「ねえ、先輩、先輩」
「ん?」
「どっちのほうがいいと思いますか」

松田にそう問いかける鍵介が手にしていたのは、二枚の薄手のカーディガンだった。片方は紺で、もう片方は薄いグレー。鍵介の顔とカーディガンを交互に見遣って、彼がそれを身につけている様子を想像してみて、松田は少しだけ迷ってから紺色のほうを指さした。
「こっちのほうが、ぼくは好き、かな」
「なるほど」
紺のカーディガンをカゴに入れ、鍵介は満足げに頷く。
「僕もこれがいいと思ってました。やっぱり先輩とは気が合います」
「ほんとに?」
「ほんとですって」
選ばれなかったグレーのカーディガンを元の場所に戻し、くすくすと笑う。少し濃い色の服のほうが、彼の肌の白さがきっと映えると思ったから。
それからも、「先輩はどれが好きですか」と何度か尋ねられながら、彼に似合いそうなシャツを一枚とスニーカーを一足、じっくり選んだ。今度会うときはこれを着てきてくれるのかなあ、なんて思ったりして。
仮想世界のニセモノの身体のためにせっせと服を選ぶふたりの姿は、見る人によってはあまりに滑稽で、くだらないと鼻で笑われてしまうかもしれないけれど。それでも鍵介が周りにより良く見られたいと思う気持ちを馬鹿にすることなんて誰にも出来ないし、より良く見せたいと思う対象に自分が含まれているのだから、それは嬉しいことだと松田は思っている。買い物カゴを鍵介から預かって、にこりと微笑んだ。
「楽しいね、こういうの」
「……よかった」
その時、口元を緩ませる鍵介の後ろを真っ黒な人影がすう、と横切った。不気味なその姿に、どき、と思わず心臓が跳ねる。
店内では、男か女かも分からない、モザイクに塗り潰された人間が通路を忙しなく行き来していた。入口近くの棚に新作のTシャツを並べて、時折開く自動ドアに向かって、ざらついたノイズを被せられた声で「いらっしゃいませ」を繰り返している。
しかし、ここが現実ではないことを知らない客たちは、異様な姿をした店員のことなど誰ひとりとして気にしていない。スピーカーからは、恋人と過ごす時間の甘さを歌うバーチャルアイドルの愛らしい歌声が、絶えず流れ続ける。小さな店の中で、当たり前の日常の弛緩した空気と、「気がついた者」の目にだけ映るこの世界の真実が、ぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。継ぎ接ぎだらけの理想を寄せ集めた、作り物の楽園。ようやく慣れ始めてはきたけれど、やはり、何度見ても気味が悪いものだ。

週にだいたい一度は、放課後に鍵介と街をぶらぶら歩き回る。映画を見たり、買い食いをしたり、今日のようにパピコで服を見て回ったり。以前から「息抜き」と称して続けられていたそれが「デート」に名前を変えたのは、つい最近のことだ。

「手、少しぞわぞわしちゃいました」
店を出た鍵介は、しきりに両の手のひらを擦り合わせている。やっぱりレジにいた店員も真っ黒のNPCで、会計を済ませておつりを手渡される際に触れた指先の、ざらざらした感触と温度のなさが不気味だったという。
「大丈夫?」
松田はさりげなく紙袋をもらって、そのままぎゅ、と鍵介の手を握る。鍵介は少しだけ面食らったようで、目の前の人通りを気にする素振りを見せたが、やがてはにかんでその手を握り返した。

「あったかいですね」

たいせつにしたいって、こういうことを言うんだなと、肌を触れ合わせる度にそう思う。すぐそこのカフェでもいい、次のフロアのファミレスでもいい、少し足を伸ばして駅前のファストフードでもいい。どちらかの家でもいい。ごはんを食べながら、楽しいことでも、怖いことでも、心配なことでも、なんだって話したいと思った。





檻の中から


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