▼ わたしの先生

 緊急の呼び出しがあり、急いでCRに向かうと、すでに患者が搬送されたあとだった。病室で患者の診察をしている飛彩さんに、明日那さんが僕を追い越してカルテを渡す。
「患者の通院記録です」
「……依存症?」
 飛彩さんがその内容に眉をひそめる。明日那さんは声を落とす。
「おそらくは、それがストレスの……」
「ああ……」
 僕が加わろうとすると、二人は黙ってしまった。さっと明日那さんはカルテを自分の胸元に押し付ける。
「なにこそこそしてるんですか? 僕にもカルテ見せてくだうわ!?」
 手を伸ばしたら跳ね除けられる。
「永夢はいいの!」
 明日那さんも飛彩さんも、なぜか僕に患者の状態を教える気がないらしかった。
「とにかく、今回は経過は俺が見よう。研修医、お前は……」
 飛彩さんが珍しく名乗りを上げたけれど、携帯が鳴った。
「……わかった、すぐ行く」
「飛彩」
 明日那さんは止めたそうにしていたけれど、仕事ではどうしようもない。飛彩さんは迷うように僕に視線を向けたあと、明日那さんに「任せた」と告げて出て行ってしまった。
「明日那さん、僕が……」
「いいから、彼女のことは私に任せて、永夢は外で待ってて」
「どうしてですか? 飛彩さんが行ってしまった今、僕しかオペできないんですよ」
「しーっ」
 つい声が大きくなる。患者のうめき声があがり、明日那さんに肩を押さえつけられた。
「永夢がいると、彼女のストレスになる可能性があるの」
「それは……何かの依存症と、関係があるんですか?」
「……そうよ! 女同士の話だから、男子厳禁!」
「ええっ!? ちょっ待っ!!」
 反論する暇もなく、僕は病室を追い出されてしまった。確かに、女性同士の方が病気について話しやすいことはあるだろうけど、何も追い出さなくても……。
 今回の患者は女性だ。僕と同い年くらい。公園の近くを歩いていたところ、発症。救急車が呼ばれて、ここに運ばれてきた。
 いまのところ病状は落ち着いているようだったけれど、いつ発症するかはわからない。明日那さんがうまくストレスを緩和して、症状を抑えてくれたらいいけど……。
 ふと、彼女のうめき声が大きくなって、慌てて二階の窓から病室を見る。明日那さんが彼女の手を握って、彼女を宥めていた。
 彼女は何かを求めるように腕を伸ばす。明日那さんの身体を強く抱きしめる。不安なんだろうか。未知の病で倒れたんだ、不安でないはずがない。明日那さんはその背を優しく撫でて、宥めてる。患者は熱に浮かされたように、彼女の頬にキスをした。
 ……した、ように見えたけど。
 なにか、いけないものを見てしまったような、むずむずする気持ち。かっと顔が熱くなる。
 違う、きっと見間違いだ。
 何変なこと考えてるんだ、僕。
 ていうかこれじゃ覗きみたいだ。
 いやいやいや、患者の容態を心配するのは医師として当然で!
 決して疚しい気持ちは!
 断じてないんです!
