▼ 常夏の楽園

 ドアを開けたら南国だった。
「アロ〜ハ〜、貴利矢!」
 しかも南国美女がお出迎え……ではなく、フラでも踊れそうな格好をした名前だった。
「どうしたの? これ」
 我ながら笑みが引きつっていると思いつつ、とりあえず訊ねる。名前は髪に花を刺し、鮮やかなレイを首に掛けて手にも持ち、ゆらゆら揺れながら(それっぽいBGMを流し、それに合わせて踊っているつもりらしい)近寄ってくると自分の首にレイを掛けた。
「なにこれ本物じゃん!?」
「心を込めて作ったの〜」
 しかも手作りかよ。むっとする花の香りにくらくらする。部屋の中はすっかりハワイだった。壁じゅうに花が飾られ、窓には青い空のプリントされたでかい布が掛けられている。コートを着込んでいると熱いくらいだった。設定温度何度だ。外気温との温度差はゆうに20度はあるだろう。
「はいはい、貴利矢も着替えて〜」
 名前は自分からコートをはぐと、アロハシャツを押し付けてきた。このままでは蒸し焼きになりそうなので、ありがたく受け取って着替える。戻ってみると、食卓が整えられていた。ラウラウにカルアピッグ、ロミロミ、そしてロコモコ。グラスにはパインジュースが注がれ、赤いハイビスカスが飾られている。
「本格的だなぁ」
「でしょ〜。座って座って!」
 勧められるままソファに座り、グラスを取る。
「いつもお仕事お疲れ様! 今夜は、ぜーんぶ忘れて、南の島でゆっくりしましょ」
 軽くグラスを合わせ、ストローでジュースを飲む。ゆったりした波の音が交じるBGMにどうやら乗せられてしまったらしい。その気になってきた。
 今日は、久しぶりに取れた休みの前日。名前にメールしておいたのだが、それを見て今日一日掛けてこれだけ用意し、セッティングしてくれたのだろう。
 名前の心遣いが妙に素直に染みて、こんなのも悪くない、という気分になった。
「ん、うまい!」
「こっちも美味しいよ! はい、あーん」
 たっぷり頬張ったサーモンを飲み込んで、カルアピッグを口に運んでもらう。普段なら絶対やらないことではある。名前はたまにくっつきたそうにしたり、頬についたご飯粒を取ったり、そういうのをしたそうな雰囲気は醸し出していたが、自分がさりげなく避けていた。気恥ずかしいし。なんとなく。
 今夜はここは遠い南国の海辺にあるホテルの一室だとでも思えば、一夜くらい、羽目を外してもいいんじゃないか。何より名前の笑顔の前にはなけなしの意地しか持ち合わせていない自分じゃ勝ち目はなしだ。
「今夜はぐいぐい来るなあ」
「ふふふー。今日までいっぱい我慢しましたからね〜。お休み中は離しませーん!」
「マジか。勘弁してくれよ」
「観念して、いっぱい甘やかしなさーい」
 首にしがみついて、鎖骨辺りに額をぐりぐり押し付けてくる名前を、動物でもあやすみたいに撫でてやると、嬉しそうにくすくす笑う。
「じゃーこれから、一緒にお風呂入る?」
「へっ!?」
 意地悪に耳元で囁くと、名前はばっと顔を上げた。
「だって、離れないって言ったじゃん。背中流してよ」
「いっ、言ったけどっ! そういうサービスはありません! 貴利矢、えっち!」
 ぼふ、とクッションを投げられる。二人共笑いが止まらなかった。冗談で言ったものの、実際風呂に入るとき、離れ難そうにじっと見上げられるのには困った。まさか本気にしてその気になったんじゃないだろうな、とこっちが焦るくらい。軽く手を叩いて、すぐ戻るからと言ってやれば、ようやく名前は安心して手を離した。
 それだけ寂しい思いをさせてしまったのかと思うと胸が痛む。今日の日を、誰よりも楽しみに、心待ちにしていたんだろう。部屋の飾りつけも、大盤振る舞いの料理も。全部今までの反動で、名前の思いの大きさの現れ。
 愛されちゃってるな、自分。
 なんて茶化してみようにも、わりと真面目に照れくさかった。
「名前」
 風呂から出た後は、内側から温まった身体をゆったりと伸ばし、ベッドには入らず、ソファでごろごろして過ごす。自分の腕の中で、胸元に顔を埋めて穏やかに呼吸をする名前の髪から香る花の甘さに、なんだか切なさが沸いてきた。
「いつか、本物の島、行こうな」
「ハネムーン!?」
 ぽつり、と零すと、名前はがばっと飛び起きる。あまりにきらきらした瞳を向けられてほんの少しだけ後悔の念が過ぎったのは己の不甲斐なさではあるが、実現したい夢には違いない。
 夢、なんて言ってられないか。
 案外、その日は近いんじゃないか。そう思えた。
「じゃあねー、式もね、そっちで挙げたいな!」
 幸せ一杯に未来の展望を語り始めた名前の声に耳を傾け、愛おしさに浸る。
「名前」
「貴利矢」
 名前を呼ぶと、名前は首を伸ばして、触れるだけのキスをする。自分はその頬を捕まえて、もっと深く口付ける。
 言葉よりも確実な、思いを。
 君の見る未来に、手を重ねた。



昴様リクエストの九条貴利矢・ほのぼので、元気の出るような話でした。
最近寒いので、常夏の島に行きたいという発想からこんな感じに。
また、長編も短編も読んでいただきありがとうございます。応援していただくとやる気がわきますっ!
リクエストありがとうございました!

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