▼ せめてひとつだけ
ひんやりとした手だった。
細すぎるくらいの長い指は、力というものを感じさせないか弱さで、俺の指に絡んでいる。引き止めたくない、繋ぎたくない、ただ、触れていたいだけ。そんな遠慮がちな思いがそこに現れているようで、こちらから握り返すわけにもいかず、俺はだらりと手を垂らしたまま、ただ、払い除けたり、鬱陶しがったりしないことを、消極的に示すしかなかった。
「大我くん」
答えはしない。名前の声の響きにただ無言で酔う。細やかで、耳朶をくすぐるような震えを持つその響きを、もう一度聞けはしないかと耳を欹てる。
「……私は、また会いたいって……思ってるから」
く、と喉が鳴る。からからに乾いた口の中で、声にならない声がこだまして、消える。
「だから……待ってるね」
ぴくり、と指が動く。すんでのところでこらえた。
ふわりと彼女の手が離れる。
「さようなら」
きっと彼女は笑顔を浮かべているんだろう。
俺は窓の外に向けた視線を微動だにしなかった。
何も言わず、ただ彼女が勝手に納得して、勝手に去るのを、待っている。卑怯な態度だ。
だが、何を言えるというのか。
今の俺に、彼女を傷つけないために何ができるというのか。
何をしても苦しめるなら、最小限に。
傷口はいつかは癒える。
塞がらない傷なら、血を流し続けて最後には空っぽになり死ぬのだろうか。
神になんて祈らない。
でも、もし、見守ってくれる誰かがいるなら。
どうか、彼女だけは。
彼女の進む道の先を見られない俺の代わりに、花を。
廊下を曲がる彼女の足音が遠ざかり、とうとう聞こえなくなった。
握りしめた拳に、爪が食い込む。
癒えない傷を抱えた、未来のない身体なら、戦って散るまでだ。
いくら待っていても無駄だと突き放さなかったのは、弱さ。
彼女の心はそれでも俺の側にあると、傲慢なまぼろしだとしても、せめて手元に置いておきたい。
待っていてほしい。
もしも、いつか。
この戦いが終わるときが来るのなら……。
帰る場所は、お前のもとがいい。