01: Marriages are made in heaven


「無事で何よりだ」
 ボートから船に移る際、セシリアに手を貸しながらフレンは安堵に目元を緩めた。
「飛んだ目にあったがな」
「いつものことじゃないか」
 耳に入った水を抜きながら愚痴を零すユーリに笑ってやる。
「死にかけるような目がいつものことだなんて、それこそ命がいくらあっても足りない、わね」
 服の裾を絞りながらセシリアが肩を竦めた。
 騎士団が用意してくれたタオルで髪を拭きながら、セシリアは唐突に思い出して、それを確かめるためにユーリの肩を掴んだ。
「おわっ、なんだよ」
「怪我!」
「ああ」
 ユーリはほれこの通り、と左腕を曝して見せた。切り裂かれた服の下から見える皮膚は滑らかで、傷一つない。
セシリアは思わず嘆息した。
「優秀な治癒術師がいるからな」
「そうだね。うん。よかった」
 無事だとわかるや心配したのが気恥ずかしくなって、誤魔化しついでにぺし、とユーリの腕を叩いてやる。
「それにしても、妙な奴に目をつけられたもんね!」
「あー、あいつなぁ……」
 燃え盛る船上での戦いを思い出して、ユーリは遠い目をする。恐らくあの男も生き延びているだろう。できればもう会いたくないな、と切に思うが、どうもああいうタイプとは縁があるような気がしてならない。経験上、そう思わずにはいられないのがまた嫌だった。
「ユーリにばっかり粘着して、他の人間なんて目に入らないみたいにさ。あの態度、思い出しただけでも腹立ってくる!」
「なら忘れとけよ」
 ぎりぎりとタオルで髪を絞るセシリアを窘めるユーリ。
 けれどコケにされたと憤るセシリアの怒りは収まらないようだった。
「あんな奇抜な格好の変態忘れられるかっての! 今度会ったら絶対負けないんだから。ユーリと戦いたいならまず私を倒してからにしろっていうのよ」
「俺としても、今度会うようなことがあったらお前に相手を任せたいわ」
 セシリアは任せといてと息巻いているが、向こうがこちらの意向を汲んでくれるかといえばそれは怪しい。やはりもう二度と会わないのが一番だ。
「妙な知り合いといえば」
 色々あって忘れていたが、とユーリはセシリアに言った。
「お前、あのおっさんとどこで知り合ったんだよ」
「おっさん?」
 該当者が思い浮かばないらしいセシリアに、レイヴンだよ、と名指しする。セシリアはしばらくレイヴンレイヴン、と名前を繰り返して、ようやくああ、と唸った。
「知り合ったっていうか、一回会ったことがある程度よ」
「にしては、やけに親しい感じだったけどな」
「どこがよ」
 セシリアは頬を赤くして抗議した。予想を上回る反応に、ユーリはにやりとする。
「お前が敬語を使うくらいだもんな、よっぽど恩があるんだろうなぁ」
「年上を敬うのは当然でしょ。礼儀ってものよ。ああ、ユーリは未だにそういうことできないんだねぇ」
 逆に見下されてユーリはむっと口をつぐんだ。
 お前だって下町では誰に対してもタメ口だったじゃねぇか、今更いい子ぶるなよ、と言いたい気持ちは山々だったが、それが外に出た彼女が身につけたスキルの一つなんだろう。
「ところであのおっさん、何者なんだ?」
「ユーリも知らないの?」
「知らないのって……聞いてるの俺なんだけど」
 セシリアはそんなこと気にしたこともなかったといわんばかりだった。訊ねられて初めて、そういえばなんなんだろうねぇ、なんて言っている。
「たぶんギルド関係の人だとは思うけど」
「ギルド、ねぇ」
 牢屋に閉じ込められ、その牢屋に騎士団長がじきじきに会いに来るような男。
 興味があるといえばあるが、知ったところでどうなるわけではない。詮索を止めたユーリに、今度はセシリアが質問した。
「じゃあ、あのザギってのはなんだったの? 誰に雇われてるの?」
「ん? ラゴウじゃないのか?」
「やっぱり? で、どこで目を付けられたの?」
「城でだよ」
 エステルを連れて城を脱走する時の様子を、ユーリは掻い摘んで説明した。セシリアには冤罪と言って誤魔化した記憶があるからなるべく細部をぼかしたけれど、時折いやに鋭い古馴染みのこと、突っ込みが入るかもしれないと身構えたが、セシリアはの方はふうん、と相槌を打っただけだった。
 それだけザギに関心があるのか、もしくはいつものことだと諦めているだけかもしれない。なんにせよ突っ込まれないならそれに越したことはなかった。
 セシリアとしては彼が冤罪ゆえに罰を免れたわけでなかったことなどすでに知っているからいまさらである。説明をあえてぼかすユーリの心情はだいたい想像できたが、いまさら怒るのも面倒だった。
「厄介な男ね。ラゴウの手下なら、また会える可能性は高そうだわ」
「だよな」
 うんざりといった様子のユーリに対して、セシリアは笑みを浮かべていた。楽しそうである。怒りが良い具合に彼女を愉快にしているようだった。舌なめずりさえしそうな雰囲気だった。
「次は絶対、無視なんてさせないんだから」
 簡単にあしらわれたことがよほど堪えているらしい。その目は雪辱に燃えていた。
「ユーリに怪我させた奴、絶対許さない! とかなら可愛いのになぁ……」
 思わずユーリの口から本音が零れる。女々しくしろとは言わないが、もう少し可愛らしい反応を望みたいというちょっとした我侭は許されてもいいと思う。
 今のように、何言ってんだこいつという目で見られることは簡単に想像できたから今まで言わずにいたのだが。
「え? 今何か言った?」
「なーんにも。言ってませんよ」
 こういうときはのってくれないからつまらないんだ。ユーリはありったけの軽蔑を作るセシリアの頬を抓ってやった。顰められていた眉はすぐに緩んで、笑みが零れる。
「ま、ついでにあんたのやられた分もお返ししておくわよ」
「もちろん、二倍返しでな」
 二人で笑って、拳を突き合わせた。

「あ! 港だ!」
 甲板の反対側で海を眺めていた三人の内、カロルが叫んだ。彼が指差した方、水平線の上に、大陸が横たわっていた。
「あれが、トルビキア大陸」
 セシリアがユーリに教える。ユーリは目を細めて迫る未踏の大地を臨んだ。
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