10: Circumstances alter cases


 酒場、紅の流星群には二度ほど足を運んだことがあった。
 一階の飲み場に標的がいないことを確認して、セシリアは皆を二階に促した。足を忍ばせて階段を上がり、階上へ出る。
「……見つけた」
 そこには果たして、紅の絆傭兵団、バルボス、さらにはラゴウまでが揃っていた。
「悪党が揃って特等席を独占か? いいご身分だな」
「そのとっておきの舞台を邪魔する馬鹿はどこのどいつだ?」
 バルボスは悠然と首だけを巡らせる。部屋の壁一面は開け放されており、ダングレストの外の平原が見渡せた。そこには、騎士団が綺麗に整列し、ダングレスト側に続々とギルドの面々が集い始めている。
「ほう、船で会った小僧どもか」
「この一連の騒動は、あなた方の仕業だったんですね」
 びしりと指を差したエステルにも、バルボスは動じない。
「ちょっとそこ、聞こえてる?」
「ひっ」
 隠れているつもりなのか、棚の後ろに身を縮めているラゴウにセシリアはぞんざいに声を投げた。
「姫様がいらっしゃるのよ――ご挨拶の一つでもしたらどう?」
 ラゴウはびくりと身体を揺らしてますます小さくなった。
「とっとと始末しろ!」
 バルボスの命令で傭兵団がセシリアたちを囲む。出口は彼女らの背後にあるからラゴウは逃げるに逃げられないらしい。この場で警戒すべきは首領であるバルボスだけだ。
 セシリアが構えたとき、平原から太鼓の音が響いてきた。
「馬鹿どもめ、動いたか! これで邪魔なドンも騎士団もぼろぼろに成り果てるぞ!」
 バルボスが待っていたのはこの――開戦を告げる太鼓だった。
 本物の書状を待たずして、騎士団とギルドが一斉に動き出した。
「まさか、ユニオンを壊して、ドンを消すために……!」
「騎士団がぼろぼろになったら、誰が帝国を守るんです? ラゴウ、どうして……あっ」
 カロルの言葉を聞いてエステルはラゴウを問い詰めようとしたが、ふいに気づいた。リタもつまらなそうな顔をする。
「なるほど、騎士団の弱体化に乗じて、評議会が帝国を支配するってカラクリね」
「なんてこと……」
「互いに食いつぶし合わせるなんて、馬鹿の発想だわ」
 そんなことをしたところで、人間が魔物に対して弱体化するだけだろうに。自分達の利益、それも目先の、触れようとすれば消えてしまうような陽炎しか見えていない。
「騎士団とユニオンの共倒れか。フレンの言ってた通りだ」
「ふっ、今更知ってどうなる? どうあがいたところで、この戦いは止まらない!」
「それはどうかな」
 勝利を目前に大きく歪んだバルボスの口を、ユーリは余裕の笑みで見返した。
「ったく、遅刻だぜ」
「フレン!?」
 ユーリが呟くのと、エステルが窓の外に白い四本足の獣に乗った金髪の騎士を見つけるのとは、ほぼ同時だった。
「来たわね」
 セシリアもほっと笑みを漏らした。フレンが衝突を始めたギルドと騎士団の間に入っていくと、ごちゃごちゃになっていた前線が解され、それぞれが自分の陣営に戻って、元のように綺麗に分かれた。
 今まさに成し遂げられようとしていた目的が、すっかり壊されてしまったバルボスは、怒りに任せてラゴウを怒鳴りつけた。
「ラゴウ、帝国側の根回しをしくじりやがったな!」
「ひっ」
「ちっ」
 傭兵団の一人が兵装魔導器を肩に担ぎ、窓の外へ照準を合わせる。その銃口がフレンを狙っていることを知って、カロルは鞄からスパナを取り出すと見事に狙撃を阻止した。
「当たった!」
「ナイスだ、カロル!」
 バルボスは狙撃も叶わなかったことを知るとやおら立ち上がり、巨大な兵装魔導器を担ぎ上げた。
「ガキども! 邪魔は許さんぞ!」
 どう見ても室内で発砲していい威力ではなさそうなそれを、バルボスは躊躇せずユーリ達に向けた。想像を上回る速さでエアルが充填され、ユーリ達は逃げ遅れる。だが、攻撃は彼らに当たる前に弾き消された。
「なっ、なんだぁ……!」
 開かれた窓から、もうすっかり見慣れた魔物が飛び込んできて、ユーリ達の前を悠々と泳いでいた。どうやらあれが攻撃から庇ってくれたらしい。
「また出たわね! バカドラ!」
「リタ、間違えるな。敵はあっちだ……!」
「あたしの敵はバカドラよ!」
「今はほっとけ!」
 すかさず身構えたリタだったが、ユーリに諭されて渋々腕を下ろした。
「ちっ、ワシの邪魔したこと、必ず後悔させてやるからな!」
 バルボスは分が悪いことを知ると兵装魔導器を飛行形態に変えて、そのまま宙に飛び上がった。空を飛べる魔導器に驚愕している一向の前で、黒幕はあっという間に空の彼方へと飛び去ってしまった。
 それを追いかけるように動き出した竜を、リタとユーリが引き止める。
