short
R18…攻めと受けの身長を続けて6ケタ



▽一歩進んでみるということ(主鍵)


さてさて僕は女神の声に誘われ楽園とやらにやって来た(或いは、堕とされた)わけなのですが、あの日入学式の壇上でどうやらここは結局地続きになった地獄をお砂糖とクリームと素敵な(おぞましい)何かで埋め立てて作った人工島に過ぎないのだということを知り、深く深く絶望したのです。元卒業生である新入生諸君に向ける挨拶の言葉を一字一句たりとも逃さぬよう頭に詰め込んだ夜も、その他諸々優等生であろうと努力を重ねた日々も、何もかもが果てしなく無意味でしたとさ。


「……で、先輩がグレちゃったのは僕のせいですか、そうですか、ごめんなさい」
「ああそうだとも。君がネタばらしをしてくれたおかげで絶賛グレまくりなわけ」
「でも、やることと言ったらせいぜいこうやってコソコソ煙草吸うくらいなんですね」
呆れたような、少し喜んでいるような微妙な声色だった。焼きそばパンを食べ終えた鍵介は購買のビニール袋から今度はクリームパンを取り出し、ばりばりと包装を破く。
「そうだね、授業には出てるし、課題の提出だって毎回ちゃんとしてる。染みついてしまった優等生のサガってやつ。なあ、みみっちくて可愛いだろ、こう見えて僕は臆病者なんだ」
「……ふふ、まあいいんじゃないですか。嫌いじゃないです、そういうの」

おだやかな陽射しがそそぐ昼休み、屋上の給水タンクの陰で煙草くさいキスをするような二度目のティーンエイジャーもそう悪くない。生きてればそのうち何かいいものが見つかるよと、君にゆっくり教えてあげられる大人になりたい。




2018/02/21 11:55 (0)


▽むだぼね(主鍵)


鍵介はとてもとても可愛いので、涙目になりながら振り上げた掌で僕の頬を張った時ですら、ぱちん、となんだか幼くて可愛げのある音がするのだ。叩かれたことそのものより、僕の頬の皮膚に引っかかってしまった彼の爪がつけた浅い傷のほうがどちらかと言えばひりひりと痛むのだけれど、悲しくはなかった。所詮、アバターの一部が僅かに欠けてしまっただけの話。精神的な不感症だなんだと揶揄されたところで、僕はだからどうしたと首を傾げて、砂糖をふたつと少しのミルクを入れた珈琲を飲むのだろう。今日も明日も、明後日も。
「だって先輩は、僕を、僕だけを好きだって言ったのに、別の女の人と」
「誰だろうと求められれば応じる。でも、ちゃんと愛してるのは君だけ。神に誓ったっていい」
「おかしいですよそんなの。ここには神さまなんていないんです」
「……そんな寂しいこと言わないで」
楽園で夢を見ることは子どもの特権のはずなのに。神などいないと吐き捨てる彼の爪先には飴色のリアリズムがこびりつきつつある。これは汚染だ。救いを手渡さねばならない、僕は鍵介の頬を濡らす涙を指先で拭った。

「僕が君の神さまになってあげられたらよかったんだけどね」





2018/02/21 08:54 (0)


▽不定形(主笙)


クラスメイトから〇組の担任がこの学校の女性教諭の中でいちばん美人だという話を振られたので、俺もそう思うよと曖昧に笑っておいた。卒業、をした俺にはもうNPCの顔の区別がつかなくなってしまっていたから。美人で評判のその教師がどういった顔の造りでどんなメイクをしてどういうふうに笑うのか、何も思い出せない。


