熱い。全身の血が沸騰している。

「先輩、お疲れ様です。この辺に現れるデジヘッドには、そこまで苦戦しなくなりました」
隣に立つ鍵介の涼しげな声が、まるで水の中にいる時のように遠く聞こえた。今のは僕のカウンターに先輩が追撃するタイミングが完璧だった、だいぶ連携が取れるようになってきた、次はちょっと試してみたい技があって───そんなことを得意げに喋る声が、途中から途切れ途切れにしか聞こえなくなる。
「……先輩?」
視野がぎゅう、と絞られていく感覚。視界の端で、力尽きて倒れたはずのデジヘッドが、ぴくりと動いた気がした。
「せん……」
銃を掴んだままだった右手が、自然と動いた。そこから先のことは、あまり覚えていない。








「落ち着きましたか?」
「……ああ」
校舎の廊下の突き当たりには、革張りのソファが置かれた休憩所のような一角がある。そこに腰を下ろして、ようやく一息つくことができた。ふと視線を向けた自分の掌は、汗でびっしょりと濡れている。
「どうぞ」
ぼくが座り込んで息を整えている間に、鍵介は近くの自販機でお茶を買ってきてくれたらしい。差し出されたペットボトルを遠慮なく受け取って、冷たく冷えたそれを一気に呷った。大きく息をついたぼくを、鍵介は心配そうに見つめている。
「疲れてたんですね……すみません」
「いや、気にしないで。ぼくも自分の体調とか把握してなかったのが悪い」
今日の放課後は、帰宅部としての探索活動ではなく、鍵介に頼まれて戦闘のトレーニングに付き合っていたのだ。少し責任を感じてしまっているらしく、さすがに普段の彼の生意気そうな態度は鳴りを潜めている。というより、むしろこっちが素なのかなとか、そんなことを思いながらぼくはもう一度ペットボトルに口をつけた。まるで、昨日から一滴の水も口にしていなかったように錯覚してしまうほど、ひどく喉が渇いていた。
「さっき、ぼく」
「ええ」
「まだ撃とうとしてたよね」
「……まあ、して、ましたね」
ああ、やっぱりか。ため息をつきながら、あいまいな記憶をたぐり寄せる。デジヘッドに馬乗りになったぼくの腕を鍵介が強く引いて、弾みでカタルシスエフェクトが解けて───呆然とするぼくは、半ば引きずられるようにして廊下の隅までやって来た。何が起きたのかなんとなく察してはいたけれど、こうして歯切れの悪い鍵介の答えを聞くと、少なからずショックは受ける。
浸食率も下がり、放っておけばそのうち正気に戻っていたであろうデジヘッドに、ぼくは何を思ったか「トドメ」を刺そうとしていたらしいのだ。背筋をひやりとした汗が伝う。

「……みんなには、言わないでね」
「ほんとに大丈夫ですか?」
「うん」
「……わかりました。でも今日はここで切り上げましょうね」
とりあえず、話の分かる鍵介と二人きりの時でよかったと思う。これが帰宅部の活動中であったら、きっと大変な騒ぎになっていた。特に、やさしくてちょっと気の弱い後輩のあの子なんかは、すっかり怯えてしまうだろう。
「……カタルシスエフェクトじゃ、死んだりしないよね? 武器の形をしてるけど、デジヘッドを正気に……、正気に戻すだけって、アリアも言って」
「わかりません」
鍵介は、たったのひと言で僕の言葉を遮った。険しい声だった。
「わからないから止めたんです」
鍵介はそう呟いて、空になったペットボトルをぼくの手から持っていってしまった。「歩けますか」と促されるままに、重い腰を上げる。
「今日はもう、帰りましょう。送ります。無理させてしまってすみませんでした」
「……そうさせてもらうよ」
鍵介の言葉に頷きながら、果たして、彼の言うとおりにぼくは「疲れていた」だけなのだろうかと考える。あのときぼくの身体を満たしていたのが、本物の殺意であったなら。鍵介に止められていなければ、放たれた弾丸は容易くあのデジヘッドの頭を貫いて───

「……ごめん、やっぱり、先に帰る」
「えっ?」

戸惑う鍵介を置いて、早足でその場を去った。すれ違う人たちの顔を見るのがなぜか恐ろしくて、ぼくは家に着くまでに一度も顔を上げることが出来なかった。




トリガーハッピー・シグナル


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -