▼ 第四十五話 初心

 パソコンの電源を切って、大地は眉間を指で揉むと、ぐっと両腕を上げて伸びをした。
「んーっ、これで終わり、と」
「お疲れ様。今日は早いのね」
「アスナ。まあね。最近は怪獣たちもおとなしいし。研究は順調だし」
「明日は休みなんでしょ? ゆっくりしてきなさいよ」
「そうだなぁ」
 デスクワークで凝り固まった身体を解しながら大地はカレンダーを眺める。
「そういえば、名前さんもお休みだ」
 久しぶりに休暇が重なることに気付いた大地は、アスナとの会話もそこそこにエクスデバイザーを掴むとラボを飛び出した。
 寮の自室に戻り、エックスを呼び出す。
「どうした、大地。そんなに慌てて」
「エックス。デートだよ。明日」
「そんな予定はないが」
「これから誘うんだ! あっ、もしかしたらもう予定入ってるかな……。でも、エックスのこと優先してくれるだろうし、うん。大丈夫だよ、エックス。俺名前さん呼んでくる!」
「待ってくれ、大地! 突然言われると心の準備が!」
 勢いの余りすぐに部屋を飛び出そうとした大地だったが、エックスに強く呼び止められてつんのめる。
「いまさらなんの準備がいるのさ?」
「ま、まずはどこに行くかを決めるべきだろう。前回は動物園に行ったが、他にどんなところに行けば彼女が喜んでくれるかわからないし……」
「もごもご言ってないで、もう! どこだって好きな人と一緒なら楽しいに決まってるだろ!」
「なっ、す、好きって、そんな……」
 どうにももごもごするエックスに、大地は苛立つ。
「さっきからなんだよ、初めてじゃあるまいし。もう何回も出掛けてるじゃないか」
「う、それは、そうなんだが……。なんというか。久しぶりだし……いったいどうその、デ、デエトをしていたか、忘れてしまったというか……」
「はっきりしないな。まあ、初めてみたいなもんか。俺にユナイトしてデートするのは」
「……何?」
 ふと、エックスの声が低くなって、大地は不思議に思いながら続ける。
「だからさ。エックス、俺の身体にユナイトできるだろ? だったら……」
「いいや。できない」
「は?」
 きっぱりと否定するエックスに、大地はずっこける。
「いやいやいや、やったじゃん。つい最近」
「あれは火事場の馬鹿力というやつだ」
「えぇ……。なにそれ。気合でなんとかなるようなもんなの?」
「そうだ。だから、もう二度とできない」
「そうかなぁ。確かに、エックスとユナイトするときと全然違ったけどさ、でもあの消耗とかは戦ったせいだし。筋肉痛がひどくてさー、アスナにちゃんと鍛えないからだって怒られたっけなぁ。だから俺、もっとしっかり鍛えて、もっと長い時間ユナイトできるようにさ……」
「大地」
 エックスの声音は、明らかに真剣味を帯びていた。軽い気持ちで話していた大地を、その声は厳しく叱っている。
「この話はもうやめよう」
「……でも」
「できないことを話しても仕方がない」
 きっぱりと言い切る語尾は強く、大地は不満だったが、二の句を継ぐことができなかった。
「……わかったよ。ごめん……」
「いや。すまない。今まで通り、私と君と、彼女の三人で博物館にでも出かけよう。この前、テレビのCMで見かけて気になっていたところがあるんだ」
 エックスは話題を変える。大地も渋々それに乗り、名前に予定を訊ね、約束を取り付けた。
 頑ななエックスの態度が気になったが、その後、燻る思いをエックスにぶつけることはできなかった。




「マモルくん」
「はいっ!?」
 モニターを食い入るように見つめていたマモルは、名前に呼ばれて飛び上がらんばかりに振り返った。名前は驚かせたことを謝りつつ訊ねる。
「大地、戻ってないかしら」
「ああ……」
 マモルは朝からラボにいたのだが、言われてみれば今日は大地を見かけていない気がした。いくらプログラムの修正に集中していたからといって、気づかないことはないと思う。
「えっと、見てないっすね」
「そう……。頼んでた仕事があったんだけど……」
「大くんなら柔道場にいるよ〜!」
 そこへ大きな空の水槽を抱えて持ってきたルイがラボに飛び込んでくる。柔道場? と二人一緒に振り返る。
「すっごくしごかれてて、もうバッキバキ! 汗もびしょびしょだからシャワー浴びればいいのに、最後の最後! ってワタル隊員に頼みこんで組み合ってたよ」
「そこまで?」
「急にトレーニングに目覚めちゃったんすかね……」
 名前とマモルは顔を見合わせる。

 名前が柔道場のドアを開けるのと、大地が床に伸されるのは同時だった。
「はい! ここまで! 終わり終わり!」
「も、もう一本……っ」
「勘弁してくれよ!」
 大地を伸した張本人は目に入る汗を拭い、ふらふらと立ち上がった。そんなワタルに名前はタオルを差し出す。
「あっ! ありがとうございますっ!」
 名前は首を振り、起き上がれない大地の横に膝をついて、その頭にタオルを掛けた。
「ワタルさんっ……お願いします……もう、一本……」
「どう見ても、限界みたいだけどね」
「へっ!?」
 ワタルではなく名前の声がしたことに驚いて、大地は顔を上げる。顔は真っ赤で、汗だくだった。ワタルはドリンクを飲み干して、汗を拭うと疲れた溜息を吐いた。
「俺そろそろ行かねえとダメだから。じゃな大地。名前さん、こいつ頼みました!」
「いってらっしゃい、ワタル隊員」
「はいっ!」
 ワタルは名前に送り出されて嬉しそうに敬礼をすると、きびきびと柔道場を出ていった。
 大地はタオルで顔を隠し、縮こまる。
「……大地?」
「……あの、すみません……」
「思い出した?」
「はい……。お待たせして、本当にすみません……」
 力なく項垂れる大地に、名前は苦笑する。
「体力づくりに取り組むのもいいけれど、本職を忘れないでね」
 シャワー浴びてらっしゃい、とペットボトルを渡すと、大地はくぐもった声で返事をしながら力なくそれを受け取った。

 大地がシャワーを浴びている間、名前はエクスデバイザーを預かって、先にラボに戻っていた。
「大地、最近トレーニングに励んでるのね」
 エックスに話しかけたつもりだったのだが、返事がなかったので名前はエクスデバイザーを覗き込む。エックスはそこにいたが、まるで名前の声が聞こえていないようだった。
「……エックス?」
 思索を邪魔してはいけないかと迷いながらも、名前は呼びかける。
「あ、ああ。名前。なんだ?」
「大地の様子なんだけど……。大丈夫かしら?」
「私が無理しないよう見ているから、問題ない」
 エックスは淀みなく答えた。エックスが気付いているなら大丈夫だろう、と名前は納得し、話題を変えた。
「ところで、今度のおやすみだけれど。博物館もいいけれど……」
「他に行きたい場所があるのか?」
 エックスは声を甘くして、名前の言葉を引き取る。名前は首肯いて、別の場所を提案する。
 出掛ける予定を話し合っている穏やかで甘やかなこのときが、とても幸せだった。

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