 どこへともなく弁明して、気持ちを落ち着けようとコーヒーを入れる。何かあれば明日那さんが呼ぶだろうから、待つしかない。
 しばらくして、明日那さんが二階に上がってきたけれど、心なしか憔悴しているように見えた。
「ふぅ……」
「患者さん、苗字さん……でしたっけ。様子はどうですか?」
「ああ、寝てる。落ち着いたみたい」
「そうですか……。明日那さんは大丈夫……ですか?」
 よく見れば少し髪が乱れて、頬が上気している。明日那さんは気だるげに首を振った。
「あの子、重症だわ……」
「ええっ?! 大変じゃないですか! いますぐ……」
「違う違う。依存症の方よ」
「通院中だっていう……? どういう症状なんですか? ちゃんと教えてくれなきゃ、対処できないじゃないですか」
「……ううん、大丈夫。少なくともしばらくは。禁断症状は落ち着いたし……」
「禁断症状出てたんですか? アルコール……じゃないですよね」
 彼女にアルコール中毒患者の特徴は見当たらなかった。
「見ちゃダメ」
 窓から彼女の様子を伺おうとしたら襟首を引っ張られた。首が軽く絞まる。
「げほっ、さっきからなんなんですか! それじゃちゃんと治療できませんよ。患者への配慮は必要だと思いますけど、彼女はゲーム病なんですよ!」
「わかってる。……飛彩がいつごろ戻れるか聞いてくるわ。彼女、しばらくは起きないと思うし。満足して寝たし……」
「満足? 何か、したんですか?」
「……永夢はここにいてね。病室、入らないこと」
「容態が急変したらどうするんですか」
「すぐ戻るから!」
 明日那さんは会話を切り上げるように言うと、飛び出していってしまった。いったい、何があったんだろう……。
 いや、まさかな。
 これだけきつく言われたら、納得はできないけど言いつけに従うしかない。苗字さん、大丈夫だといいけど。
 コーヒーを飲み終わるまでは、何事もなく過ぎていった。明日那さんも戻ってこない。カップを洗っていると、何かが倒れる音が下から聞こえた。病室で何かあったんだ、と僕は慌てて階段を駆け下りる。
「苗字さん! 大丈夫ですか!」
「いたた……」
 どうやらベッドから降りようとしてバランスを崩したようだ。ベッドの脇にうずくまる苗字さんに手を貸して、起き上がらせる。触れた手のひらは熱かった。
「どこか痛みますか」
「痛い……」
「どこですか?」
「全身……。頭も、お腹も、足も、胸も……」
 身体に力が入らないのか、僕に体重をもたせながら、彼女は気だるそうに訴える。
「ここですか?」
 触診しながら彼女の表情を見る。辛そうに眉を寄せ、呼吸も荒くなっている。
「ここは痛みますか?」
 手を触れていると、次第に彼女の表情が柔らかくなってきた。そっと足の下に手を入れ、抱き上げようとすると腕が首に絡みつき、密着してきた。
「わっと」
 抱き上げる前にバランスが上手く取れなくなり、倒れないよう手を着く。彼女の吐息が耳たぶに掛かり、力が抜けそうになった。
「……っ、苗字さん、今、ベッドに戻しますので……動かないでくださいね」
「……わかりました……」
 苗字さんは囁くように答えて、身体を硬くする。僕はそっと彼女を抱え直し、慎重に立ち上がり、彼女をベッドへ下ろした。
「っとと」
 しかし、彼女が手を離さないので、その上に覆いかぶさるような格好になってしまう。
「あの、苗字さん?」
「苦しい……」
「だ、大丈夫ですか?! まさか、僕のせいで……っ」
 明日那さんにあれだけ言われたのに、病室に入ってしまったことをいまさら思い出す。僕という男の存在が、彼女にストレスをかけて発症させてしまったなんてことになったら一大事だ。
「ご、ごめんなさい! すぐに明日那さん呼んできますから……っ」
「行かないで……」
 慌てて離れようとしたけれど、彼女は一向に手を離さない。
 むしろ、ぎゅ、と力を込めてきた。
「あ、あの……っ」
 患者とはいえ、女性に抱きつかれて、くらくらしてくる。この甘い香りは、いつから香っていたのだろうか。
「大丈夫です、僕たちが、必ず、治しますから……だから、落ち着いてください……」
