「姉ちゃん? どこ行ったんだよ……」
 一緒に買い物行こうって誘われたときは有頂天だった。
 ここんところ、姉ちゃん部活とか勉強とか忙しかったみたいで、全然会えなかったんだよな。
 駅前のデパートで姉ちゃんの好きな文房具を見て、その後LBX売り場を見に行こうってことになってたんだけど、移動中うっかりはぐれてしまった。
 エスカレーターに乗る前までは一緒だったはずなのに。途中の店に気を取られて足を止めたのかもしれないな。
 慌てて昇りエレベーターに乗りなおして、来た道を戻る。雑貨や靴下が並べられた棚の間も通ってみたけど、姉ちゃんはいなかった。
「どうしよう……。あ、そうだ携帯」
 最初からこうすればよかったんだ。家が近所な上に、特に用事もなかったから、番号を交換してから一度も掛けたことがない。だから連絡を取るって当たり前のことが咄嗟に浮かばなかったんだ。少し照れくさいけど、緊急事態だ。アドレスから姉ちゃんの番号を呼び出して、通話ボタンを押した。
「出てくれよ、姉ちゃん」
 けれど呼び出し音は虚しく鳴るばかりで、留守番サービスのアナウンスを三回聞いたところで俺は諦めた。
 電源は切ってないんだろうけど、気づいてない。向こうも俺を捜してると思うんだけどな。もしかして入れ違ったのか?
 念のためもう一度この階をぐるっと回ってから、一階下へ降りてみることにした。

 *

「カズー……」
 小さな声で呼んでみる。店内で大声を出して呼ぶわけにもいかないし。もう小さな子供じゃないんだからね。どこ行っちゃったんだろう、カズくん。先に下に降りたのかと思ってLBX売り場のあるところまで来ちゃったけど……いないみたい。
 今日は休みの日だからか、売り場はたくさんの人でごった返してる。この中にいたら、見つけるのはちょっと大変かも。
「お探しですか?」
 売り場の外れに立って、どこを捜そうかと思案していたところ、店員さんが丁寧に声を掛けてきた。いえ、と手を振って、買い物したいわけじゃないことを伝える。でも店員さんはお時間があるなら、と言って、私に商品の説明を始めてしまった。今一番売れ筋なのがこのグラディエーターなんですよ、と言うのに、私ははあ、と頷く。どうしよう、買わないんだけどな。はっきり言うのも申し訳ないし……。
 困ったなぁ。熱心な店員さんだ。すごく丁寧に説明してくれて、口を挟む隙もない。へえ、女の子もLBXするんだ。そういえば、アミちゃんもカズと一緒にLBXやってるんだよね。すごいな。私はゲームとか苦手だから、ダメだけど。
 って、そうじゃなくて、私、カズを捜しにいかないといけないんだ。
「おい、店員」
 と、横から声を掛けてきた男の子がいた。
 敗れた学帽に、長い学ラン。シャツは着ないで、がっしりとした胸板と腹筋を晒してる。なんだか凄みのある子だ。
「LBXはな、買う気のないお嬢さんに無理やり勧めるもんじゃねえ」
「は、はぁ」
「女を口説くんなら、もっとマシなやり方考えな」
「なっ……!」
 店員さんはさっと顔を赤らめると、お辞儀をして足早に立ち去っていってしまった。よくわからないけれど恥をかかせてしまったかもしれないと、少し不憫に思う。
「お嬢さんも、ああいうのはきっぱり断ってやればいいんだ」
 学ランの子が、私に笑いかけた。ちょっと怖い人かと思ったけど、笑顔は親しみやすい。
「そうだよね。店員さんにも悪いことしちゃったな」
「下心たっぷりの奴にお嬢さんが謝ることはねえよ。それより、誰か捜してるようだったが」
「あ、そうだった。カズ……連れの男の子捜してたの」
「どんな奴だ?」
「中学生で、ドレッドヘアーを一つに束ねてるんだけど」
「ドレッドねぇ。ここにはいなかったな。携帯は持ってねぇのか?」
「あ! そうだ!」
 携帯で連絡取ればいいんだった。全然思いつかなかったよ。学ランの子の提案に従って、鞄から携帯を取り出すと、着信があった。カズだ。鳴らしてくれてたのに、気づかなかったんだ。
 折り返し電話を掛けると、ワンコール鳴らないうちに相手が通話口に出た。
『姉ちゃん!?』
「カズ? ごめん! 電話するのすぐに気づかなくて」
『いや、連絡取れてよかったよ。どこにいるんだ?』
 カズは心底安堵して溜息を吐いた。なんだか私の方が親と逸れた迷子みたい。
「LBX売り場にいるよ」
『そっか。じゃ、すぐ行くから』
「うん。エスカレーターの近くで待ってるね」
『動かないでくれよ』
 笑いながら釘を刺して、カズは電話を切った。これで一安心だ。
「よかったな」
「うん」
 学ランの子も電話のやりとりで事態が解決したことを知り、喜んでくれた。
「ありがとうね」
「いや。俺は何もしてないぜ」
「電話、気づかせてくれたでしょ。店員さんのことも」
「それくらい、いいってことよ」
 鼻の頭を指で弾いて、学ランの子は肩を張った。
 そして、改まった顔で私を見て、親指で自分の顔を指差した。
「俺は郷田ハンゾウだ。ミソラ二中の三年」
「本当? 私ミソラ二中の卒業生だよ。なまえっていうの」
「なまえさんか。いい名前だ」
「ハンゾウって名前も渋いね」
 短い下駄に薄着っていうのが、粋な江戸っ子って感じで本人も渋い。ぴったりの名前だ。
「なまえさんは先輩ってわけだ」
「そうなるね。私の連れも、ミソラ二中なんだよ。今一年で……あ」
 噂をしていると、エスカレーターから飛び降りてこちらに走ってくる姿が見えた。
 デパートの中で走っちゃ危ないよ、と私はカズを注意した。