「…………ってことがあって、ちょっと焦った」
「ま、適当に話を合わせときゃ問題ないだろ。いくら戦うための武器があるからって、あちこちでデジヘッドと揉め事起こしてちゃ身が保たねえぞ」
「そうだね、気をつける」
なんとなく気疲れしてしまって教室から逃げてきた昼休み、俺たち帰宅部の秘密のアジトにはひとりの先客がいた。とりとめもない世間話をしながら購買のサンドイッチをもそもそと平らげた笙悟は、黒い革張りのソファにもたれて眠たそうにしている。やがて口元を押さえながら、ふあ、と小さく声を漏らしてあくびをしたのを、俺は弁当の中のたまごやきをつまみながら見ていた。強面の上級生から出会い頭にヘッドバッドをキメられるという衝撃体験のせいで、当初はけっこう怖い人だな、なんて思っていたりもしたけれど、こうして見ていると実はそんなこともないのだ。ふとした時になんとなく目をやると、存外におだやかというか、たまに気の抜けたような表情をしていることも多い。
「……少し寝ていいか?」
「ん、俺出てった方がいいかな」
「いや、気にしなくていい。別に俺だけの部室ってわけじゃないしな」
弁当箱に残っていた白米を慌てて掻き込もうとした俺を、笙悟は片手を上げて制した。よく見ると、彼が指先でぐりぐりと押さえている目元にはうっすらと隈ができていた。
「疲れてるね」
「ちょっとな……いや、部活にはちゃんと出るぞ」
「あ……うん。でも、あんまり無理はしすぎないようにな。なんかあったら言って」
「おう、悪いな」
しばらく経つと、背もたれに寄り掛かったまま目を閉じた笙悟の口から、すうすうと存外に子どもじみた寝息が漏れ始めた。しかし、その疲れは以前WIREでのやりとりの中で零した「嫌なもんを見ちまった」ことと関係があるのか、というのはまだ聞けないと思う。彼が絶対に他人には触れさせたくないと思う一線、分厚い透明な壁のようなものの輪郭を、俺は少しずつだが捉え始めていた。




2018/02/20 10:07 (0)


▽ランブルフィッシュは共喰いをする(主カギ)


「離して、あぁくそっ、離せ……ッ」
「だめだよ、今日は君に話がある」
残滓、などいう言葉を聞くと、薄らと透けた幽霊のような存在をつい頭の中に思い描いてしまうものだが、いつの間にか放送室に現れるようになった「これ」はそんなような儚さを微塵も持ち合わせてはいなかった。現に僕が組み敷いている小柄な肢体ははっきりとした実体を持ち、瞳に満ちる憎悪に呼応するような力強さでその手足の先は宙を掻く。そうだ、この目がいい。思わずごくりと鳴らしたこの喉笛にでも隙あらば噛みついてやろうと、ぎらついた鈍色の視線を突き立ててくるこの目がいいのだ。

「ああ…………やっぱり、好きだなぁ」

君をただの感情の残り滓などと呼ばせるものかと思った。カギPの両手を頭上でまとめ上げる片手には更に力を込め、腹に押しつけた片膝に更に体重をかけるよう押し込むと、彼は低く呻いた。本物の鍵介から切り離された存在である彼に声を詰まらせぶちまけるような胃の中身はないけれど、そこに存在する苦しみにも憎悪にも、確かな手応えと熱がある。それは僕にこの上ない恍惚を与えてくれた。
空いた片手のために一挺だけ顕現させたカタルシスエフェクトの銃を、カギPの口元に押しつけた。彼は滑らかで冷ややかな金属の感触にしばらく眉を顰めた後、トリガーに軽く引っかけられた僕の黒い人差し指の存在を認めると、やがてその小さな口を開いた。数秒に及ぶ逡巡の後、まるで寒い冬の朝に布団から嫌々這い出してくる子どものような怠惰な舌先が、ゆっくりと銃口をなぞる。「これで満足か」とでも言いたげな視線に、僕は引き金にかけた指にほんの少し力を込めることで応えると、彼はふたたび銃口に舌を這わせた。

