前、空の色が蒼いのはどうしてって……空の民に聞かれたでしょう」
ハナエルは囁くように語り掛けた。
「私たちは答えを持たない。彼らがどうしてそんなことを不思議に思うのか……どうしてそれを問いかけるのか。私にはわからなかった……。だから、ファーくんに聞いてみたの」
その名が口にされた一瞬、ルシフェルの身体が固くなる。だが、ハナエルがあやすように肩を撫でるのに合わせて、少しずつ力を抜いた。
「ファーくんは言ったわ。空の色は光を映して変わるのだと……。まるで水面のようだと思ったわ。だから……きっと、本当は、空は透明なのね」
彼が何に対して忌々しいと言ったのかはわからない。
もしもそれがわかったなら、こんなことにはならなかったのだろうか。
私たちは彼に作られた、彼のために働く獣だったのに。
神は逝ってしまわれた。
私たちは、空に取り残されてしまった。
「あなたは」
ルシフェルはハナエルの頬にその大きな手のひらを添わせた。
そしてその瞳を覗き込む。
「どこまでも、透き通っている」
ハナエルはその手に、自身の手を重ねた。
「あなたの色を、映すだけ」
ルシフェルはハナエルの唇に、自身の唇を触れさせた。
触れ合うたびにそれは深くなり、より奥へと舌を伸ばした。
お互いの肉に触れ、刺激し、反応を得て、その存在を確かめる。
神なき神殿で、自身の寄る辺を得るために、ルシフェルはハナエルを必要とし、ハナエルはルシフェルを受け入れた。
不滅の肉体は、役割のある限り、永遠にも近い時間を稼働し続ける。たとえ主がいなくとも、役割がなくなったとしても、止まることはできない。
与えられた役割をこなすだけの自律型人形……だが、そのプログラムの隙間に、データのゆらぎともいうべき自我が芽生えることを、創造主はどれほど予期していたのだろうか。
その自我の部分が、温もりを求めて手を伸ばす。それに応えて握り返したいと思う。
これが、空の民が愛と呼ぶものと同質のものか、彼らにはまだ判別がつかない。どちらにしろ、いまのところこの行為の名前も、結果も、知らなくていい。
ルシフェルは柔らかなハナエルの身体のすべてに、口づけをする。いとおしくて、離れがたくて、狂おしいほど、熱くて甘い、女の肉体だ。
指を絡め、たおやかに反応を返し、丸くなる身体をくすぐるようにして、舌を這わす。しっとりとした肌から発散される汗は甘く香り、彼の身体の奥を痺れさせる。
ハナエルの円い乳房はルシフェルの長い指に揉まれるのに応じて従順に形を変え、その先端に咲くつぼみの色はますます鮮やかになった。
ルシフェルはハナエルの腹を手のひらで撫で、陰毛を指先に巻き付かせ、さらにその奥へと滑り込ませる。
敏感に腫れ上がった肉の襞を指先がかすめるたびに、ハナエルは悶え、声を上げる。
やがて蜜があふれてくるようになると、ルシフェルはそれを中指で掬い上げ、蠱惑的な壺の中へと進めた。熱く蕩けたその中は恥じらうようにルシフェルの指をおずおずと受け入れ、吸い付いてくる。ルシフェルは誘われるままに指を動かし、内側をくすぐってやった。
ハナエルの上げる声が大きくなってくると、襞もずいぶんほぐれてきた。ルシフェルは指を抜き、ハナエルの汗ばんだ額を撫で、そこに唇を落とした。
姉は潤んだ瞳で弟を見上げた。弟は姉の瞳を見つめ返しながら、ゆっくりと腰を沈めていった。
ひときわ高い声がハナエルの鼻を突き抜けていく。ルシフェルの優しく撫でるような緩慢な動きが、波紋のように身体の内側で反響し、どんどん快感が増していって、止まらない。痺れる脚をルシフェルに絡め、落ちてしまうとでも言うように強くしがみついた。銀色の細い髪に夢中で手を伸ばし、もっと近くでその瞳を見ようと引き寄せる。ルシフェルは請われるままに顔を近づけ、繰り返しキスをした。戯れるうちに、つながったままルシフェルは仰向けに態勢を変え、ハナエルがその上に跨る格好になる。ハナエルは彼の端正な顔立ちをうっとりと手のひらでなぞり、硬く引き締まった胸板を撫で、自ら腰を動かし始めた。与えられる刺激が強くなり、ルシフェルはわずかに眉を寄せ、鼻にかかったような短い声を上げる。聞いたことがないような声、見たことがないような表情、それを見れたことがうれしくて、ハナエルはもっと、と身体を上下させる。ルシフェルはその細い腰に手を添えて、彼女の動きに合わせて揺れる乳房を見上げるが、だんだんと余裕がなくなってくるのがわかった。
「ルシフェル、ルシフェル」
ハナエルは無我夢中で手を差し出してくる。ルシフェルはそれを力強く握り返した。
「ルシフェル……好きよ」
ほっとしたようにハナエルは微笑み、続いて嬌声を上げた。ルシフェルも同時に果てた。
その瞬間、ハナエルが背をのけぞらせる。
「う、あ」
苦しそうな顔に驚いてルシフェルが彼女の身体を支えようとする前に、彼女の身体が倒れ込んできて、その長い髪が広い光に押し上げられて散らばった。
背中が膨らんだように見えた。しだいに光が形をとり、それは天井を突き破る勢いで伸びた。ぎりぎりのところまで伸ばされたそれは、横へと広がり、一対の翼になった。
「ハナエル、これは……」
汗を掻いて深く息をしながらも、ハナエルは驚くルシフェルを安心させるように笑顔を見せた。
「見て、私の羽よ。ほんとうの大きさの、私の羽よ」
ルシフェルの両頬を手で包み、ハナエルは感極まってキスをした。
ルシフェルはそれを受け止めながら、彼女の背中にそろそろと手を伸ばし、生まれたての柔らかでほんのりと温かい羽に触れた。
「これが、あなたの……」
それを封じるものがいなくなった今、彼女が飛ぶことを止めるものはもうなかった。
天司たちの誰よりも大きな翼は、空を包み込むように羽を広げ、待ち焦がれるように震えていた。