息抜きをしようと思い立って街に出たところで、そこはやはりμの歌声に溢れかえっていて、実のところそれほど息抜きにならなかったりするので、コンビニで菓子類を調達した後の行き先がだいたい部長の部屋になるのはごく自然な流れだ。

「困るんだよね、こういうの」

ため息が聞こえたのは、部屋の隅に積んであった雑誌の一冊を手に取りぱらぱらと眺めていた時だ。何がですか、と僕が聞くよりも先に、部長はベッドに寝転んだままいじっていたスマホをこちらに突き出す。画面は個人WIREのやりとり。アイコンから察するに、相手は女子。プライバシーって言葉知ってるのかなと呆れつつ、画面を薄目で見ながらいちおうスマホを受け取った。ていうかこの人、僕とのWIREも誰かに見せて話のネタにしてないだろうな。
「……これ見ていいやつですか?」
「いいって言うか、見せてるんだから見てよ」
「正直気が進まないんですけど、いやですよって言ったらどうなります?」
「ちょっと機嫌が悪くなる」
「……それは困りますね」
何せ、僕はこの端正な面立ちの裏で無邪気さと悪意を飼い慣らしている彼のことを、恋愛対象としてちょっと好きになりかけていたりするので。
それはともかくエロい自撮りの要求とかしてたらどういう顔したらいいかわかんないなあと思いつつ画面をスクロールさせると、もっとどういう顔をしたらいいかわからないものが目に入った。

「好きですって言われてる……」

新着メッセージとして表示されていたのは、「ずっと前から気になっていました」から始まり「付き合ってもらえませんか」で終わる、甘酸っぱい告白の言葉だった。受信時間は今からほんの数分前。さっきの「困る」という言葉とため息はこれに向けられたものだろう。それにしても、恐らく打っては消し打っては消しを繰り返し、思い悩みながら完成させたであろう渾身の告白メッセージがものの数分で見ず知らずの僕の目に晒されているとは、送り主の彼女はきっと夢にも思うまい。
「……で、これを見せられて僕はどうすれば?」
部長はいつの間にか開けていたポテトチップスをぱりぱりと囓りながら、横目で僕を見遣る。
「断る文章代わりに考えて」
「……え?はい?」
僕は自分の耳を疑った。
「考えるのめんどくさいんだもん」
「いや、それって普通に最低では」
「なんで」
「誠意とかそういうの」
「ない」
どうやら、彼は告白の返事をゴーストライターで済まそうというらしいのだ。良心が痛むどころの騒ぎではない。僕はもちろん断ろうとしたけれど、彼に上目遣いで「だめ?」などと小首を傾げられてしまえば、心の天秤はがたんと音を立てて傾き、反対側の皿に載っていた良心は弾みで遠くに飛んでいく。
「ええと…………」
「…………」
「どうすれば、いいですか」
……腹を括った。この人といっしょにいると、これまで積み上げてきた価値観やら善悪観やらが狂ってしまいそうになる。自分をばらばらにされて作り直されているような感覚は、不安を覚えるというよりも純粋に気持ちがよくて、そろそろ癖になってしまいそうなのだけど。
「あー、うん、そうだ、あんまりひどいことは書かないでね。ブスとかそういう」
「書きませんよ、っていうか顔知らないし」
「そういうのスクショされてゴシッパーでばらまかれでもしたら大変だ。大炎上だぞ大炎上」
「それはそれで面白そうですけど」
ちょっと睨まれた。
「うそです、まじめにやります」
内容の善し悪しにかかわらず告白の返事を後輩に書かせている時点で既に炎上案件ではないか、という指摘は言葉にせず飲み込む。あえて怒らせることもあるまい。しかし、彼の悪行が白日の下に晒されて女の子たちに白い目で見られるようになれば、僕にもチャンスは巡ってくるのだろうか。なんて甘い考えも抱きながら、僕はせっせと指を動かす。


「こんなもんか、ご苦労ご苦労」
彼女は隣のクラスの生徒で、言葉を交わしたのは彼の記憶する限り数回程度であるという情報を得たので、お断りの文面は「俺たちあんまり互いのこと知らないし」を軸に極力無難なものにまとまった。もう一度ざっとチェックをかけた後、「ちょっと童貞っぽいけどまあいいや」という非常に失礼な批評とともに部長は僕の考えたメッセージを送信した。よく見ると、僕がぽちぽちとスマホを操作している間に部長はポテトチップスを一袋、ぺろりと平らげていた。ちょっとお高いリッチなコンソメ味。それ、僕まだ一枚も食べてなかったんだけどな。
「ありがと、助かったよ。食べる?もうカスしかないけど鍵介くんポテチのカス大好きって言ってたよね」
「ええ、そんな話はした記憶一切無いですけどもらいますよ、どうも」
ひとりで完食したくせにパーティー開けにされた袋を受け取り、残されたコンソメ味の欠片をつまむ。なんというか非常に惨めだ。

「……ひどい人」

僕はぽつりと呟く。すると部長は「そうだよ」と存外に素直に頷いた。
「だから女の子に好きって言われても断るじゃん。俺の外面の良さに引っかかっちゃった子を悲しませたくないから」
「どうしたんですか急に真人間みたいなことを……あれ、ううん、ぜんぜん真人間じゃない。その断りの文章を僕に書かせたんだもんな、真人間のすることじゃないな」
「割とナチュラルに無礼だなお前」
わしわしと髪をかき混ぜられた。それはさっきまでポテチを食べていたのとは逆の手で、ひと安心。
「俺のこういうとこ見てもちゃんと好きでいてくれる子がいい」
なんだか寂しそうな表情をする。彼の整って大人びた陶器のような顔(これは自前らしい)にふと少年じみたナイーブさが滲む瞬間が、好きだ。
「はあ…………、いるんですかねそんな人」
「さあ」
適当に濁すと苦笑された。その流れで、実はここにそんな人がいますけどね、なんてさらりと宣えるほど、僕は図太い人間ではないことが悔やまれる。
「でも、それでも俺のこと絶対好きでいるって保証してくれないなら見せたくない」
「めちゃくちゃですね」
「めちゃくちゃだよ」
うひひ、と怪しく笑ってみせる部長の手元、彼のスマートフォンがメッセージの受信を伝えて細かく振動している。きっと、先ほどの彼女からの返信だろう。部長は無視を続けている。
「ああほんと、ひどい」
言って、指先でちまちま集めたポテチの欠片を口に運ぶ。目の前の男が、その唇にくちづけてみたいと考えているなんて、きっと彼は想像すらしていないのだ。その無防備さが何よりの証明だった。今日ここで果たせなかったコンソメ味のキスを思い描きながら毎晩ベッドに潜ることになるなんて、まったくほんとうに、ひどい話だ。



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