「たぶん、好きだったんだよね、君が」
「…………ふぅん、そう、ですか」
「もうちょっと早く気がついていればなぁ」
「何か、……ん…………変わったとでも?」
「……もうわかんねえや」



淡々とした会話の後にはぴちゃぴちゃと水音だけが続く虚しい時間ばかりが過ぎ、気がつくと主の姿が消えた放送室には僕ひとりだけが残されていた。毎度の如く、血の一滴すらも残っていないきれいな床に少しばかり絶望する。あと何人の君をこの手で消しても決して晴れない靄を心に抱えたまま現実に帰るのは、とてもとても憂鬱だった。




2018/02/14 12:36 (0)


▽ふたりで生きるということ(主鍵)



退院してから初めて駅で電車に乗るとき、また見えない壁に弾かれて「外はできてないの!」と声を掛けられるのではないかとドキドキしてしまったなんていうのは、今となっては笑い話だった。ここはまごう事なき現実世界で、閉じられた楽園だった宮比市ではなくて、駅の向こうにだって海の向こうにだって、その先には世界が広がっている。


「でも、こっちはこっちで案外窮屈だ」
物理的にも、それから精神的にも。1週間の折り返し地点、気だるい水曜日の仕事を終えて家に帰ると鍵介がカレーを作って僕を待っていた。ごろごろと大きめの野菜が入った、甘口のカレーだ。
「やっぱり広さの問題じゃないんだよな」
「ああ、それはなんとなくわかりますね。息苦しい世の中ってやつです」
「メビウスはどこまでも自由だった。いい意味でも悪い意味でもね……まあ、戻りたいとはさすがに思わないけど」
「……そうですね、僕らはここでがんばるしかないですよ」
グラスの水をひと口飲んで苦笑いする鍵介の表情は以前より大人びてきたように感じた。ああ、僕はそれをすぐそばで見守っていたくて、この窮屈で息苦しい世界に君を連れ戻したんだよ、分かるかい。自然とゆるんでしまう頬を誤魔化すために、僕はスプーンを口元へ運んだ。




2018/02/12 14:18 (0)


▽きみがにくいというはなし(主鍵)


「ち……ちがう、僕はそんなつもりじゃ」
「っ、……うん、わかっ、わか……ってる、よ、だけど、だけどっ」

うああ、と声をあげて泣き崩れた部長の姿を見て、鍵介は自分の顔からさっと血の気が引いていくのを感じた。今は姿こそ高校生になってしまっているけど、本当は自分より何歳も年上だという彼が、こうして声を抑えることもせずに涙を流しているなんて俄には信じられなかった。部長が必死に隠していたいちばん傷つきやすいところを、知らず知らずのうちに言葉で何度も何度も抉ってしまったらしいことに鍵介が気がついたのは、彼がうずくまってから数分が過ぎた後だ。
「せん、ぱい」
鍵介が伸ばした手は弱々しく振り払われて、部長の嗚咽は止まらない。時折咳き込みながらしゃくり上げ、制服の袖が汚れることを厭わず何度も何度も目元を拭う姿はまさにこどもだった。大人だって、泣くのだ。自分が大人という存在を嫌いながらもその強さに対してささやかな幻想を抱いていたと気がついて、鍵介は吐き気すら覚えた。大人だって頼られて甘えられたらそのうち疲れるし、苦笑いしながら裏では傷ついているし、限界になればこうして泣く。いままで彼の何を見てきたのだろう、と、鍵介は唇を噛みしめた。大人になりたくないなんてμに願わずとも、自分は最初からあまりにこどもだったではないか。


「鍵介が、……けん、すけ、がっ、どんな、に、嫌だって……、こういうふうには、なりたくっ、ないっ、て、思ってたと……して、も」
「先輩、ごめんなさい、僕……」
「まい、にち、仕事で疲れて帰って、くるっ、つま……つまんないおとな、だとしてもね、おれっ、おれはっ」
「ごめんなさい、僕が無神経でした、だからもう」
部長は最後まで止まらなかった。真っ赤に泣きはらした目で、鍵介を見据えていた。