「バカドラ! あんたは逃がさないんだから!」
「奴を追うなら一緒に頼む! 羽の生えたのがいないんでね」
「あんた、何言ってんの! こいつは敵よ!」
「俺はなんとしても、奴を捕まえなきゃなんねぇ。……頼む!」
 竜の背に乗った白い鎧は、無言で竜を窓際に寄せた。乗れということらしい。ユーリは迷わず飛び乗った。カロルやエステルがそれに追いすがったが、竜の背は大人二人を乗せるだけの広さしかない。
「お前らは留守番してろ」
「そんな……!」
「ちゃんと歯磨いて、町の連中にも迷惑掛けるなよ! セシリア、そいつら頼んだ!」
「仕方ないわね。きっちり魔導器取り戻してきなさいよ!」
「ユーリの馬鹿ぁっ!」
 フレンにも伝えといてくれ、と言い残して、ユーリは竜と共に飛び去ってしまった。セシリアとしても今すぐに追いかけたい気持ちに変わりはないが、仕方ない。今セシリアが殴りたい人間は、未だ部屋の隅に蹲っている。
「さて。私達は、こちらの素敵な髭面でも刈ろうか」
「ひぃっ」
「ラゴウ、これ以上の抵抗は無駄です。大人しく投降してください」
「ぬ、ぬぅ……!」
 ラゴウは口を開きかけたようだが、セシリアがすらりと抜いた刃が怪しく光ったのを見るやますます青褪め押し黙った。
「くそっ、てめえらだけでも道連れにしてやる!」
 自棄になった傭兵の一人が飛び掛ると、他の者も一斉に後に続いた。
「あんまり舐めないで欲しいわね!」
 セシリアはラゴウから目を逸らすと兵装魔導器を肩に抱えた男に斬りかかった。カロルも果敢にハンマーを振るう。
「バルボスの計画は失敗したんだ! もう止めなよ!」
「うるせぇ!」
「あの方こそ元首になるべき人だ!」
「評議会の屑と仲良くしてる元首なんてお笑い種ね!」
 そう言い放って、リタはトラクタービームを発動した。部屋にいた傭兵達はあえなく空中に持ち上げられ、地面に叩きつけられた。もう反撃してくる者はいなかった。
 それを確認してから、セシリアは壁の反対側へ這って移動していたラゴウを振り返る。
「ちょっとそこの! さっさと騎士団のところ行くわよ!」
「ひ、ひい」
「ラゴウ、言葉すら忘れたんですか……」
 引きつった声しか出せないラゴウに、エステルは失望しきった声を漏らした。
「こりゃまた派手にやったわねぇ」
「誰!?」
「おっと」
 すかさずカロルがハンマーを構えたが、入り口にひょっこり現れた紫の襦袢を見て脱力した。
「レイヴン!」
「何よ、またあんたなの?」
「またってことないでしょー」
 レイヴンは床に横たわっている傭兵団をうえーっと言いながら口元を覆って一瞥し、ラゴウに剣を突きつけて立たせようとしていたセシリアを見つけた。
「さっきダングレスト上空を横切っていく未確認生物を二つほど発見したのよ」
「バルボスと魔物って確認できてるなら未確認じゃないでしょうよ」
「そう突っ込まないの。そんで、ちょうどドンの傍にいた俺様名指しされちゃったのよね」
「戦争の方は大丈夫なんですか?」
「もうドンと騎士様が収めたわよ。それより、お嬢ちゃんたちもバルボスを追っかけるんでしょ?」
「でも、バルボスの行き先わからないし……」
 困ったように言ったカロルに、それならちょうどいいわとレイヴンは人のいい笑みを作った。
「このレイヴン様に心当たりがあんのよ。だから、連れて行ってあげようか」
「ほんと!?」
「どうせ一人で行きたくないだけでしょ」
「そんな冷たい目しないのー! 知りたくないってんならいいけどぉ」
「うん、知りたくない」
 わざと引いたレイヴンに、リタはあっけらかんと言った。がくっと肩を落とすレイヴン。
そして何か期待するような目をセシリアに向けたが、セシリアは特に突っ込まずにそうね、と言った。
「リタとエステルはここに残ればいいわね。フレンももうしばらくいるだろうし」
「えっ?」
「だから、私を案内してください」
「ぼ、ボクも行くよ、セシリア!」
 カロルが慌てて名乗りを上げる。セシリアはカロルと目を合わせると、頼もしく頷いた。
「待ってください。私も行きます! バルボスを放っては置けません」
「エステル、あんた、危険なのよ?」
「だって、リタはユーリが心配じゃないんです?」
「あいつなら殺しても死にそうにないし、心配するだけ無駄っていうか……」
 リタはそう答えたが、じっと見つめてくるエステルにとうとう根負けした。
 だがセシリアは厳しい顔を変えなかった。
「エステル。私はあなたを守る役目があるわ。だから、あなたの同行は許可できない」
「セシリア……」
 エステルは縋るようにセシリアを見つめたが、彼女もまた頑固だった。レイヴンは事の成り行きをはらはらしながら見守っている。
 リタがその雰囲気を壊すようにあー、と声を上げた。
「そんなこと言って置いてったって、この子絶対着いてくるわよ。その方が危険なんじゃないの?」
「騎士様もまだまだ忙しいでしょうしねぇ。護衛対象だっていうなら、手元に置いておいた方がいいんじゃない?」
 セシリアは外野から口を挟んできたレイヴンを横目で睨んだが、そうです、と自ずから言わんばかりに勢いを取り戻したエステルの瞳を見て、二人の言い分に反論できないことを知った。
「わかった。ただし、これだけは守ってもらうからね」
「はい」
「絶対に、怪我をしないこと。傷の一つもだめ。わかった?」
「わかりました!」
 エステルは勢い込んで頷いた。それも嬉しそうに笑うものだから、セシリアの厳しい顔も崩れてしまいそうになる。
「それはちょっと無茶じゃないかな……」
「魔物があの子に手を出す前に、あんたが倒せばいいことでしょ」
「無茶苦茶な……」
 カロルはプレッシャーを掛けられて一瞬茫然としたが、気を取り直すと改めてレイヴンに向き直った。
「それじゃあ、すぐに行こう」
「その前にラゴウね。逃げようなんて考えるんじゃないわよ」
 この期に及んで眼球を彷徨わせながら逃亡を図っていたラゴウに釘を刺して、セシリアはフレンの元へ向かった。
 平原に集まっていた騎士団とギルドはダングレストの中央広場に戻って来ていた。セシリアはラゴウの首根っこを捕まえたレイヴンを伴って、人込みを掻き分けフレンの元へ向かう。
「フレン! 黒幕その一を捕まえてきたわよ」
「これは……! ラゴウ執政官」
 騎士団の方からざわめきが上がった。ラゴウはレイヴンの腕を振り払うと後ろでに腕を組みふんと鼻を鳴らす。襟の回りを囲っている黒い羽が小刻みに震えていた。
「まったく乱暴な扱いをされました。ギルドというのはこれだから粗野でいけませんね」「悪党が何言ってんの」
「ラゴウ執政官。書状を捏造し、ヨーデル次期皇帝候補へ反逆を企てた罪で、あなたを拘束します」
「くっ……」
 この場には騎士団と、ギルド、つまり彼の敵しかいない。
 ラゴウは騎士に縄を掛けられ、ユニオン本部の牢屋に入れられることになった。
「フレン、見事だったよ。すごく格好良かった」
「セシリアこそ。ところでユーリは?」
「黒幕その二を追いかけて飛行中よ。私達もこれからそれを追いかける」
「しかし、姫は……」
「忙しいでしょ?」
「……すまない」
 フレンはちらりと広場を見やって、項垂れた。半ば期待していたセシリアもこの現状を見たら強く言えなかった。
「……やっぱりね。うん、大丈夫。こっちには私もレイヴンもいるから」
「レイヴン?」
 フレンがセシリアの後ろを振り返ると、レイヴンはちょっと会釈した。彼がドンの隣に居たことを思い出して、フレンは彼が信用に足る人物であろうことを飲み込む。
「気をつけて」
「そっちも頑張ってね、フレン。ここからが本題よ」
「ああ、わかってる」
 軽く握った拳の背を合わせて、セシリアはレイヴンと広場を抜け出した。
「騎士団とギルドの協定、か」
「ここまで来たんだから、上手くいって欲しいけどねぇ」
 セシリアの呟きに同調したように、レイヴンが不安げな声音で吐露する。
「フレンがいるんだから大丈夫ですよ。複雑だけど」
「やけに信頼してるのねぇ。青春だわ。眩しいわぁ」
「あ、レイヴンには注意してねって言っとくべきだったか」
「そりゃどういう意味よ」
「今回の協定、ぶち壊さないでくださいねって意味」
「おっさんそんな間抜けに見えるー?」
「さあ」
 セシリアはじっとレイヴンを見つめてみた。レイヴンはぎょっとして、一瞬軽薄な表情を剥がした。その下に現れたものを垣間見て、セシリアの方もぎょっとする。
 視線を逸らしたのはレイヴンだった。
「ま、せいぜい、騎士の青年には頑張ってもらわないとねぇ」
「フレンにばっかり頑張らせないでくださいよ」
「はいはい。ところでお嬢ちゃん」
「なんですか」
「騎士の青年と、黒髪の青年と、どっちが本命なの?」
「はあ?」
「いやあ、意外に騎士の青年ともお似合いっぽかったからぁ……って、なによその目。魔道少女以上に冷たい目なんですけどっ」
「セシリア! レイヴン! 早く行こうよー!」
「今行くよ、カロル!」
「ちょっとちょっと、冗談だってば、置いていかないでよ」
 レイヴンはダングレストの北西に位置する、川で大陸から分断された島へと皆を案内した。そこには巨大な要塞のような塔、ガスファロストが不気味な霧を纏って聳えていた。
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