 *

 急いで姉ちゃんのところに向かったら、なんで郷田がいるんだ!? ちくしょう、姉ちゃんを一人にしちまったばっかりに……!
「カズ、速かったね」
 姉ちゃんの前に立ち、右手で庇いながら郷田を睨む。
 郷田は高みから余裕の表情で俺を見下ろし、ふっと笑った。
「なんだ、なまえさんの連れってお前か」
「なっ、なんで姉ちゃんの名前!!」
「さっき教えてもらったんだよ」
 そんな、姉ちゃんを脅して無理やり聞き出したのか……!
「ハンゾウくんね、さっき知り合ったんだけど、色々助けてもらっちゃって」
「いやいや、俺はたいしたことしてないですって」
「騙されんなよ、姉ちゃん!」
 いまいち危機感のない姉ちゃんを首を捻って振り返る。
「こいつはミソラ二中の番長で、対戦相手のLBXを破壊する地獄の破壊神なんだ! 姉ちゃんはこいつのこと知らないから……!」
「番長?」
「へぇ、言ってくれるじゃねえか」
 凄みを利かせた声に、背筋がゾッとして、凍りついた。近くで見ると、圧倒されそうな迫力だ。震えるな、足。逃げ出したいくらいだけど、でも、ここで逃げるわけにはいかない。俺が姉ちゃんを守るんだ……!
「ふん、俺を知っていながら尻尾巻いて逃げ出さないことは、褒めてやるよ」
「姉ちゃん、行こう」
「でも、まだお礼……」
「待てって。なまえさんはまだ俺に用事があんだよ」
「気安く呼ぶなよっ!」
「ちょっと待ってね、カズ。ハンゾウくん、さっきは本当にありがとう」
「お礼を言われるほどのことじゃねえが、それはおいといて、よかったら今度お茶しませんか」
「なんでそうなるんだ!」
 まるっきり話が見えねえ!
 てっきり、郷田が姉ちゃんに絡んでるもんだとばっかり思ってたんだけど、こうしてみるとなんか違うような気がする。姉ちゃん、いくらなんでも友好的すぎだし。名前を告げるとか礼を言うとか、いったい何があったんだよ、俺のいない間に。
「はい。送りました」
「お、できたぜ」
 ってさっさと番号交換してるし!
 何がその携帯かっこいいねー将棋の駒型? なまえさんの携帯もおしゃれですねだよなんのお世辞合戦だよ!
 姉ちゃんを守ろうと意気込んだこの勢いはどうすればいいんだ。すごいずれたことしちゃったんじゃないのか俺。むちゃくちゃ空気読めてなかったんじゃないか。
 番長にメンチ切った手前引っ込みつかねーよ抜き差しならねーよ!
「カーズ」
「うっ」
 ぺち、と額を叩かれた。目を瞬かせていると、間近に姉ちゃんの顔。思わず仰け反って距離を取ったとき、視界から大柄な男が消えていることに気づいた。
「あ、あれ? 郷田は……?」
「帰っちゃったよ?」
「あ、そ、そうか……」
 ほ、と息を吐くと、肩からふにゃふにゃと力が抜けた。よ、良かった。いなくなってくれたのか……。
 できることなら穏便にすませたいもんな。暴力沙汰に発展してたらとんでもねえ。はぁ……。よかった。
 なんかすごい勘違いしてた気がするし、郷田と何があったのか訊ねるのも気が引けるんだよな。めちゃくちゃ気になるけど、墓穴を掘るだけのような気がする。
「LBX見ないの?」
「え? あ、そうだな」
 姉ちゃんの言葉に、ふと我に返った。いけねぇ。せっかくのデート(……って言っていいよな?)なのに、迷子騒動でずいぶん時間を無駄にしちまったんだ。このまま終わったらサイアクだ。
 あと少しだけど、楽しまないと損だよな。よし、郷田のことは忘れよう。あ、でも。
「姉ちゃん」
「何?」
「郷田とお茶、行くのか?」
 これだけははっきりさせておきたい。
「うん、予定確認してからね」
 勿体つけずあっさり頷く姉ちゃん。簡単に壊された期待に、がくーっと肩を落とす。姉ちゃんにとっては、年下の男と遊ぶくらいなんてことない、デートとも思ってないってことなのかぁ……。
「ほら、早く行こう」
 する、と手の中に滑り込んでくる温もり。
 かっと、身体中が熱くなった。
 姉ちゃんは棚を楽しそうに眺めてる。
 意識してんのは俺ばっかり、なのかも。
 一人だけ緊張してるのが悔しくて、少しだけ強く、手を握り返す。
 姉ちゃんの肌が、ぎゅっと俺の掌に触れる。
 振り返ってくれないか。
 俺だけに、笑いかけてくれないか。

 今は無理でも、いつかは……きっと。
 君を守れる男になりたい。



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