「ど、どうしようもないのは、わかっ、てたけど、でも、でも、それでもお父さん、と、お母さん、いるの、うらや、ましくて、羨ましくて、羨ましくてっ、だから、そんなこと言うお前が、憎くて、こんなのおとなげないって、恥ずかしいことだって、でも、もう、もう」


ごめん、と言い残したのを最後に、言葉らしい言葉は聞き取れなくなった。部長はしばらく泣きじゃくった。彼には、子どもの頃からずっと親がいないという。ようやくしゃがみ込んで彼の背中にそっと腕を回した鍵介が抱いているのは、帰宅部の頼れる部長などではなく、ずっと我慢をして生きてきたひとりの幼い少年だった。彼を救える言葉なんてたった19年の人生のどこにも見つけられなくて、鍵介はただ「ごめんなさい」と繰り返すことしかできなかった。きっとこの世界に、本物の大人なんてものはひとりとしていないのだ。





2018/02/10 16:51 (0)


▽死にたい夜に(主鍵)


「いつも一緒にいたいなんて思われなくていいよ。ただ……そうだな、僕は、君が死にたくなってしまった夜にふと思い出してくれるような、そういう存在でありたい」

春の日のことだ。ここではない別の世界で彼は言った。

「例えば、なんだかつらくなってしまった君が夜に電話をくれるとするだろ。そうしたら僕はすぐに着替えてバイクを飛ばして、……あ、うん、僕バイク好きなんだ。2人乗りできるやつ持ってるんだよ。……まあとにかくすぐに君のところに駆けつける。君んちの冷蔵庫にあるあり合わせの材料でごはんを作ってあげられるし、もし冷蔵庫がからっぽならファミレスで食べたっていいよ。僕のおごり。おなかいっぱいになったら海まで遊びにいってもいい。靴を脱いで、波打ち際でバカみたいに走り回って転んでずぶ濡れになろう。それから君の話を聞く。朝日が昇ったら僕は『楽しかったか?』って聞くから、君は頷いてくれればいい。そしたら、ちょっと元気になった君をまた家まで送ってあげるね」












「で、先輩は、僕のことを思い出してくれなかったんですね」

春の日のことだ。やっとの思いで帰ってきたこちらの世界で初めて会った彼は写真の中で笑っていた。ふわりと漂う線香の匂いに、現実味なんてものはまるでなかった。

「死にたい夜に、思い出してはくれなかったんですね」

立派なバイクなんて持ってないけど、僕だってすぐにあなたのところに駆けつけました。きっとあなたのためにごはんだって作ったし、向かい合っていっしょに食べました。なんで、なんでなんで、

「僕のことを……」

彼は夜中にひとりでバイクに乗って向かった海で死んだと聞いた。春の日のことだった。





2018/01/31 16:55 (0)


▽毒入りホットレモネード(主カギ)


