お姉さんとアイチくん6




「……それで、メールは送ったのか?」
 電源の点いていないスマホを眺めていた僕に、森川くんがコソコソと話しかけてきた。
 ああ、なんだか癖になっちゃってた。せっかくアドレスを交換したんだから、何か送らなきゃって思いつめてたけど、ゆりかさんはあれから毎日キャピタルに遊びに来てくれるようになったから、わざわざメールをする必要はなくなったんだ。
「ううん。まだ……」
「っかー! だからダメなんだよお前は! 貸してみろ!」
「えっ?」
 ばっと森川くんにスマホを取り上げられる。
「……これどうやるんだ、井崎」
「貸してみ。ゆりかさんのアドレスは……っと」
「ちょっちょっとちょっと!? 何勝手なことしてるのー!?」
 どうして井崎くん僕のスマホの画面解除できるの!?
 一体何をするつもりなんだ!
 やめて!
 ふいに、二人ははっとして動きを止める。
「ア、アイチ……お前……」
「な、なに?」
「これ……隠し撮りかぁ!」
「うわぁ! やめっ、見ないでー!」
 しまった!
 ミサキさんと話してるときにふふって笑った瞬間が可愛くて思わず撮っちゃったゆりかさんの笑顔を昨日の夜待ち受けにしてそのまま寝ちゃって元に戻すの忘れてたぁ!
「やめて、お願い! 返してよっ」
「今日の放課後、ぜひクレープを一緒に食べましょう、駅前で待ってます、っと……」
「だめーっ!」
 死に物狂いでスマホを取り上げる。
 荒い息をつきながら二人をやっとの思いで睨みつけると、二人は冗談冗談、送ってないって、と手を振った。
「もう……、ほんとに、面白くないよその冗談っ……!」
「いやぁ、つい」
「ごめんごめん」
 すぐに未送信メールを削除して、待受もデフォルトの画像に戻す。
「はぁ……」
 パスワードも、変えとこう。

 その日に限って、ゆりかさんは来なかった。
 やっぱり、メール送ったほうがよかったのかな。
 でも、いまさらクレープ屋に誘うっていうのも、タイミング逃しちゃった感じがして。
 昨日ちゃんと充電していなかったから、ここに来る前にスマホの電源を落としておいた。
 ゆりかさんの写真をせめて見たい、と思ったけど、帰ってからだな。
「しょんぼりしてるなぁ、アイチ」
「愛しの彼女が来てないからなあ」
「かっ、彼女じゃないよ!」
「えっ」
「違うの?」
 森川くんと井崎くんはびっくりした顔をする。
「ゆりかさんはとっ、友達だよ……。か、彼女とか、おこがましいよ……」
「おこがましいってことはないけどなぁ」
「当然だ! アイチにかかかか彼女なんて、十年はやぁい!」
「短くなってるぞ、森川」
「彼女……」
 わかってるよ、僕だって。
 そりゃあ、ゆりかさんみたいな人が、僕のこと、す、好きになってくれて、か、か、かの、じょ、なんてことになってくれたりしたら、どれだけ幸せかわからないけど、でも、絶対にそんなこと起こりっこないって。
 わかってるんだ。
 だけど……。

「おい」

 テーブルの上に雷が落ちて、カードが散らばった。
「てめぇ、なんでここにいんだ!」
 ミサキさんだった。
 ミサキさんが、鬼の形相で僕を怒鳴りつけてる。
 どうして?
 僕はここにいちゃいけない……?
「あの子、ずっと待ってるのに!」
 ミサキさんは、自分のスマホの画面を僕の目の前に押し付ける。
 送信者はゆりかさん。
『アイチくん、まだ来ないみたい。
 もうちょっと待ってみるね』
 ……まさか!
 僕はカードが散らかるのも構わず、椅子を蹴倒して、店を飛び出た。

 そんなはずない。
 あのメールは送れなかったんだ。
 返信だって来なかったじゃないか。
 違う。
 今スマホは使えなくて、メールの確認だって僕はロクにしてない。
「ゆりかさん……っ」
 ぽつんと、一人、駅前のクレープ屋さんの、ピンクで甘い看板の前に佇んで、何人ものカップルが買い物に来るのを眺めながら、いつまで経っても現れない待ち合わせ相手を待っているゆりかさんの姿が浮かぶ。
「ゆりかさんっ!」
 イメージの中のゆりかさんの寂しそうな表情が、現実の光景とぴったり重なって、駆けつけた僕に気づき、イメージの中のゆりかさんは陽気に微笑んで……現実のゆりかさんは、むーっと、眉を釣り上げた。

「おっっっ、そーい!」

「ごめんなさい!」
 腰に手を当てて怒るゆりかさんに向かってがばっと頭を下げる。
 胸がじくじくと痛む。いくら謝っても謝りきれない。
「私ね、二時間待ったよ」
「ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」
「ずっと、返事も来ないし、もしかしたらまた誰かに路地裏に連れ込まれてるのかなって心配したよ」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
「でも、キャピタルにいたんだね」
「ごめ、なさっ……僕、ほんとに……ッ!」
「……君が泣いてどうするのさ」
 怒るに怒れないでしょ、ゆりかさんは呆れたように優しく言って、僕の頭をぽんぽんと撫でてくれた。
「まあ、不良に絡まれてたわけじゃなくてよかったよ」
「僕……その」
「スマホも何回掛けても繋がらないからさ、すぐに探しに行こうと思って。でも、もしかしたら入れ違いになるかもと思うとここから動けなくってねー」
 いやぁ、困った困った。そんなふうに笑うゆりかさんに、許されるわけじゃないけど、僕はことのあらましをすべて正直に話した。
「まさか送信されてると思わなくって、僕……」
「なんだ、アイチくんが送ってくれたんじゃないんだ」
 がっかりだなぁ、と言われてびくりと肩を揺らす。
 幻滅された。
 でもふざけてたわけじゃないんだ、本当に、ゆりかさんにメールを送りたかったのは本心なんだ。
「アイチくんがデートに誘ってくれたって、ぬか喜びだな、私」
「デッ!?」
「でもさ、アイチくんいつの間に私の写メなんか撮ったの? 全然気付かなかったよ」
「えっ!? ななななんのことでしょうか……ッ!?」
「さっき言ってたじゃない。待ち受けにしてたの戻し忘れて……」
「わーっ! わーっ!」
 いくら正直にったって、そこまで言っちゃダメだろ僕ー!
 なんでそこまで告白しちゃったんだよ僕のバカー!
「ごっ、ごごごごめんなさい、嫌ですよね! 気持ち悪いですよねっすぐ消しますから許してください!」
「え、そんなのズルいよ。アイチくんだけなんてずるい。私もアイチくんの写メ欲しい」
「ええっ!?」
 ゆりかさんはそう言いながらすでにスマホを構えてる。
「ややややめてください! 僕なんか撮っても! 今顔ぐちゃぐちゃだし……っ」
「もう、じゃあツーショット撮ろう。それならいいでしょ」
「へっ?」
 ゆりかさんにぐいっと腕を引っ張られ、肩がぶつかり合う。
 ぽかんとしているうちに、スマホのフラッシュが光り、思わず目をつむった。
「可愛い顔撮れた!」
「やっ、やだ、僕絶対変な顔してますよ……!」
「大丈夫、アイチくんはいつだって可愛いよ」
「可愛くないですよ! ゆりかさんの方がよっぽど可愛いです!」
「んん? それはどうかな。あとでアイチくんのとこに送っておくから、家に帰ったら見てね」
「あっ、えっ、うう」
 ああ、絶対変な顔で写ってるのに。
 こんな顔がゆりかさんのスマホに残っちゃうなんて、すごくいやだ……。
 でも楽しそうなゆりかさんの顔を見ると、強く言えない。今回悪かったのは僕だし、これ以上わがままは言えないよ。
「さてと、じゃあキャピタルに戻ろっか。ミサキにも心配掛けちゃったし」
「あっ……」
 さっと歩き出したゆりかさんの後ろを、慌てて追いかける。
 ゆりかさんは足が早くて、すいすいと人混みをかき分けていく。
 僕は必死でその背中を追いかけて、ぐるぐると腹の底で渦巻く名状しがたい思いを抱えて、何がしたいのかわかりかねていた。


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