▼ 02.have a break
青いドアから出た先には、螺旋階段があった。黎斗さんが登り、ポッピーが弾むようにそのあとを着いていき、さらに永夢くんが狭いそこに身体をねじ込もうとして、足を滑らせた。
「わーっ!?」
すぐ後ろにいた私は咄嗟に両腕を突き出してその背中を支える。
「ちょっと! 何やってるの永夢!」
「ご、ごめん! ありがとう」
短い首を一生懸命巡らせてお礼を伝えようとする永夢くんに私は首を振る。彼を助けようとしたというよりは、さっきみたいに巻き添えを食わないようにという保身のための行動だった。
「もう〜! 狭いから早く変身といてっ!」
「このままでいろって言ったのポッピーじゃ……うわぁっ!」
永夢くんの身体に視界が覆われていて何が起こっているのかわかりにくいけれど、ポッピーが永夢くんから何かを引き抜く動作をしたらしい。
すると、その身体が眩しく光り始めた。同時に両手のひらが支えていたはずの体重がふっと消える。
そう、消えた。
狭い螺旋階段で身動きが取れなくなっていた白いずんぐりむっくりした身体が、目の前から消えていた。
代わりに、若い男の人が立っていた。それが見えたのも一瞬で、突っ張ったままの両手の中に、その人の身体が倒れ込んでくる。
「……っとと!」
また倒れる、と目を瞑ったが、衝撃の代わりに腰を引っ張られる感覚があった。
「セーフ……」
驚いて目を開けると、ぱちりと目があった。ほとんど鼻が触れそうな距離に息を呑む。見知らぬお兄さんが私の身体を抱き寄せて、手すりに捕まって二人分の体重を支えていた。
「永夢、グッジョブ!」
ポッピーが親指をぐっと立てた。
「ごめんなさい、また押し倒しちゃうところでした」
彼は私からそっと離れ、気弱に微笑んでみせた。私はまだ何が起きたのか飲み込めておらず、ただ彼を見つめ返すしかない。幼い顔立ち、白衣に派手な柄のTシャツ。
いったい彼はどこから現れたんだろう。
さっきのずんぐりむっくりはどこに行ってしまったのだろう。
「二人共、早く上がってくれ」
頭上から呼びかけられて、はっと我に返った。黎斗さんはとっくに階段を登りきっていて、二階で私達を待っていた。そうだ、今何が起こっているのかは、黎斗さんが説明してくれる。それまでは、とにかく、考えるのをよそう。
「ポッピー、こんなところで突然変身を解いたら危ないじゃないか……」
「永夢が鈍くさいからでしょ〜」
「ひどいなぁ」
……二人が理解できない会話をしているけれど、たぶん恐らくきっと、説明を聞けばわかるようになるだろうから、今はポッピーとお兄さんの言葉は聞かないことにしよう。
二階には一階にあったような大掛かりな装置のついたベッドはなく、部屋の中央に大きい白いテーブルがあった。壁際にはパソコンや資料棚、それにアーケードゲームの筐体。
……ん? 筐体? なんだあのポップな一角は……?
いや、やめておこう。まずは黎斗さんが淹れてくれた紅茶を飲んで落ち着こう。とにかく落ち着かないと、理解できることもできなくなってしまう。
無心で紅茶を飲み込み、その暖かさにだけ意識を向ける。こんなに必死な思いで紅茶を飲んだのは初めてだというくらい、緊張していた。
「ケーキは好きかな」
黎斗さんが私の前に置かれたシフォンケーキを示した。クリームが添えられていて、シンプルだけど美味しそうだ。
「私の一番好きなケーキ屋の、一番人気商品なんだ。ぜひ、君にも食べてほしい」
「あ、ありがとうございます。いただきます」
精一杯になりながらなんとかお礼を言い、フォークでケーキを一口大に切り分ける。初めはよく味がわからなかったけれど、食べ進めるうちに紅茶の香りとケーキの甘さがじんわり身体に染み込んできたようで、少し身体から力が抜けた。
「……美味しいです」
「それはよかった。ポッピー、残りは飛彩くんと院長へ渡しておいてくれ」
「はーい!」
「さて。少し落ち着きましたか?」
「あ、はい」
黎斗さんは紅茶のおかわりを注ぎながら訊ねた。お砂糖はいくつか聞かれたので答えると、角砂糖を一つ、カップの中に落としてくれる。
「社長、資料ってこれでいいんですか?」
資料棚に向かっていたお兄さんが分厚いファイルを三つ抱えて戻ってきた。
「ありがとう。ここに置いてくれ」
黎斗さんはファイルを受け取ると、そのうちひとつを開き、私に向かって最初のページを見せてくれた。
「君はゲーム病、という言葉を聞いたことがありますか」
「あり……ません、ね」
中毒と揶揄されるくらいゲームにハマっている状態……というのが咄嗟にその単語から連想されたけれど、実際にゲーム病なんて言葉が使われているのは聞いたことがない。黎斗さんは首肯いた。
「そのはずです。これは極秘の情報ですから。ここ、CRの関係者以外、誰も知りません」
「極秘……?」
思わず唾を飲み込む。そんな重大なことを聞いてもいいんだろうか。私は関係者じゃないのに。そんな私の思いを察したのだろう、黎斗さんは安心させるように笑ってみせた。
「大丈夫です。君はむしろ知らなくてはならない立場の人だ」
「でも……。雇われた記憶はないんですが」
バイトなんて、したことがない。大学で学生生活を満喫中だ。黎斗さんは私の雇用主だと言っていたけれど、履歴書なんか書いた覚えもないし、契約書にサインだってしていない。
間に座っているお兄さんが訝しそうに私と黎斗さんのやり取りを見守っていた。
「ガシャットを見つけたでしょう?」
「ガシャット?」
黎斗さんの言葉に機敏に反応したのはお兄さんだった。
「えっ? じゃあ彼女も仮面ライダーなんですか!?」
「いいや。彼女は助手だよ」
「助手じゃないです!」
私は思わず立ち上がって否定した。ガシャット。コキュクスの言葉が蘇った。
『ようこそ、聖都大学附属病院へ! 君の力を必要としている人がいる。彼らを助けてあげて』
私の力を必要としている人。
その人達を助けるために、彼は私をここへ?
「……ここは、聖都大学附属病院、ですか」
「そうです」
「私は……そこに行けと、言われました」
たぶん、そういう意味だよね。私の力を必要としてるって……。病院での勤務経験なんてないし、通院した最後の記憶は小学生のとき、風邪引いたときだし、もちろん医大に通えるほどの頭もない。
そんな私が、なぜ、こんなところに来てしまったのかといえば……。
「ドキドキろまんてぃっくガシャットの、せい……?」
「ドキドキ……ガシャット!?」
思いっきり眉を顰めたお兄さんの隣で、黎斗さんは大きく首肯いた。