「あの人先輩のこと見てましたよね」
というのが、最近のカギPの口癖だった。行きつけのカフェのオープンテラス、いちばん端のテーブルからあたりをきょろきょろ見回してみると、道路を挟んで反対側にクラスメイトの女の子がいた。買い物帰りだろうか、紙袋を手に提げた彼女と目が合ったのでとりあえずひらひらと手を振っておいた。カギPは少しむっとしたような面持ちでスティックシュガーの袋を破いている。さらさらと溢れる真っ白な砂糖が、カップの中で湯気を立てるコーヒーの中に沈んでいく。
「あの人が見てる」彼が言う時、実際に僕のことを見ている誰かは必ず存在しているので所謂妄想というやつではないのだけど、では僕と一緒の時は常に周囲からの視線に目を光らせているのかと思うと、それはそれで少しげんなりしてしまう。独占欲丸出しだ。
「あのね、あれただのクラスメイトだから」
別にやましいことなど何もないはずなのに、言葉はなんでか言い訳めいた響きを持ってしまう。カギPはスプーンでかちゃかちゃとコーヒーをかき混ぜ始めた。
「先輩は誰にでも愛想がいいから勘違いされるんです」
「別に出先で見かけて手振るくらい普通でしょ」
「普通なんですか?」
「僕の中ではね」
「……」
君はやらないの?それともそもそも友達とかいないの?そう尋ねてみようとしてやめた。一度彼の機嫌を損ねてしまうと、持ち直すまでになかなか骨が折れることは学習済みだ。
「ともかく、今僕がちゃんと見てるのは君だけだから、あんまり心配しなくていいよ」
疲れるでしょう、と問いかけると、カギPはカップに口をつけたままでやや遠慮がちに頷いた。なんだけっこう可愛いところあるじゃん、なんて思っていたらテーブルの下でそっと伸ばした脚を僕の脚に絡めてきた。わお、大胆。

(周りがみんな、自分の獲物を横取りしようとするハイエナにでも見えてるんだろうな)

だったら誰の目も声も届かないようなところに僕を閉じ込めてしまうのが何より合理的なはずだけど、それをしないということはやっぱり「違う」のだろう。いくつもの選択肢がある中で、僕が僕の意志でカギPただひとりを選んだ、という事実が、彼の自尊心とか優越感を満たすエサになっているのだ。きっと。
「で、今日このあとのご予定は?」
「……先輩のお好きなように」
すす、と靴越しの爪先で足首を撫でるとカギPは花の綻ぶように笑って見せた。僕はそれを、ただとても綺麗だと思っていた。



2018/01/15 09:51 (0)


▽冷たい夜が笑うので(主カギ)


月の美しい夜、隣を歩く君に愛してると言ったらひどく悲しそうな顔をされた。

「あなたには、あなただけには、愛とか恋とかそういう言葉、使って欲しくなかった」
「なんでさ」
「その目が……」

月明かりに照らされて地面にまっすぐ伸びたふたりの長い影を見つめたまま、カギPは小さく息をついた。彼は一度も僕と目を合わせようとしなかった。

「あなた僕のことを見下しているでしょう」
「その“僕”っていうのは、どっちを言ってる?」
「ほら、否定してくれないじゃないですか。なんで……してくださいよ」
「カギPのこと?それとも……」
「ああもう、やめてください、それ以上言わないで……」

駄々をこねる子どものように首を振って、髪をがしがしと掻きむしって、そしてカギPは僕から逃げるように歩調を早めた。目元を乱暴に拭った彼は少しだけ泣いているように見えた。背後から、月が僕たちを追いかけてくる。「僕はあなたが怖い」「抱いてほしいって言い出したのは君だろうに」「それは間違いだった」「なんでそう言い切るのさ」「あなたにはわかりませんよ」月が追いかけてくる。「自分勝手だよ」「子どもですから」「自分は子どもだから、なんて言って開き直るずるい子は、もう子どもとは呼べないよ」月が追いかけてくる。「うるさい」「だからと言って大人でもないけどね。まあ何にしても中途半端なんだよ、カギPくんは」「うるさい!」月が僕たちを追いかけてくる。

「だから愛してるよ、鍵介」

振り向いた彼はなにかひどくおぞましいものを見るような色の目をしていた。嫌悪と恐怖にひとつまみの愛情をぱらぱらと振り入れれば、きっとこんな色になる。月の美しい夜だった。




2018/01/14 10:17 (0)


▽リプレイ(鍵主)


なんだかペンキでぺたぺたと丁寧に塗り潰したような、作り物じみた青さだなあと思って見上げていたあの空が本当に作り物だったと知ったのは、つい先月の入学式の日だ。知ってしまうとなおのこと安っぽく見える青の上をゆったりと這う、これまた作り物の雲を校舎の屋上で眺めていると、足元のコンクリートから体の芯にじわりと、綿が水を吸うように染み込む浮遊感があった。眼下には中庭が広がる。桜の木がある。そういえば、桜の木の下には死体が埋まってるだなんてよく聞くけど、果たしてこの夢の世界の桜の根元には何があるのか―――ここで死んだ生徒たちの、どこにも行けない魂とかそんなものだったりして。ほんのりと色づきながら春の匂いを振りまくピンクに視線は吸い寄せられて、やがて足がゆっくりと、一歩


「なにしてるんですか、先輩」


背後から届いた硬い声に、襟首をぐっと掴まれた気がした。屋上の出入り口であるドアの前に立っていたのは、僕をこの夢の世界から引っ張り出した張本人だった。「なんでWIREしたのに見てくれないんです」と、眼鏡のレンズ越しの不機嫌そうな視線がこちらにじとりと向けられている。大方、集合時間を過ぎても現れない部長を探してこいと、現在いちばんの新入りである彼が命じられたのだろう。連絡のつかない僕を探して校舎のあちこちを回ったのか、少し息があがっているように見えた。そういえば携帯はここ数日、自室の机の上で充電器につなぎっぱなしだ。火とか出ちゃったらどうしよう。
「ごめんね、空見てたんだよ」
「……はあ、……え? ……あっ」
僕が屋上のどこに立っているのかに少し遅れて気がついたらしい、鍵介はぎょっとしたように目を見開いた。
「あの、それってあの、そっち側まで行く必要あるんですか?」
「うーん……あると言えばあるけど、ないと言えばないよね。まあいいよ、今そっち戻る」
間を隔てるものが少なくなければ、作り物の空でも少しはきれいなんじゃないかと思っただけだ。そんなことはなかったけど。がしゃん、と金網を掴み、靴の爪先を引っかけた。ふわりと浮き上がる体の後ろには、なにもない。そう、僕は屋上を囲う落下防止フェンスの“向こう側”にいた。
がちゃがちゃと金属を軋ませながら、自分の背丈の倍はあるフェンスを登る。鍵介はそれを「ひえ」だか「わぁ」だか情けない声をあげながら見ていた。やがてフェンスを乗り越え、コンクリートの床にすとん、と着地。詰めていた息を大きく吐き出した鍵介がこちらに駆け寄ってくる。
「なんっ、なんでそういう、あの、危ないことするんですか」
「君だって……なんだっけ、あれだ、ボルダリングやりたいとか言うじゃん。あれとおんなじようなものでしょう」
「全然違いますってば、あれは安全だからいいんです」
「あっそう、違うんだ……でも僕はただ……」

……僕はただ、あの屋上の縁に立って、いったい何をしようとしていたんだろう。

「……?」
「もう、いいから行きますよ、みんな先輩待ちなんですから」
「わ」
やや乱暴に手を引かれた。身長は控えめなのに僕のそれとさして変わらない大きさの手のひらは僅かにしっとり汗ばんでいて、まさに「手に汗握る」ってやつだ、と思って少し笑ってしまった。ずんずんと僕を引きずるように(散歩に行きたくない犬とその飼い主みたいだ)歩き始めた彼の耳にはどうやら届かなかったらしいが。
「君、手あったかいね」
それなりに男の子らしく骨張って関節が目立つ手だったが、とてもあたたかい。空いたほうの手で入り口のドアノブを掴み、鍵介は僕を見た。
「そうですよ、だって生きてるんですし」
「…………いきて、る」

何故か、その言葉にざわりと心臓を撫でられたような心地がした。


僕は無言のまま鍵介に手を引かれながら歩いた。もう二度と開くことのないよう、何度も何度も釘を打ちつけたはずの蓋が、今にも外れかけているような気がして、ひどく恐ろしかった。































→→→→
2017/12/30 22:54 (0)


prev | next





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -