シューティングスター
夜の10時、いつもよりずっとずっと遅い時間。夏の蒸し暑さと夜の寒さが妙に混ざり合って不快感が募る、変な夜。
時計の秒針が私を急かす。ぐるぐると回る時計だけをずっと見つめて彼女を待ち続けた。
〈夜10時、学校近くの交差点で待ってるね〉〈見せたいものがあるんだ〉
二通に分けられたその短いメール。緊張と不安で心拍数が上昇していく。交差点直ぐ側の電信柱に寄りかかって彼女のメールを再び眺めた。
返信しなくとも彼女は私が居るって気付いてる。人懐っこい笑顔を思い出して少しだけ安堵の息を漏らした。
車の通りも疎らな時間、信号機の点滅速度が昼間と違ってだいぶ遅い。
ぱちりと瞬きをした瞬間、直ぐ側の曲がり道から彼女は笑顔で現れた。何時ものように人懐っこい、夜に溶けない笑顔のままで。
「ソフィアちゃーん、こっちこっち!」
「6分と51秒の遅刻」
「流石ソフィアちゃん!けど細かいことは気にしないでほら、こっち!」
数の少ない街灯のせいで周囲はとても暗く感じる。けれど彼女の笑顔はそんな夜に引けを取らないくらい明るくて不思議で――不覚にも可愛らしいと思ってしまった。
彼女は私の手を引いて走り出した。ふわりと匂う彼女のシャンプーの香りに心臓が大きく跳ねる。夜の風景を横に流すように走り続ける。風に揺れて、時折街灯の灯りによって透明に感じる彼女の髪が神聖なもののようで。
いつの間にか握られた手が熱を持っている。彼女の表情は後ろからでは確認が出来ない。その頬に触れたくても触れることは出来ない。
握られた手の熱を放出することが出来ないまま、少しづつ周囲の街灯は減ってゆく。
風によって揺れる木々が騒がしい。何時も通らないような暗い道を、彼女に手を引かれ歩いて行った。
「…何処へ行くの」
「着いたらのお楽しみだよ!さあ、ソフィアちゃんも早く!」
手を握ったまま前を歩く。鼓動が早いのはきっと走ったせいだ、そう考えないと今にも倒れてしまいそう。
風はそれなりに吹いている、夏場にしては珍しくそれ程暑くはない。なのに何故こんなに顔が熱いのだろう。
…理由は考えなくても分かる、けれどそれを理解してしまったら、彼女はこの夜の中に消えてしまいそうで――。
暗い夜道を歩き続ける。何分程歩いただろうか、相変わらず周囲は暗い。
「あと少しで着くよ!」なんて彼女は笑顔で言うけれど、とてもこの辺りに彼女の好きそうなものはない。
甘いもの、綺麗なもの、素敵なもの。子供が好きそうなものこそ彼女の好きなもの、彼女は綺麗なまま此処まで育ってきたのだから。
彼女の滑らかな手を少しだけ強く握る。暑いような暖かいような変な感じがして直ぐに握る手を緩めた。
「ソフィアちゃんどうしたの?」
「なんでもない。それで、貴方は一体何処に行こうとしているの」
「すぐそばだよ、ほら其処くぐって…」
かさり、と葉の揺れる音がする。小さな茂みに隠された通路――こんな所に道があっただなんて。
平然と膝をつき、小さな通路を通り抜ける。本当に子供のようだ、中学生とは思えない。
呆れながら小さくため息を吐く。彼女の行為を否定するつもりはない、彼女の行為はいつも人を笑顔にするから。……それに私が嫉妬するのにも気付かず。
「あれ、ソフィアちゃんついてきてる?」などと言ってカサカサと葉の擦れる音を際立たせる彼女に少しの苛立ちを覚えた。ただの八つ当たりだと自覚していてもどうしようもない。
「此処にいるわよ」と返事をしてやれば直ぐ「こっちきて!」と嬉しそうな声で言葉が返ってくる。嗚呼、この子は馬鹿だ、どうしようもない程に馬鹿。
仕方が無いからついていってあげる。一人でそう思い小さな茂みをくぐり抜ける。案外中は広く、通りやすくて悪くない。
濃い影を作った茂みから抜けると、大きな風を感じた。この先に見える光は――。
「――ね、ここ綺麗でしょ?」
「ただの街の風景じゃない。これの何処が…」
「違うよソフィアちゃん、ほら上見て!」
一面の銀河。上を向き少しだけ口を開けたまま、私はその景色に目を奪われた。
大きな月が遠くで光って、其れよりももっと大きな星たちが何処が遠くで輝き続けている。胸が高鳴る、思えば私のバディ〈星神 アストライオス〉にも星と名が付いている。彼女はまさか其れを知って?
そう思い、顔を戻して隣を見る。普段と変わらない笑顔のまま空を見上げる彼女に、知るはずがないと一人で結論づけてしまった。其れ程までに暖かな笑顔をしていたのだから仕方が無い。
「綺麗でしょ」そう言って私を見る彼女と目が合う。何時もの人懐っこい笑顔と違い、聖母のような優しい笑顔。
何度目か分からない程胸が高鳴る。顔が熱い、一体私は如何したというのだろう。
頬の熱を冷ます為再び上を見上げる。「そうね、悪くないわ」と言えば彼女の嬉しそうな声が耳に届いた。
「ほら見てソフィアちゃん、流れ星!」
「そんな一瞬のもの見れるわけないじゃない」
「違うよ、ほらいっぱい!」
「凄いね、きらきらがいっぱい」そう言って彼女は肩の力を抜き、地面に座り込む。星降る空から目を離さずに、その綺麗な瞳に大量の星屑を写して。
彼女が瞬きをする度に、その光景がカメラのように瞬間で捉えられる。まるで魔法だ、星の夜に掛けられた不思議な魔法。
ソフィアちゃんに見せたかったの。聖母のような笑みを浮かべたまま彼女はそう言った。小さく風が吹いて、私と彼女の髪を揺らす。風邪の原因になるが、程よく汗をかいた肌には心地良い。
何も言わないまま空を見上げる私を不審に思ったのか、スカートの裾を軽く引かれる。顔を戻し、普段と変わりない口調で何かと問えば柔らかい笑顔のままなんでもないよと返された。妙な感覚だ。
「それにしても貴方がよくこんな事知ってたものね」
「なにが?」
「流星群よ、今日来るだなんて新聞にも書いていなかったわ」
「えー、私も流星群が来るなんて知らなかったよ」
少し下を見れば、苦笑いをしつつ答える彼女の姿があった。それもまた一つの運の形…?そう思いながら彼女のプレイングを思い出す。欲しい時に来る手札、当たりを引く確率、じゃんけんの妙な勝率。運だけで生きていると言っても過言ではない彼女がまた一つその才能を使ったというのだろうか。
頭が痛い。何てこと、本当にこの子は馬鹿だ。
「ソフィアちゃんとお星様見たかっただけ」
そう言って地面に倒れる彼女につられ、私もそっと座り込んだ。
「どうしてもソフィアちゃんに見せたかったの!」
「…どうして」
「…だってソフィアちゃん上見ないんだもん。会長さんと一緒にいる時だって、私といる時だって、お空見上げない」
先程までとは打って変わり、唇を尖らせて言う彼女に私は何も言えなかった。否定も肯定もせず、ただ時間が過ぎるのを待つ。
狡いだなんて自覚済みだ。それでも否定できないのは事実だから、肯定出来ないのは無意識だったから。
互いに無言のまま空を見つめる。彼女が答えを求めている訳ではないのくらい分かっていた。
光の矢のように零れる流れ星に手を伸ばす。掴める訳ではないと知っていても、如何しても彼女にあの星屑をプレゼントしたくて。
握りしめた手の中には光り輝く星屑なんてあるわけがない。理解していてもどうしても掴みたくて、星屑の代わりに彼女の手へと手を伸ばした。
夜に溶けない笑顔、闇の中でも目立つ肌色。私にとっては、貴方自身が星のよう。そう思い両手で彼女の手を覆った。
「…ソフィアちゃん」
「何かしら」
「私ね、お星様が欲しい。だから私にお星様を描いて欲しいんだ」
「箱の中の星でも良いのなら、いくらでもあげるわ」
その答えに喜んだのか、彼女は私の手をそっと握り返した。
――わたしにお星様を描いて欲しいんだ。その言葉に初めて出会ったあの日の事を思い出す。
人のいない生徒会室、沢山の白い紙。あの日も、彼女は私に気付き振り向いて同じ言葉を言った。
まるで星の王子様ね。馬鹿にしたように言う私に、変わらぬ笑顔で彼女は告げた。
「……じゃああなたはテグジュペリね!」
「ねえねえ、わたし、ソフィアちゃんのこと大好き」
「奇遇ね、私もよ」
「……流れ星、なくなっちゃったね」
「そんなものに願わなくてもいいわ、貴方を手放したりしないから」
「えへへ。ソフィアちゃん、そろそろ帰ろ!」
そう言って私の手を引く彼女の影が大きく見える。
明日、彼女が生徒会室へやってきたら沢山の星をプレゼントしよう。数え切れない程星を詰めた、小さな箱。それを見たらきっと彼女は喜ぶに違いない。そう、あの日と同じ笑顔のままで。
今日見た星達も、掴めなかった流れ星も全て詰まった質素な箱。彼女との約束を詰めた、幸せの箱。
願わくばその箱が壊れないように、箱の願いが消えてしまわないように。私は箱の中の小さな星に、祈りを捧げる。
〈シューティングスター〉
〈曲/アリエP 歌/000〉
曲モチーフ交換作品。