▼ 01.Upload
「本当に、私が押してもいいんですか?」
どうしても恐れ多くて、マウスから手を離す。
そんな私を、スタッフたちが囃し立てる。
「君がいなければ、これは完成することはなかったんだ。君が押すべきだよ」
「小星さん……。……はい! 私が、押しますね……!」
小星さんに後押しされ、私はいよいよ覚悟を決めた。
だいじょうぶ。何度もデバックしたし、見つけたバグは全部潰せた。
だから、だいじょうぶ。
ぎゅ、と目を瞑る。
カチ、と指先に力を込めた。
ぱ、と画面が切り替わり、中央にゲージが現れる。
10%、25%、75%……。
「アップロード、しました……!」
ワンクリックで、私たちの作ったゲームがオンライン上に送信される。
これで、本当に完成だ。
「やった……」
「お疲れ様、名前ちゃん。初仕事完了、おめでとう!」
プログラマーさんに肩を叩かれて、ようやく実感がわいてくる。
本当に、できたんだ。
「ゲームが審査通ったら、いよいよ公開されるね。それまでちょっと時差あるのがもどかしいけど」
「いやぁ、でも、……嬉しいです。本当に、このゲームを完成させられて……」
私はアップされたゲームのアイコンを感慨深い気持ちで見る。青い髪に金目の少年が悪戯っぽく笑っていた。
イラストレーターさんは、私の注文以上に、素晴らしい絵を仕上げてくれた。
コキュクス。
新しいゲームを、気に入ってくれるかな。
「その気になってくれて嬉しいよ。苗字さん」
たっぷり悩んだあと、私は勇気を出して名刺に書かれた番号に電話を掛けた。
形ばかりの面接を受けたあと、必要な書類をそろえて、私は正式に幻夢コーポレーションにアルバイトとして雇われ、ゲーム開発に携わることになった。
ゲームに関することは素人だし、プログラムもわかならない、絵も書けない、作文は苦手、でも、やってみたいと思う気持ちは、最後までなくならなかった。
「こちらが開発部です」
檀社長が案内してくれたのは、ビルの一室にあるオフィスだった。ゲーム会社のオフィスだから、だろうか。私が想像する会社の一室よりもカラフルで、イマジネーションに溢れている感じ。そこで働く人たちも、自由で、楽しそうに見えた。
「苗字さん、ですね。私がゲームデザイナーの小星作です」
「よろしくお願いします!」
私を迎えてくれたのは優しそうな男の人だった。
「新作アプリの企画をするということで、実際の作業については私が教えますから。まずは開発部の皆を紹介しましょう」
職場には私より年上だけれど、若い人ばかりで、皆かしこそうで、緊張してしまう。そんな私に、誰もが親しげに接してくれて、なんとかやっていけそうだと思えた。
「まずは、どういうゲームを作るかと言うところですが、檀社長にはドキドキろまんてぃっくDXのアプリ版、と伺っています。ええと、これが資料です。この通り、実は、ゲーム自体はほとんどできていたんです。ただ、まあ、発売には至らなかったそうで」
部屋の端にパーテーションで区切られた簡易会議室とでも呼べそうな一角があり、そこに私と、小星さんと、プログラマーの女性が集められた。
私はゲームの設定やコンセプトが書かれた資料をぱらぱらとめくる。
こうやってゲームって作られていくんだ。
当たり前だけど、ひとつひとつ、人の手で書かれて、練られている。すごい。
「まず、キャラクターをそのまま使用する、という一点は決定で……シナリオなどはアプリ用に落とし込んでいかないといけませんね。ゲーム性も、パラ上げやスキル選択といったシミュのままにするか、ミニゲームを作るか、考えていこうと思いますが……」
小星さんの話を聞きながら、資料をめくっていた手が止まる。
「……コキュクス」
青い髪の少年が描かれていた。名前と、簡単なキャラ紹介が書かれている。ゲームのナビゲーターであり、プレイヤーの操作キャラであるヒロインを導く存在。
「攻略キャラは……あれ?」
そのページには、学生服を着た四人のキャラクターが描かれていた。
「飯嶋刹那、各務博史、林原小太、六田信彦……?」
「ああ、ご存知ですか。攻略キャラはU4って呼ばれて、結構人気でしたね。でも苗字さんは世代が違うかな」
「いえ、プレイしたことあるので……」
知ってますが、と答えるとプログラマーさんが身を乗り出してきた。
「ドキろまプレイ済みなんですね! 誰が好きでした? 私は各務先輩なんですけど! 最後に彼が鏡の国の王子だったんだってわかったときは衝撃でしたよね!」
「私は刹那くん! いや、そうですよね、こういうゲームでしたよね……。GXではナビゲーターキャラを新たに加えて、もともとあったファンタジー要素をさらに強化する……と」
私はしみじみと資料を見る。攻略キャラクターの中に、当然医者はいない。学園モノだから当然、主役は生徒たちなんだ。だから、これが本来の形なんだけど……。
「嬉しいなぁ。GXの発売、ほんとに楽しみにしてたから。私、この企画聞いて志願したんですよ」
プログラマーさんはそう言って感無量というように資料を握り締める。
「そんなこと言って、だいじょうぶですか? 新作、そろそろ佳境でしょう」
「それは作さんも一緒でしょ? いいんです、息抜きです、息抜き」
「そうねぇ……」
二人にとって、この仕事は片手間でやるようなものらしい。あとでくるもう一人のスクリプターさんと私以外はメインのプロジェクトの合間に作業するとのことだった。
「名前さんには、少しずつプログラミングについて覚えていってもらいますね」
「は、はい!」
「じゃあ今日は、前作をプレイして終わりにしましょう」
小星さんは私にコントローラーを渡すと、会議はお開きになった。
私はなんだか不思議な気持ちで、ドキろまを数年ぶりにプレイすることになった。
そうして、四週間ほどでゲームは完成した。
不思議な高揚感があった。
シナリオも、グラフィックも、元からあったものとはいえ、それらをちゃんと動くようにプログラムに組み込み、何度もテストして、失敗を重ねながらも、正常に動作するようになったときにはとても嬉しかった。
この手で作ったものが、たくさんの人の手に触れる。
そう考えると、すごいことをしたんだと思えた。不安もないではなかったけれど。
プログラミングや、ゲームについて、少しだけ知れたこともよかった。
ふわふわした足取りで、職場から自宅へと向かう。駅までの道をいつの間にか通り過ぎ、細い路地に入った。
いつもより人通りが少ない。
そう思ったとき、道の真ん中に人影が現れた。
背の高いシルエットは、街灯が逆行になっていて顔がよく見えない。男性だ。
駅の方から歩いてくる。
すれ違うために脇による。
けれどその人は足を止めた。
「よう。完成、おめでとう」
その声は明らかに私に向けられていた。
でも、私はその人を知らない。
「どちら様で、しょうか……?」
怪訝に思いながら訊ねたけれど、答えはなく、笑い声が返ってきた。
彼は手を上げる。振り払うように動かすと、オレンジ色の光の粒子がちかちかと目に飛び込んできた。
「っ……!?」
「これはお祝いだ。今度はホンモノを産み出してくれよ――名前」
「だ、れ……」
身体から力が抜ける。びし、と手足がひび割れるような痛みが走った。
なんだかおかしい。高熱が出たときのように耳鳴りがする。
視界が暗くなる……。
倒れる瞬間、見えたのはただ、笑顔だけだった。