お姉さんとアイチくん2




 3日が経った。
 朝、一時間早く起きて、あの路地裏の近くに立ち、あの人を待った。
 帰り道、一時間粘って、あの人が通り過ぎるのを待った。
 あの人は現れない。

 4日目、さらに一時間早く行くことにした。
 遅刻ギリギリまで粘り、帰りは暗くなる直前まで待ち続けた。

 5日目、もしかしたらあの人は違う道を通ってるんじゃないかと不安になった。
 今日会えなかったらどうしよう。
 考えながら待ち続けても、あの人には会えなかった。
 どうすれば会えるのか、まるで考えつかなかった。

 そして6日目の土曜日。
 学校で必要なものを買いに来た帰り道、ふと駅前のクレープ屋が目についた。
 ここのクレープは美味しいって、あの人は言っていた。
 イチゴのクレープを買って、ゆっくり食べながら、クレープを買いに立ち寄る人を眺めていた。
 やっぱりあの人は現れなかった。

 7日目の日曜日も、クレープ屋に行ってみた。
 気がついたら夜になっていて、がっかりして家に帰った。

 8日目の朝、気が重い。
 もうどれだけ待っても、二度とあの人には会えない気がする。
 僕はなんてバカだったんだろう。
 あのときにすぐお礼を言うべきだったのに。
 そして名前を聞くべきだったのに。
 「助けてくれてほんとうにありがとうございます。嬉しかったです、僕のこと、ずっと気にかけてくれてたんですね。よかったら名前を教えてくれませんか」
 あの人に会えたらすぐに言おうと思って考えておいた台詞が虚しく胸の中でリピートされる。ついに僕はこの言葉をあの人に伝えられずに終わってしまうかもしれない。
 そう思ったら、とても悲しくなった。

 放課後、僕は重い足を引きずりながら帰り道を歩く。
 あの人はもういないんだ。
 どんなに待っても、会えないんだ。
 だってこんなに探しているのに、いっこう見当たらないんだもの。
 もうダメなんだ。
 溜息が出る。
 俯いて歩いていたから前を見るのを忘れて、うっかり誰かにぶつかってしまった。
「あ、す、すみませ……」
「ああ? なんだァ、またお前か」
「あっ」
 この前、僕に因縁つけてきた人だった。
 つくづく、ついてない。
 なんて僕はバカなんだ。
 せっかくあの人に助けてもらったのに、僕はまたそっくりおんなじ窮地に陥ってしまった。
「オドオドしやがって、鬱陶しいんだよ。なんだ、わざとぶつかってきやがって」
「ち、違います、わざとじゃ……」
「はっきりしゃべれよ、聞こえねえんだよ」
「ひっ」
 どん、と肩を突き飛ばされる。
 簡単によろける足が情けない。
 どうして僕はこうなんだ。
 また僕はこんな。

「あれー、今日は路地裏でコソコソしないのー?」

 待ち望んでいた、陽気な声。
 ずっと探していた可愛らしいあの声が、立ちはだかる不良の向こう側から聞こえてきた。
「……お姉さんっ、やっと会えた……!」
 不良の脇をすり抜けて、あの人の側までひた走った。もう見失わないように、しっかりと服の裾を掴む。
 不良とあの人は目を合わせた。
 あの人はぱっと僕の腕を掴む。
「……じゃあ、そゆことで。この子もらっていきます!」
「え、おい」
 あっけにとられている不良を残して、僕達は駅前まで走り続けた。
 交番の建物が見えて、少しほっとする。
「はぁ、大丈夫? 突然走っちゃってごめんね」
 息が上がってうまく離せない僕は、お姉さんの腕をしっかり握ったまま首を振る。
「僕、ずっと、探してて……っ」
「え? 何を?」
 お姉さんの顔を見上げる。涙が勝手に溢れて来て、視界がぼやけてはっきり見えないけど、可愛いお姉さんの顔がそこにある。
 一度見たっきりの、もう二度と会えないかもしれないと思っていた、顔が。
「お姉さんっ……好きです!」
 伝えなくちゃ。
 あのとき言えなかったことを。
「え?」
「あのっ、この前、僕、言えなくてっ、助けて、もらったのに……心配が、嬉しくてっ! だけど、会えなくて。ずっと探してたけど、会えなくてっ、僕、もしかしたらって、クレープ好きだって言ってたから、だから」
「うんうん、ゆっくりゆっくり」
 嗚咽を堪えながらしゃべる僕の背中を、お姉さんはぽんぽんと叩いてくれる。
 僕はお姉さんがどこにも行かないということをやっとの思いで飲み込むと、涙を袖で拭って、お姉さんを見上げた。
「ありがとうございましたっ! な、名前教えてください!」
「どういたしまして。ゆりかだよ。君の名前も教えてくれる?」
 お姉さんはにっこり笑って手を差し出し、僕は彼女と握手を交わした。
 よかった、つっかえつっかえだけど、イメージしていたほどスムーズには伝えられなかったけど、とにかく、言えた。それに名前も知ることができた。
 ゆりかさん。
 ゆりか。
 素敵な名前だ。
 ゆりかさんはくつくつと笑った。
「そんなにクレープ好きだったんだね。駅前のって言ってもわかんないかぁ。ずっと探してたのかなぁ。悪いことしたね。じゃあ場所教えてあげるよ。おいで」
「え?」
 ゆりかさんは握手した手をそのまま引っ張り、僕をあのクレープ屋に連れて行ってくれた。
 何食べたい、と聞かれたので、咄嗟にこの前食べたイチゴのクレープを指さす。
 するとおごりだよ、と言って僕にクレープをくれた。自分はケーキとアイスが乗った豪勢なものを注文して、とても幸せそうに齧り付いた。
「うん。美味しいね。甘いもの食べると、とろーんとした幸せに蕩けちゃうよね」
「……はい!」
 クリームに埋もれて、頬を上気させて微笑むゆりかさんはとても可愛い。
「あの、ゆりかさん」
「なぁに?」
「また……会えますか?」
「うん。会えると思うよ」
「その、えっと。偶然、じゃ、なくて……あの」
「あ、連絡先? いいよ。交換しよー」
 そう言いながらゆりかさんはスマホを取り出す。
 あ、いや、僕はそこまでは言ってないんだけど……。まごまごしているうちに、ゆりかさんは手際よく僕にアドレスと電話番号を教えてくれた。
「いつでも誘ってね。クレープならいくらでも食べれるから!」
「えっと、あの」
「じゃあ、ばいばい」
 クレープを食べ終わったゆりかさんは、満足げに去っていった。


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