▼ 18.Archaic smile
鏡さんは花家さんを無視して、私を外に止まっている車へと促す。
私も付いていきたいのはやまやまだったけれど、花家さんの大きな体が入り口を塞いでいた。
どうすれば、とうろうろしている間にも鏡さんが花家さんを睨み、不穏な空気が漂い始めている。ど、どうすれば……。
「彼女を解放しろ」
「ナイト気取りか、お坊ちゃん」
火花が散った。
これは長引くとよくない!
よくないぞ!
「か、鏡さん! ちょうど今帰るところだったんですよ! お迎えありがとうございます〜!」
思い切って花家さんの横を強引に押し退け飛び出して、鏡さんを引っ張る。
「お、おい」
「わざわざすみませんお忙しいのに! 花家さん、コーヒーご馳走様でした!」
「名前!」
わざとらしく声を大きくして、二人の言い合いを阻止しようとしたけれど、花家さんは構わずに私を呼び止める。
「お坊ちゃんじゃ満足できなくなったらいつでも来いよ。歓迎してやるぜ」
とんでもないことを言い残して花家さんは入り口の戸をぴしゃりと閉じてしまった。
「助手、今のはどういう意味だ!?」
行きません、と花家さんに聞こえなくても言い返そうとする前に、鏡さんに両肩を掴まれた。
「やつに何をされた! ま、まさか……!」
「何もされてませんよ!?」
「本当か!?」
鏡さんの目力で見つめられると嘘なんかとうていつけるものじゃない。
幸い今は嘘を吐く必要はなく、何度も頷いてみせて手の力を緩めてもらう。
「私は幻夢の社員ですからね! 今のところ転職の予定はありません」
「転職?」
「あ、でもどうして鏡さんがここに?」
ふと不思議に思って訊ねると、鏡さんは面食らったように瞬きしてから、言いよどんだ。
「いや……。研修医から、あなたがここにいると聞いて。わざわざ遠回りしたわけではなく、ちょうど病院に戻るところだったからもののついでに拾って行こうと思ってな。心配というわけではないが、やはりやつがあなたに何をするかわからないから」
早口気味に答えながら、鏡さんは車のドアを開けてくれた。私はお礼を言って乗り込む。鏡さんは隣に座ると、ドアを閉めた。
車は静かに走り出した。
鏡さんはふっつりと黙り込む。何か話題を、と思いつつ横顔を盗み見る。
綺麗な顔立ちだ。
はっとするくらい、整っている。
眉間にしわを寄せて、影が落ちているのがアンニュイな空気を漂わせ、何があるわけでもないのに胸が締めつけられるような思いがする。感嘆。
こんなに綺麗な人が世の中にはいるんだなぁ、と不思議な感動が胸のうちに湧き上がってくる。芸能人とかモデルとか、世に美形はたくさんいれども、これくらい整ってる人はそうそういないんじゃないかな。
「……おい」
「あっはい!?」
鏡さんの横顔を見つめるうちに、生きた人間であることを忘れて彫刻や絵画を眺めてる気分になってつい凝視してしまっていた。
鏡さんは慌てて顔を伏せる私を思い切り眉間にしわを寄せて、怪訝そうに見やる。く、その綺麗な顔でそんな風に見つめられるとつらいです。
自業自得。
「すみません、なんでしょう」
「いや、資料を作ったと研修医に聞いた。今持っているか」
「あ、はい。予備がひとつ……」
鞄から取り出して渡すと、さっそく鏡さんは読み始めた。忙しい人だから、移動中のわずかな時間にいろいろ済ませておくのだろう。実は私がぼんやり鏡さんの顔を眺めている間も、持っているファイルや医療関係の本やらを読み込んでいたらしいのだった。
私は声を掛けるのを止め、椅子にそっと座りなおす。
永夢くんも大変だけど、鏡さんはもっと大変だ。外科手術って何時間も立ち続けるのに、さらにバグスターと戦うんだから、信じられないタフネスさだ。
鏡さんはファイルを閉じると、私に差し出した。
「もういいんですか?」
「ああ。読み終わった」
「えっもう!?」
それなりの厚さのファイルを涼しい顔で返されて、私は釈然としないものを感じながら受け取る。
「要点がわかりやすくまとめられている」
「へ? あ、そうでしたか?」
そんな話をしているうちに車は病院の敷地内に入っていた。
「慣れないことも多いと思うが、その調子で今後も頼む」
「はい、頑張ります……?」
鏡さんは一度もこちらを見ずにそう言って、先に車を降りてしまった。
褒められた。
私、褒められた?
じわじわを喜びが湧き上がってくる。
やった。苦労して資料まとめた甲斐があった!
