▼ 第三十一話 限界

 あれから大地の様子がおかしい。
 初めは気のせいかと思った。
 しかし、ルイやマモル、グルマン博士までが言う。
「二人共、喧嘩か?」
 と。名前にそんな覚えはない。けれど、誰の目からも明らかに、大地は名前を避けていた。
 必要最低限の会話しかしない。
 目を合わせない。
 まあ百歩譲って仕事は最低限、必要なことはしているから問題ない。何か機嫌を損ねていて、会話をするのが億劫になることは誰にでもある。
 たまには。
 それをしばらく続けてしまうことも仕方ない場合もあるだろう。
 少しくらいなら。
 けれども何よりも我慢できないことがある。
「……もう、三日!」
 名前は自室の壁に掛けたカレンダーの日数を恨めしげに見上げ、歯噛みした。
「だめ……限界」
 息苦しそうに胸元を押さえ、ぐっと目を瞑ると、意を決して部屋を飛び出した。



 あまりに猛烈な勢いだったので、大地は避ける暇なく腕を捕まれ近くにあった倉庫に引きずり込まれ、ドアが閉められ鍵が掛けられた。
 壁に押し付けられ、初めて自分を拉致した人間と顔を合わせた。
「ひっ!? あっ、名前さん!?」
「大地……」
 鼻の先がくっつくほど間近に名前の荒んだ顔があり、思わず大地は息を呑む。何が起きたのかわからなかった。
「あ、あの、どうしたんですか……っ!?」
「お願いします」
 名前は低い声で続けた。
「エックスと話をさせてください」
「ごめんなさい避けてたわけじゃないんですただ話しづらくて……って、エックス!?」
 とにかく怒られているのはわかったので必死に罪悪感にかられながら謝罪と弁解を続けようとした大地だったが、はっと気を取り直した。
「あっ、ああ、そうですよね。エックスですよね……」
 名前は力なく大地から手を離し、待つ。
 大地はのろのろとエクスデバイザーをホルダーから外し、名前に手渡した。
「エックス!」
「名前……!」
 エクスデバイザーに触れたときの名前の表情と言ったら。
 二人の感極まった声を背に、大地は鍵を開け、倉庫から出る。名前は早口で付け加える。
「ごめんなさい、五分だけだから」
「いくらでも、どうぞ」
 二人の声が外に漏れないように、大地はしっかりドアを閉めた。そして深々と溜息を吐く。
「……俺何やってんだろ……」
「大丈夫……? 大地」
「って、わあっ?!」
 一人だと思っていたのだが、アスナに思い切り訝しんだ表情で顔を覗き込まれていたので飛び上がった。
「ああああアスナ?! いいいいいいつから……」
「今の、名前さんでしょ? なんか拉致られてなかった?」
「いや、いやいや!? そんなことないし! ちょっとお話してただけだよ……」
「ふうん? 仲直りしたんだ」
 大地はぐっと唇を噛んだ。
「そもそも喧嘩したわけじゃ……ないし」
「そうなの?」
「うん……」
 黙り込んだ大地の顔を、アスナは見上げ続ける。会話を切り上げるつもりはないらしい。彼女の瞳は鋭い。誤魔化しは一切許さない、とばかりに追及の手を緩めない意志を感じさせる目だ。
「なんかあったの?」
「なんもないし……」
「なんにもなくて人のこと避けるんだ?」
「いやっ、そうじゃないけど!」
「けど?」
「……っ、アスナには関係ないだろ!」
「はぁ?」
「ゴメンナサイ」
 思わず感情的になってしまったのを即座に謝る大地だった。アスナは胡乱な目で大地を見やる。
「なんかさぁ、はっきりしないわよね」
「……う」
「なんかあるなら、ちゃんと話し合いなよ?」
「それは……」
「いつまでもぎこちないんじゃ迷惑っていってるの。雰囲気悪いし、仕事にも支障が出るでしょ」
「そうならないように……し、してるよ」
「ならいいけど。言いたいことがあるならはっきり言いなさいよね。じゃなきゃ伝わらないわよ」
 アスナは言うだけ言って、長い髪を払うように機敏に踵を返すと、立ち去っていった。大地はその場に立ちすくんで、アスナの言葉が頭の中でこだまするのを聞いた。
 ぎい、と倉庫のドアが開き、大地はびくりとする。名前が後ろ手にドアを閉め、エクスデバイザーを大地に差し出した。
「ありがとう。引き止めてごめんなさい」
「いや……。急いでたわけじゃなかったんで」
 大地の手にエクスデバイザーが渡ったが、名前はすぐには手を離そうとしなかった。
「……名前」
 エックスが促すように優しく彼女の名前を呼ぶ。名前は笑みを浮かべてみせると、そっと手を引いた。大地は彼女の薔薇色に染まった頬と、切なさに揺れる瞳を目の当たりにする。
 頭を下げずにはいられなくなった。
「ごめんなさい! 俺、ずっと二人のこと……」
 引き離してしまった。
 あのとき以来、名前と顔を合わせるのが辛くて、エックスともあまり話をしなくなり、彼女から遠ざけた。
 大地が引き合わせなければ、二人は会話をすることもままならないのに……。
「いいえ。大丈夫よ」
「あっ……」
 名前は手を振ると、振り切るように背を向けて立ち去ってしまった。大地は思わず呼び止め掛けて、思い留まる。
 何をしているんだろう。
 何をしたいんだろう。
 彼女を悲しませている。自分の幼い感情のせいで。
 どうすればいいんだろう。
 ……どうしたいんだろう、俺は。
「大地?」
「……エックス。俺は……」
 言いたいことがあるならはっきり言いなさいよね、というアスナの声がずっと聞こえていた。

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