 不安からくる怯えかもしれない、そう考えて、僕はそっと彼女の背を撫でる。
「先生……、わたしどうなっちゃうの……?」
「今、あなたはストレスと戦ってるんです」
「ストレス……」
「それに負けてしまうと、ゲーム病を発病してしまいます。でも、怖がらないで。僕たちライダーがいます」
「でも、先生……」
 彼女はそっと腕を緩め、僕の顔を覗き込む。
「わたし、治らないよ。ずっと病気なの」
「え……」
 そう言った途端、彼女が胸を押さえて呻いた。ぱち、と手のひらでオレンジの光が弾ける。ノイズが走ったように、彼女の姿が一瞬揺らいだ。
「あっ、消えかかって……!?」
「もうダメ、キスして先生」
「わかりました、今すぐ……ってええ!?」
 驚きのあまり彼女の顔を凝視する。その半透明の顔はとても冗談なんか言っていなくて、熱っぽい真剣な瞳で僕を見ていた。
 僕を――求めていた。
「え、ええっ? あ、あの、でもっ」
「わたしのストレス……緩和して」
「まっ、ままっ」
 そのまま目を閉じる苗字さんに、僕は息を飲む。
 脳内には、飛彩さんや明日那さんが言っていた『依存症』という単語がぐるぐると回っている。
 なんの依存症なのか、どうしてあの二人は僕に知らせまいとしたのか、明日那さんがどうして僕を遠ざけたのか……。
 苗字さんは僕の襟に手を掛けた。

「抱いて」

 心臓が止まる。風が止む。音が消える。
 彼女の願い、救う方法、中毒、禁断症状。
 すべてをはっきりと悟ってしまい――それと同時に一気に血液が体中を流れ出した。
「むっ、むりです、だめ、そういうのよくないです!」
「じゃあわたし、このまま消えちゃうの……?」
「だっだめだめ! だめです! 消えちゃだめだ!」
 手の中の彼女の身体がふっと軽くなって、背筋が凍る。苗字さんが目を閉じ、こちらへ倒れこんでくる。僕は夢中でその唇を受け止める。
「んんっ……!」
 唇が触れている。それだけで魂が頭から抜けて行きそうだった。腕の中に重みが戻ってくる。襟が強く引っ張られ、唇をぺろと舐められた。
「んあっ」
 驚いて声を上げた隙を突いて、彼女の舌が口内に割り行って来る。
「は、ふぅ、んっ……!」
 深いところをねっとりと舐られ、ちゅ、と音を立てて唇が離れる。その音と痺れるような刺激に脳の奥が震えた。
「っ、はぁ……っ」
「先生……わたしを助けて」
「でき、ないよ……そんなこと……」
「お薬ちょうだい、先生」
「薬って、んんっ!」
 手を引こうとしたけれど、しっかりと掴まれてしまう。ベッドに倒れこみ、首を押さえられ、キスが続行された。これが、彼女のストレス緩和に、本当に役立つんだろうか。確かに、症状は落ち着いたようだけれど……。
 でも、こんなの……よくないよ。
「苗字さん、おち、落ち着いて、ください……」
「もう待てないの、先生」
「待てなっ?! あああああのっ本当にだめですって! こんなこと!」
「辛いの……」
「それはわかりました! 十分わかりました! ……でもっ!」
「じゃあ、一人でするから……」
「するって何を?!」
「見る?」
 もうだめだった。
 これ以上、限界です。
 飛彩先生、明日那さん、僕が悪かったです助けてください誰か!
 そんな僕の声なき叫びはむなしく、苗字さんの三度目のキスで、理性が溶かされていく。
 だめだ、僕は医者で、彼女は患者で、いくら治療とはいえ、こんなことするには、ベッドが小さすぎる。
「だめ……です、苗字さん……っ」
「お願い、見捨てないで……」
 僕の手に、苗字さんの指が弱弱しく絡みつく。
「こんなことして、ごめんなさい……。でも、どうしても、耐えられないの。たった一人でいることがとても怖くて……誰にも求められずに消えてしまいそうで、怖くて……」
 ぎゅう、と痛いくらいに、爪が皮膚に食い込む。
「……っ触れていないと、感じていないと、不安で不安で、どうしようもないの……」
「苗字さん……」
「助けて」
 火照った頬を涙が伝う。苦しくて苦しくてどうしようもないと、訴える瞳。僕はどうしようもなく抗えなくて、吸い込まれる。
 熱い、熱い瞳に。
 燃えるような、その唇に。
 もう、魅入られてしまっていたのかもしれない。
「心配しないでください。……僕は、医者ですから。あなたを、見捨てるわけないじゃないですか」
「んっ……!」
 とうとう僕から唇を重ねた。
 彼女の身体からふっと力が抜けるのがわかる。小さな身体いっぱいに僕を求めて、僕に委ねていることが伝わってきて、愛おしく感じた。
「どうしてほしいか、教えてください。どこを……触れて欲しいんですか?」
「先生……っ」
 首筋にキスをすると、彼女は震えた。僕の手を掴み、柔らかな部分へと導く。服の上からそっと揉むと、確かな弾力が感じられた。
「こうですか?」
「直接……触れて……っ?」
 煽るような声に応え、彼女の服を肌蹴け、手を差し込む。硬く尖ったものに小指があたった。びくりと彼女が反応する。
「ここが、いいんですか……?」
「んっ……、あっ」
 そこを強く弄ると、彼女は悶えるように足を動かした。
「はぁ……っ」
「こっちも、寂しそうですね」
 白い肩を両方ともむき出しにして、右側の突起へ口を寄せる。先端を含み舌で転がしながら、左側を指先で弄ぶ。
「はん、あぁ……っ」
 彼女の口から甘い嘆息が漏れる。
 こうして触れ合って、愛撫を受けることでようやく満たされる孤独。何がこんなにも彼女を傷つけたのだろう。
「先生……」
 彼女は飛彩先生相手でも、こうして求めたのだろうか。
 ふとそんなことを考えてしまって、カッと頭に血が昇る。
「……っ、してほしいことがあるなら、言ってください。どこに何が欲しいか、ちゃんと……言って」
「……先生の指で、中に……触れて」
 下着を脱がせると、そこはすでに濃い粘液に満たされていた。肌を伝って、ベッドに滴る。
 触れてみると、熱かった。ぐちゅり、と音を立てながら、陰唇を指の腹で擦る。
「あっ」
 彼女は陶酔した様子で目を閉じ、声を上げる。
「中を……」
 待ちきれないと促す彼女の求めるまま、指を割れ目に宛がうと、するりと奥まで飲み込まれた。付け根までたっぷり指し込み、擦ると、ぐちゅぐちゅと粘液がかき混ぜられ、卑猥な音が鳴る。
 こんな真っ白な病室で立てるには、あまりにいやらしい。
「んっ! やぁ、あんっ」
 親指で蕾を刺激しながら中指も入れ、速度を上げて掻き回す。彼女はだらしなく足を広げ、貪欲に刺激を貪った。
「あっ、はぁ、はぁ……っ」
「ちゃんと、達しましたか?」
「はい……先生……」
 ぼんやりと応えた彼女の言葉をほとんど聴かず、ベルトを外し、がちがちに硬くなったモノを取り出すとそこに宛がった。
「痛かったら、言ってください……っ」
「んあっ!」
 答えを待てず、中へと押し込む。
 途端、ぎゅう、と締め付けられて気が遠くなりそうだった。
「う、んっ……!」
「あ、先生っ、あっ」
「痛い、ですか?」
「ううん、いいです、気持ち、いい……っ」
 恍惚とした彼女に、さらに興奮が高まった。僕のモノを夢中で咥えて揺さぶられ、声を上げる彼女がかわいくていとしくて、もっともっと、与えたくなる。
「い、あっ、苗字さんっ」
「先生、せんせぇっ」
 彼女は僕の白衣をくしゃくしゃになるくらい掴んで、怒涛のような快楽に気を飛ばさないよう耐える。僕もすぐに終わらせてしまわないように、歯を食いしばる。
 そして最高潮に達したところで、溜めていたものを一息に解放した。
「う、ん……っ。はぁ……っ」
 脱力して、ベッドに手をつく。
 彼女は汗だくで、正体なく僕の腕の下に横たわっていた。
「すみません、加減が……わからなくて。身体……きつく、ないですか?」
「はい……。大丈夫……」
 彼女の眦から流れた涙を指で掬い取る。僕を見上げる眼差しは純粋で、離しがたくて。
「辛いときは、また言ってください。あなたがストレスに負けないよう……僕が手伝います」
「先生……」
「ゲーム病も、それ以外も……僕が、治しますから」
 誓いを立てるように、彼女の額に口付けた。
「だから……僕に委ねてください」
 あなたのすべてを。
 彼女はうっとりと僕を見上げ、微笑んだ。
「はい、宝生先生」

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