「はい、頑張ります!」
さっき気の抜けた返事をしてしまった分、改めて声に出して、気合を入れた。
鏡さんと別れてCRに戻る。
パスワードを入力してドアを開けたら螺旋階段を勢いよく降りてくる足音がしたと思ったら永夢くんが一番下の階段を踏み外して盛大に転んだ。
「だっ、大丈夫!?」
「っ、たぁ……っ」
「いくら急いでるからって、患者さん見る前に永夢くんが怪我したら意味ないよ」
「うん……」
永夢くんを気遣いながら立ち上がらせ、そのままCRの外へ付き添おうとしたら、永夢くんは足を止めた。
「あ、いや、違うんです。上で待機してたんです」
「あれ? 研修じゃないの?」
じゃあなんで急いで降りてきたんだろう。
「それより! 大丈夫でしたか!?」
「えっ?」
がっと肩をつかまれて面食らう。
「やっぱり僕も一緒に行けばよかった! 全然返事がないから心配で……! 廃病院に寄るだけだったら大丈夫かなって油断した僕が間違いだったんだ……ッ」
「だ、大丈夫だよ、何もされてないよ!」
こうして無事に帰ってきたでしょ、と精一杯笑顔を作る。そうか、そりゃ不安だよね。
一応、一度誘拐されかけたわけだし。
「ありがとう、永夢くん。ごめんね、心配かけて」
「いや……。名前さんが謝ることないよ。飛彩さんが迎えに行くって言ってくれてよかった」
永夢くんの心底ほっとした、という顔を見て、なんだか心が温かくなる。そんなに心配してくれてたなんて。
ちょっと嬉しい。
一緒に螺旋階段を上がり(永夢くんがこけても支えられるように、一段下を着いていく)、荷物を片付ける。
「ポッピー、ただいま」
筐体の方に声を掛けたけれど、返事はなかった。
「永夢くん、ポッピーは?」
「さあ……。たぶん、衛生省じゃないかな」
「そっか」
「コーヒー飲む?」
「あ、さっき飲んだからいいや」
永夢くんは頷くと自分の分だけ淹れて、椅子に座る。テーブルにはノートやらなにやらが広がっていた。
「勉強中だったんだね」
「待機中に、やることやっておかないとね」
いつバグスターが出現するかわからない。でもそれは、患者がいつ運ばれてくるかわからないってことだ。永夢くんにとっては、ライダーも、医者も、同じ患者を救うための戦い。
「名前さんは、すごいね」
「え?」
隅っこでパソコンを開いて作業を始めたら、永夢くんが出し抜けにそんなことを言う。
「何もしてないけど……?」
「その、僕はほら、医者を目指してるし、変身できる。でも、名前さんはそういうのなしに、ゲーム会社の人として雇われてただけじゃないか」
「えっと、そ、そうだね」
幻夢コーポレーションはゲーム会社。
でも、私はゲーム製作なんかこれっぽっちもわからない。
「なのに、バグスターを見ても、逃げなかった。それって、すごいなあって」
「いやいや、怖かったよ、すごく! 足がすくんで動けなかったもん」
「でも、逃げなかった」
「それは、ブレイブもエグゼイドもいたもん。二人が戦ってくれたから、きっと受け入れられたんだと思う。明日那だって、立ち向かってたし」
人の重さが腕の中で軽くなっていくあの怖さは、忘れたくても忘れられない。
あの感覚があるから、私はこうして働けてる。
今じゃ、研究用に戦ってるところをスマホで撮って、録画を検分しながらバグスターの特徴と攻撃の有効性を検証するなんてこともできるようになった。
あの姿は恐ろしいけれど、でも、戦って、勝つことができる。
「だから、ありがとう。永夢くん」
人知れず命を賭けて戦ってるお医者さんがいること、私は知ってる。
がたん、と永夢が椅子から立ち上がった。
勢いで椅子が倒れるけれど、永夢は気にせず身を乗り出してくる。
「あのっ、名前さん……っ!」
「はい!?」
なんだかさっきから様子が変だ。急にしんみりして回想をし始めたと思ったら、今度は顔を真っ赤にして目を潤ませて、私を瞬きもせず見てる。
心なしか、辛そうだ。
「あの、あのっ……」
何か言おうとして、咳き込む。
もしかして……。
「僕、あの、ずっと……っ!」
「永夢くん、まさか」
「えっ!?」
私も立ち上がって手を伸ばすと、永夢くんが仰け反って避ける。
「ちゃんと言ってくれなきゃわからないよ!」
「ええっ!? あっ、ごめん! そうだよね、言わないと伝わらない……そうだ……。僕……っ」
私の伸ばした手を、永夢くんがぎゅっと握る。
体温が高い。
「名前さんのことが!」
「熱あるでしょ!」
「へっ?」
「我慢しちゃだめだよ! いったん勉強やめ! 横になってて」
「いや、あの、そうじゃなくて〜!!!」
永夢くんをソファに横たえて、タオルを濡らしに行く。
急いで絞って戻ると永夢くんは身体を起こして苦笑いしていた。
タオルを差し出したら、その手ごと掴まれる。
「永夢くん?」
「大丈夫です。ちょっと体温高いけど、これは、病気のせいじゃないから」
「でも、疲れが溜まってても発熱するよ?」
「それも大丈夫。これは、そういうのとは違うんだ」
永夢くんは穏やかな笑顔を浮かべて、私を見つめた。
なんだろう、やっぱりいつもと違う。
永夢くん、どうして……。
「名前さん。聞いて欲しいことがあるんです」
「何?」
ふと、手のぬくもりが消えた。
私の目の前には、選択肢が表示される。
「おめでとう、よくここまで来たね、名前さん。クリアは目前だよ」
楽しげな少年の声が、どこからともなく聞こえてきた。